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「マリオ・バロテッリ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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{{中立|date=2011年11月}}
{{告知|提案|素行の悪さに関する節の除去について}}
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'''マリオ・バロテッリ'''(Mario Balotelli, [[1990年]][[8月12日]] - )は、[[イタリア]]・[[パレルモ]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]。[[プレミアリーグ]]の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]に所属する。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]。
'''マリオ・バロテッリ'''(Mario Balotelli, [[1990年]][[8月12日]] - )は、[[イタリア]]・[[パレルモ]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]。[[プレミアリーグ]]の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]に所属する。ポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]。


== 歴==
== ==
[[シチリア|シチリア島]]の北西部に位置する[[パレルモ]]において、[[ガーナ]]移民のバウア夫妻の[[長男]]として生まれた。生後間もなく先天性疾患である巨大結腸症に冒され、生後1年間を病院で過ごした。この病気を手術で根治させた後に、バウア夫妻はより条件の良い職を求めて[[ブレシア県]]に移住した。しかし暮らし向きは良くならず、[[アフリカ]]移民の他の家族らと共に1DKのアパートをシェアするという最下層の生活を強いられている。バルウアー夫妻はやむなく3歳のマリオを里子に出しマリオはブレシア県に住むイタリア人のバロテッリ夫妻に養子として迎え入れられた
[[シチリア|シチリア島]]の北西部に位置する[[パレルモ]]において、[[ガーナ]]移民のバウア夫妻の[[長男]]として生まれた<ref name="18歳試練">「Mario BALOTELLI:18歳試練」 『[[ワードサッカダイジェスト|WORLD SOCCER DIGEST]] No.281』 第14巻第24号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2008年、52-54頁雑誌 29893-12/18。</ref><ref name="神童か悪童か">{{Cite web
|author=シモーネ・ステンティ
|coauthors=翻訳協力、町田敦夫
|date=2011-10-25
|url=http://www.soccer-king.jp/column_item/20111025_balotelli.html
|title=神童か悪童か、なぜいつも“彼”なのか。天才マリオ・バロテッリの履歴書
|publisher=SOCCER KING
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。生後間もなく先天性の疾患である巨大結腸症に冒され、生後の1年間を病院で過ごした<ref name="18歳の試練"/><ref name="神童か悪童か"/>。この病気を手術で根治させた後に、バルウアー夫妻はより条件の良い職を求めて[[ブレシア県]]に移住した<ref name="18歳の試練"/><ref name="神童か悪童か"/>。しかし暮らし向きは良くならず、[[アフリカ]]移民の他の家族らと共に1DKのアパートをシェアするという最下層の生活を強いられている<ref name="18歳の試練"/><ref name="神童か悪童か"/>。バルウアー夫妻はやむなく3歳のマリオを里子に出し、マリオはブレシア県に住むイタリア人のバロテッリ夫妻に養子として迎え入れられた<ref name="18歳の試練"/><ref name="神童か悪童か"/>。


2008年[[11月]]上旬に生みの親であるバーウア夫妻がマスコミの前に姿を現し、長らく途絶えたままになっている息子との繋がりを取り戻したいと訴えた。マリオ自身はバロテッリ家が「唯一の家族」であり、バーウア夫妻に対して「あることないこと言っている」と懐疑の目を向けており、「もしあの人たちのところで育っていたら、今ごろはアフリカのどこかで悲惨な暮らしをしていただろう。いや、もう生きていなかったかもしれない」とも語っている<ref name="18歳の試練"/>。
ACルメッツァーネのユースチームからトップチームに昇格し、15歳の時にセリエC1でデビューした。同年にはFCバルセロナのトライアルを受けるも不合格であった。

ACルメッツァーネのユースチームからトップチームに昇格し、15歳の時にセリエC1でデビューした。同年にはFCバルセロナのトライアルを受けるも不合格であった<ref>{{Cite web
|author=Laura Williamson
|coauthors= Nick Pisa
|date=2010-08-05
|url=http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-1300427/Mario-Balotellis-double-life-The-bitter-family-feud-haunts-29m-Manchester-City-target.html
|title=Mario Balotelli's double life: The bitter family feud that haunts the £29m Manchester City target
|publisher=daily.mail
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。


===インテル===
===インテル===
2006年に[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]と買いとりオプション付きで契約を結んだ。2007年12月16日に下部組織からトップチームに招集され、[[カリアリ・カルチョ|カリアリ]]戦で17歳4カ月のバロテッリはセリエAデビューを果たした。12月19日[[コッパ・イタリア]]Best16の1stLeg[[レッジーナ・カルチョ|レッジーナ]]戦で2ゴールを上げ初得点を記録している。
2006年に[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]と買いとりオプション付きで契約を結んだ。2007年12月16日に下部組織からトップチームに招集され、[[カリアリ・カルチョ|カリアリ]]戦で17歳4カ月のバロテッリはセリエAデビューを果たした<ref>{{Cite web
|date=2007-12-16
|url=http://soccernet.espn.go.com/report/_/id/224320?cc=4716
|title=Cagliari 0–2 Inter Milan
|publisher=ESPN Soccernet.
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。12月19日の[[コッパ・イタリア]]ベスト16の1stレグ、[[レッジーナ・カルチョ|レッジーナ]]戦でインテル移籍後初得点を含む2ゴールを挙げ、勝利に貢献した。 2008年1月30日に行われた[[コッパ・イタリア]]準々決勝2ndレグの[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]戦で2得点を決めてアウェーでの勝利に貢献し、注目を集めた<ref>{{Cite web
|date=2008-01-31
|url=http://soccerlens.com/internazionale-beat-juventus-3-2-and-a-star-is-born-in-milan-mario-balotelli/5501/
|title=Internazionale Beat Juventus 3-2 and A Star is Born in Milan: Mario Balotelli
|publisher=Soccer Lens
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。2008年4月6日の[[アタランタBC|アタランタ]]戦にてセリエA初ゴールを記録した<ref>{{Cite web
|date=2008-04-06
|url=http://italiansoccerseriea.com/2008/04/06/results-italian-serie-a-week-32---atalanta--fc-inter.aspx
|title=Inter Milan 2–0 Atalanta
|publisher=Soccer Lens
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。インテルは2007-08シーズンのセリエAを制し、バロテッリにとっては初のタイトル獲得となった。


[[2008年]][[8月12日]]の18歳の誕生日にイタリア市民権を取得した<ref>{{Cite web
2008年1月30日に行われた[[コッパ・イタリア]]準々決勝[[ユヴェントスFC|ユヴェントス]]戦2ndLegで2得点を決めて注目を集めた。4月6日の[[アタランタBC|アタランタ]]戦にてセリエA初ゴールを決めている。
|date=2008-08-15
|url=http://www.italymag.co.uk/italy/brescia/inters-balotelli-gets-italian-citizenship
|title=Inter's Balotelli gets Italian citizenship
|publisher=Italy Magazine
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。8月24日の[[ASローマ]]との[[スーペルコッパ・イタリアーナ]]では途中出場から勝ち越しゴールを記録。その後追いつかれたものの、[[PK戦]]でも2人目のキッカーとしてPKを成功し、タイトル獲得に貢献した。11月4日の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]、[[アノルトシス・ファマグスタ|アノルトシス]]戦でチャンピオンズリーグ初得点を挙げ、インテルのチャンピオンズリーグ最年少得点記録を更新した<ref>{{Cite web
|date=2008-11-04
|url=http://www.gazzetta.it/Calcio/SerieA/Squadre/Inter/Primo_Piano/2008/11/04/champions.shtml
|title=Cruz toglie l'Inter dai guai 3-3 con l'Anorthosis
|publisher=La Gazzetta dello Sport.
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。2009年4月のユヴェントス戦ではバロテッリの得点で1-1で引き分けたが、試合を通してユヴェントスファンから「黒いイタリア人などありえない」と人種差別的なチャントを浴びた<ref name="神童か悪童か"/>。[[マッシモ・モラッティ]]は、もし自分がその場にいたのならチームをピッチから引き上げさせていただろうとサポーターの行動を非難した<ref>{{Cite web
|author=Mark Meadows
|date=2009-04-20
|url=http://uk.reuters.com/article/2009/04/20/uk-soccer-italy-racism-sb-idUKTRE53J1ED20090420
|title=Inter president chides Juve fans for racist chants
|publisher=Reuters
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。ユヴェントスのウルトラスは対戦相手がインテルでない試合でもバロテッリへの差別チャントを繰り返し、2度の罰金とホームゲーム1試合のスタンド部分閉鎖が命じられた<ref name="神童か悪童か"/><ref>http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5hr_4WepjB0LJ2CSVolKlXluAYXdA</ref>。インテルはこのシーズンもセリエAを制し、4連覇を達成した。


2009-10シーズンは[[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10|UEFAチャンピオンズリーグ]]の[[FCルビン・カザン|ルビン・カザン]]戦で1点目をアシストし、さらに長距離からの無回転フリーキックを決めるなど試合に出れば活躍も見せる一方で、問題行動が目立つようになった。監督の[[ジョゼ・モウリーニョ]]はバロテッリがチームの規律を乱すとして度々招集外とし、最大で6試合連続で招集外は続いた。また罰金はバロテッリのためにならないと、サテライトチームへ降格させたこともあった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3929125/ 若きFWバロテッリをサテライト送り。モウリーニョ「謙虚になれ」] Livedoorスポーツ 2010年1月9日</ref>。2010年1月6日の[[キエーヴォ・ヴェローナ]]戦でキエーヴォサポーターへ挑発的な拍手をしたとして処分された<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4539194/ 相手ファン批判のバロテッリに罰金 本人は謝罪]Livedoorスポーツ 2010年1月8日</ref>。この背景にはキエーヴォサポーターからの人種差別があったとされ、処分については疑問の声も上がった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4540523/ バロテッリ問題に政界からも苦言] Livedoorスポーツ 2010年1月9日</ref>。モウリーニョとの対立が深くなる中で、3月にイタリアのテレビ番組に出演した際にはインテルのライバルである[[ACミラン]]のユニフォームに袖を通し批判された<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4675070/ バロテッリにミランのユニフォーム? 代理人は「ただのジョーク」]Livedoorスポーツ 2010年3月23日</ref>。チームから謹慎処分を受けたものの、バロテッリはインテルのホームページ上で謝罪し<ref>{{Cite web
[[2008年]][[8月12日]]の彼の18歳の誕生日にイタリア市民権を取得した。これを受けて早速[[ピエルルイジ・カジラギ]]率いるイタリアU-23代表に招集された。
|date=2010-04-01
|url=http://www.inter.it/aas/news/reader?N=33591&L=en
|title=Mario Balotelli statement
|publisher=Inter.it
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>、復帰した4月2日の[[ボローニャFC|ボローニャ]]戦では得点も挙げた。しかし2010年4月20日の[[FCバルセロナ]]戦では、彼のパフォーマンスに満足せず[[ブーイング]]したファンへの抗議として、試合終了後にユニフォームを地面に投げつけた<ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2010/04/21/1887805/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AA%E5%BF%AB%E5%8B%9D%E5%8F%B0%E7%84%A1%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB バロテッリ、快勝台無しのトラブル]Goal.com 2010年4月21日</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4736758/ バロテッリ、謝罪するもチームから外れる]Livedoorスポーツ 2010年4月24日</ref>。5月5日の[[コッパ・イタリア]]の決勝戦では、[[ASローマ]]の[[フランチェスコ・トッティ]]から後ろから蹴り飛ばされる悪質なファウルを受けた<ref name="神童か悪童か"/>。このプレーでトッティは退場処分を受けている。後にトッティは自身の過ちを認め、試合後には握手を交した一方で「バロテッリはローマとローマの人々を侮辱した」とコメントし<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4898433/ Livedoorスポーツ 2010年7月21日]</ref>、[[ダニエレ・デ・ロッシ]]や[[ルカ・トーニ]]も「トッティはバロテッリから侮辱され、酷いファウルを浴びていた」と証言し、物議を醸した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4754013/ Livedoorスポーツ 2010年5月6日]</ref>。


===マンチェスター・シティ===
同年[[11月]]上旬に生みの親であるバルウアー夫妻がマスコミの前に姿を現し、長らく途絶えたままになっている息子との繋がりを取り戻したいと訴えた。マリオ自身はバロテッリ家が「唯一の家族」であり、バルウアー夫妻に対して「あることないこと言っている」と懐疑の目を向けており、「もしあの人たちのところで育っていたら、今ごろはアフリカのどこかで悲惨な暮らしをしていただろう。いや、もう生きていなかったかもしれない」とも語っている<ref>以上の概要の全文は以下の情報源を参考に。「Mario BALOTELLI:18歳の試練」 『[[ワールドサッカーダイジェスト|WORLD SOCCER DIGEST]] No.281』 第14巻第24号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2008年、52-54頁。雑誌 29893-12/18。</ref>。
2010年8月13日に移籍金2400万ポンドでインテルでも監督を務めた[[ロベルト・マンチーニ]]が率いる[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]への移籍が発表された<ref>{{Cite web
|author=Manchester City FC
|date=2010-08-13
|url=http://www.mcfc.co.uk/News/Team-news/2010/August/Mario-Balotelli-signs-for-Manchester-City
|title=Balotelli signs for City
|accessdate=2010-08-14
}}</ref>。


2010年8月19日の[[UEFAヨーロッパリーグ]]プレーオフ1stレグ、[[FCポリテフニカ・ティミショアラ|ティミショアラ]]戦に途中出場し決勝点を挙げ、シティでのデビュー戦を飾った<ref>{{Cite web
当初から[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]入りを目指しており、ガーナサッカー協会からの[[サッカーガーナ代表|ガーナ代表]]招集要請を、「ガーナ人の親のことはまったく知らないし会った記憶もない。僕はイタリアで育ったし親(育ての親)もイタリア人、引退するまでイタリア代表を目指す」と断っていた{{要出典|date=2010年4月}}。実力は高く評価されていたにもかかわらず、インテルのチームメートの[[ダビデ・サントン]]が代表招集される一方で、バロテッリにはなかなか声がかからなかった。
|date=2010-08-19
|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8924265.stm
|title=FC Timisoara 0 - 1 Man City
|publisher=BBC Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。しかしこの試合で右膝を負傷し、9月8日には手術を受け、10月末まで戦列を離れることとなった<ref>{{Cite web
|date=2010-09-28
|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/9041778.stm
|title=Mario Balotelli moves closer to Man City return
|publisher=BBC Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。10月24日の[[アーセナルFC|アーセナル]]戦に途中出場しプレミアリーグデビューを果たすと、10月30日の[[ウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC|ウォルヴァーハンプトン]]戦では初めてフル出場を記録した。11月7日の[[ウェストブロムウィッチ・アルビオンFC|ウェストブロムウィッチ]]戦でプレミアリーグ初得点を記録したものの、[[ユースフ・ムルンブ]]へのファウルでレッドカードを受け退場した<ref>{{Cite web
|date=2010-11-07
|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/9150046.stm
|title=West Brom 0 - 2 Man City
|publisher=BBC Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。12月1日のヨーロッパリーグ、[[レッドブル・ザルツブルク]]戦では移籍後初の1試合2得点を記録した<ref>{{Cite web
|date=2010-12-01
|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/9243656.stm
|title=Man City 3 - 0 Red Bull Salzburg
|publisher=BBC Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。12月22日にはトゥット・スポルト社が主催する21歳以下の最優秀選手賞であるゴールデン・ボーイ賞を受賞した<ref name="ゴールデン・ボーイ">{{Cite web
|date=2010-12-22
|url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2010/12/22/2272969/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AA%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%81%AF%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%82%88%E3%82%8A%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%81%A0%E3%81%91%E6%9C%80%E9%AB%98
|title=バロテッリ:「メッシはオレよりちょっとだけ最高」
|publisher=Goal.com
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。12月28日の[[アストン・ヴィラFC|アストン・ヴィラ]]戦では移籍後初の[[ハットトリック]]を達成した<ref>{{Cite web
|date=2010-12-28
|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/9317212.stm
|title=Man City 4 - 0 Aston Villa
|publisher=BBC Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。2011年3月17日の[[UEFAヨーロッパリーグ]]・[[ディナモ・キエフ]]戦で前半36分に相手を蹴りつけ一発退場となった。早い時間での退場で、1stレグのビハインドをチームは逆転することができずに敗退し、[[ロベルト・マンチーニ]]監督の怒りをかった<ref name="激怒"/><ref>[http://www.soccer-king.jp/news/el/article/201103191835_manchestercity_balotelli.html 一発退場を反省するバロテッリ「申し訳ない気持ちでいっぱい」]SOCCER KING 2011年3月19日</ref>。2011年3月にはシティの下部組織の選手に対しダーツを投げつけた。怪我人は無かったもののチームはこのトラブルを重要視しバロテッリに10万ポンドの罰金を課した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5458053/ トラブル続きのバロテッリ、1300万円の罰金?]Livedoorスポーツ 2011年4月1日</ref>。4月16日の[[FAカップ]]準決勝の[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]戦の勝利後にユニフォームのエンブレムをユナイテッドサポーターに見せつけ、ピッチを去る[[リオ・ファーディナンド]]に何度も挑発的なウィンクをしたとしてファーディナンドから詰め寄られ、試合後にも批判された<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201104181850_manchester_united_ferdinand.html ファーディナンド、ツイッターでバロテッリの行動を批判]SOCCER KING 2011年4月18日</ref>。5月14日の[[ストーク・シティFC|ストーク・シティ]]との[[FAカップ]]決勝ではマンオブザマッチに選ばれる活躍で、シティの35年ぶりのタイトル獲得に貢献した<ref>{{Cite web
|date=2011-05-15
|url=http://www.independent.co.uk/sport/football/fa-league-cups/tour233-brings-citys-long-wait-to-an-end-2284317.html
|title=Touré brings City's long wait to an end
|publisher=The Independent
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。


2011年7月におこなわれたシーズン前のアメリカ遠征での[[ロサンゼルス・ギャラクシー]]戦で、決定的なゴールチャンスで体を回転させヒールキックでシュートし、外した。スタンドの観客からはブーイングを浴びせられ、激怒したマンチーニによってベンチに下げられた<ref>{{Cite web
2009年4月のユベントス戦では試合を通してユベントスファンから「黒いイタリア人などありえない」と人種差別的なチャントを浴びた。[[マッシモ・モラッティ]]は、もし自分がその場にいたのならチームをピッチから引き上げさせていただろうと語った。ユベントスにはホームゲーム1試合を無観客試合とする処分が課された。
|date=2011-07-25
|url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/07/25/2589946/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%8C%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AA%E3%81%AB%E6%BF%80%E6%80%92
|title=マンチーニがバロテッリに激怒
|publisher=Goal.com
|accessdate=2011-11-15
}}</ref><ref>[http://www.youtube.com/watch?v=YsN6svBWYg0&feature=related YouTube Watch Mario Balotelli's failed backheel]</ref>。この騒動の後は特に問題行動もなく安定したプレーを見せていたが、[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]との首位・2位対決となる[[マンチェスター・ダービー]]前日の2011年10月21日の深夜1時に、自宅の浴室で友人4人とともに花火遊びをし、火がタオルに燃え移り消防が出動する騒ぎになった<ref>http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/headlines/20111023-00000003-spnavi-socc.html</ref>。そのマンチェスター・ダービーでは2得点を挙げ、得点後にユニフォームをまくり、腹部に「WHY ALWAYS ME?」と書かれたシャツを見せた<ref name="guy">[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201111041600_manchestercity_balotelli.html 巨大バロテッリ像が燃やされる!? 花火騒動で英国伝統行事の主役に]</ref>。これらの経緯から「[[ガイ・フォークス・ナイト]]」の人形の題材に選ばれてしまった<ref name="guy"/>。シティ移籍後最初のチャンピオンズリーグとなった11月2日の[[ビジャレアルCF|ビジャレアル]]戦では、前半ロスタイムにPKを決めシティの勝利に貢献した<ref>{{Cite web
|date=2011-11-02
|url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/15457098.stm
|title=Villarreal 0 - 3 Man City
|publisher=BBC Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。


=== 代表 ===
2009-10シーズンに入ってからは問題行動が目立つようになった。監督のモウリーニョと、スタンド観戦を命じられたり、6試合連続未招集が続いた。ユベントスのウルトラスは対戦相手がインテルでない試合でもバロテッリへの差別チャントを繰り返し、2度の罰金と1度のスタンド部分閉鎖が命じられた<ref>http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5hr_4WepjB0LJ2CSVolKlXluAYXdA</ref>。2010年4月20日の[[FCバルセロナ]]戦では、彼のパフォーマンスに満足せずブーイングしたファンへの抗議として試合終了後にユニフォームを地面に投げつけた。
U-15、U-17[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]にはガーナ移民の子どもであることから招集が見送られた<ref>{{Cite web
|date=2006-12-08
|url=http://www.avvenimentionline.it/content/view/519/139/
|title=Un prodigio ma non è azzurro
|publisher=Avvenimenti.
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。2007年8月7日には[[サッカーガーナ代表|ガーナA代表]]から招集をされたものの<ref>{{Cite web
|date=2007-08-07
|url=http://www.ghanafa.org/news/read.php?contentid=2129
|title=Le Roy names 20 for friendly
|publisher=ガーナサッカー協会
|archiveurl=http://web.archive.org/web/20070821222923/http://www.ghanafa.org/news/read.asp?contentid=2129
|archivedate=2007-08-21
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>、「ガーナ人の親のことはまったく知らないし会った記憶もない。俺はイタリアで育ったし親(育ての親)もイタリア人、引退するまでイタリア代表を目指す」<ref name="18歳の試練"/>とし、イタリアへのアイデンティティとイタリア代表への道が閉ざされることを嫌い、固辞した<ref>{{Cite web
|date=2007-08-21
|url=http://www.thestatesmanonline.com/pages/news_detail.php?newsid=4516&section=3
|title=Stars to tame the lions today
|publisher=he Statesman
|accessdate=2011-11-15
}}</ref><ref>{{Cite web
|date=2007-06-01
|url=http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=61151
|title=ESCLUSIVA TMW - Inter, il baby fenomeno Balotelli si racconta
|publisher=TuttoMercatoWeb
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。

2008年8月13日にイタリア市民権を獲得したことを受け、2008年8月29日に[[ピエルルイジ・カジラギ]]率いるU-21イタリア代表に初招集され<ref>{{Cite web
|date=2008-08-29
|url=http://www.gazzetta.it/Calcio/Nazionale/Primo_Piano/2008/08/29/under.shtml
|title=Balotelli, sei azzurro!
|publisher=La Gazzetta dello Sport
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>、9月5日の[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]戦でデビューし初得点も挙げた。2009年2月の招集の際には朝までディスコで遊び明かし飛行機に乗り遅れ、[[ピエルルイジ・カジラギ]]監督を激怒させた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4012853/ 夜遊びバロテッリにU-21代表監督も激怒]Livedoorスポーツ 2009年2月10日</ref>。[[UEFA U-21欧州選手権2009|U-21 EURO2009]]のメンバーにも招集され、グループリーグ第2戦の開催国[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]との試合ではイタリアの大会初得点を挙げたものの、その15分後にレッドカードを受けた<ref>{{Cite web
|date=2009-06-19
|url=http://www.goal.com/en/news/2378/euro-u-21-2009/2009/06/19/1334898/ten-man-italy-defeat-sweden-after-balotelli-sent-off
|title=Ten-Man Italy Defeat Sweden After Balotelli Sent Off
|publisher=Goal.com
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>。


2010年8月6日に[[チェーザレ・プランデッリ]]新監督の初戦となる[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール代表]]戦のイタリア代表メンバーに初招集され<ref name=sponichi>{{Cite web
2010年8月6日に[[チェーザレ・プランデッリ]]新監督の初戦となる[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦のイタリア代表メンバーに初招集され<ref name=sponichi>{{Cite web
|author=スポニチ Sponichi Annex ニュース
|author=スポニチ Sponichi Annex ニュース
|date=2010-08-08
|date=2010-08-08
61行目: 222行目:
|title=アマウリらを召集!イタリアは新鮮な顔ぶれ
|title=アマウリらを召集!イタリアは新鮮な顔ぶれ
|accessdate=2010-08-11
|accessdate=2010-08-11
}}</ref>、8月10日のコートジボワール戦に先発出場し、イタリア代表デビューを果たした<ref name=yahoo>{{Cite web
}}</ref>、8月10日のコートジボワール戦に先発出場し、A代表デビューを果たした<ref name=yahoo>{{Cite web
|author=Yahoo!スポーツ
|author=Yahoo!スポーツ
|date=2010-08-11
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67行目: 228行目:
|title=イタリア、コートジボワールに敗れる=プランデッリ新監督初陣飾れず―サッカー
|title=イタリア、コートジボワールに敗れる=プランデッリ新監督初陣飾れず―サッカー
|accessdate=2010-08-11
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}}</ref>。2011年11月11日の[[サッカーポーランド代表|ポーランド]]との親善試合で代表初得点となる先制ゴールを挙げ、[[ジャンパオロ・パッツィーニ]]の得点もアシストし勝利に貢献<ref>{{Cite web
|author=Livedoorスポーツ
|date=2011-11-12
|url=http://news.livedoor.com/article/detail/6020560/
|title=バロテッリ初得点でイタリアが勝利 プランデッリはチーム全体を称賛
|accessdate=2011-11-14
}}</ref>、プランデッリに活躍を称賛された<ref>{{Cite web
|author=Livedoorスポーツ
|date=2011-11-13
|url=http://news.livedoor.com/article/detail/6022830/
|title=バロテッリ活躍に沸くイタリア プランデッリはマンチーニに賛辞
|accessdate=2011-11-14
}}</ref>。
}}</ref>。


== 人物 ==
===マンチェスター・シティー===
[[File:Balotelli Prandelli Napolitano.jpg|thumb|right|250px|[[チェーザレ・プランデッリ]]、[[ジョルジョ・ナポリターノ]]と握手をするバロテッリ]]
2010年8月13日に移籍金2400万ポンドでインテルでも監督を務めた[[ロベルト・マンチーニ]]が率いる[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]への移籍が発表された。<ref name=>{{Cite web
上述のようにピッチ内外で問題になる行動を度々起こしており、またプライドの高さと攻撃的な性格からチームメイトと問題を起こすことも多く、問題児との評価が定着している<ref name="神童か悪童か"/><ref>http://www.guardian.co.uk/football/2011/oct/22/mario-balotelli-house-fire-fireworks?CMP=twt_gu</ref>。
|author=Manchester City FC
|date=2010-08-13
|url=http://www.mcfc.co.uk/News/Team-news/2010/August/Mario-Balotelli-signs-for-Manchester-City
|title=Balotelli signs for City
|accessdate=2010-08-14
}}</ref>。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10|UEFAチャンピオンズリーグ]]の[[FCルビン・カザン|ルビン・カザン]]戦では1点目をアシストし、さらに長距離から無回転フリーキックを自身が決め、チームの勝利に貢献した。2010年12月にはイタリアの新聞社が主催する21歳以下の最優秀選手賞であるGolden Boy Awardを受賞した。


問題行動は練習中のミニゲームで[[ジェローム・ボアテング]]のタックルに激怒し突き飛ばし、つかみ合いの喧嘩になった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5185925/ バロテッリがまたトラブルのマンC マンチーニに新たな批判]Livedoorスポーツ 2010年12月3日</ref>、2011年3月2日の[[FAカップ]]・[[アストン・ヴィラFC|アストン・ヴィラ]]戦でゴールを決めた夜に、あるレストランで[[ウェイン・ルーニー]]と交際していた女性に近づき「ルーニー、ルーニー」と囃し彼女を指さして大笑いし、さらに彼女の連れの一人に喧嘩を吹っかけた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5443300/ バロテッリ、あわやケンカのトラブル プランデッリは「彼は過ちを理解した」]Livedoorスポーツ 2011年3月26日</ref>といったトラブルから、マフィアとの関係が噂されるようなものまで多岐に渡る<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5613028/ バロテッリが犯罪組織のゲストに? 本人は「誰か知らなかった」]Livedoorスポーツ 2011年6月6日</ref>。また、ミラノの[[共和国広場]]で友人と車に乗りながらおもちゃの銃を宙に向け連射したり<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4853212/ バロテッリ、おもちゃの銃発射で警察沙汰に]Livedoorスポーツ 2010年6月28日</ref>、[[ブレシア]]の女性刑務所に弟とともに車で許可無く立ち入ったり<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/id=4688 バロテッリが刑務所に無断訪問?]SOCCER KING 2010年10月2日</ref>、マンチェスターで交通違反を繰り返したり<ref name="交通違反">[http://news.livedoor.com/article/detail/5517276/ マンチェスターで交通違反を繰り返すバロテッリ]Livedoorスポーツ 2011年4月26日</ref>と警察の厄介になることも多い。特にマンチェスターでの交通違反ではシティ移籍後の9ヶ月で1万1000ユーロ(約130万円)の罰金と27回のレッカー移動を受け、バロテッリの愛車の[[マセラティ]]は警察からマークされている<ref name="交通違反"/>。
== エピソード ==
カジノで25000ポンドを儲けた帰り際に[[ホームレス]]に1000ポンド(約13万5千円)を施した。また普段から雑誌売りの少年に、雑誌を受け取ることなく20ポンドを渡したりしている<ref>[http://www.metro.co.uk/sport/861398-mario-balotelli-gives-1-000-to-homeless-man-after-big-casino-win Mario Balotelli gives £1,000 to homeless man after big casino win]METRO.co.uk 2011年4月20日</ref>。


問題行動か、2011年5月にはシティのチームメイトである[[ヤヤ・トゥーレ]]と[[カルロス・テベス]]から愛車の[[マセラティ]]を小麦粉まみれにされ、[[スパイクシューズ|スパイク]]を天井に張り付けられるなど制裁を受けている<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20110505-771170.html マンCテベスら不良後輩を“かわいがり”記事を印刷する]Nikkansports.com 2011年5月5日</ref>。
これらの問題行動から[[マルコ・マテラッツィ]]によりロッカールームに叩きつけられ顔を殴られり<ref name="神童か悪童"/>、2011年5月にはシティのチームメイトである[[ヤヤ・トゥーレ]]と[[カルロス・テベス]]から愛車の[[マセラティ]]を小麦粉まみれにされ、[[スパイクシューズ|スパイク]]を天井に張り付けられるなど、チームメイトから制裁を受けている<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20110505-771170.html マンCテベスら不良後輩を“かわいがり”記事を印刷する]Nikkansports.com 2011年5月5日</ref>。


これらの問題行動は、バロテッリが黒人であるために幼い頃から受けてきた差別の反動、注目を求めてのものだという分析もある<ref name="神童か悪童か"/>。バロテッリ自身は自分が「シャイな人間で、楽しむことが好きな普通の若者」であるとし<ref name="シャイ">{{Cite web
自身が子供の頃に人種差別に遭った経験から[[いじめ]]には敏感で、2011年5月には平日にも練習場を訪れていた少年がいじめにより[[不登校]]になっていることを知ると、その少年と母と共に少年の学校に直行し、いじめた子供たちを叱責して和解させた<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20110510-773788.html 問題児マンCバロテリが不登校少年助けた]nikkansports.com 2011年5月10日</ref>。
|date=2011-05-09
|url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/05/09/2477852/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AF%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%81%AB%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B
|title=「マンチーニはモウリーニョにできなかったことをやっている」
|publisher=Goal.com
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>、また自身を巡る報道については「気にしない」とする一方で、事実ではないことが混ざっていることにも言及し<ref name="シャイ"/>、上述の[[マンチェスター・ダービー]]ではTシャツのメッセージでメディアに反抗している。


一方でカジノで25000ポンドを儲けた帰り際に[[ホームレス]]に1000ポンド(約13万5千円)を施したり、また普段から雑誌売りの少年に、雑誌を受け取ることなく20ポンドを渡したりという一面もある<ref>[http://www.metro.co.uk/sport/861398-mario-balotelli-gives-1-000-to-homeless-man-after-big-casino-win Mario Balotelli gives £1,000 to homeless man after big casino win]METRO.co.uk 2011年4月20日</ref>。
=== 素行の悪さ ===
インテル所属時から問題になる行動を度々起こしており、マンチェスター・シティーに移籍しても改善されていない。イングランドサッカーにおける最悪の問題児との評価が定着している。<ref>http://www.guardian.co.uk/football/2011/oct/22/mario-balotelli-house-fire-fireworks?CMP=twt_gu</ref>


また自身が子供の頃に人種差別に遭った経験から[[いじめ]]には敏感で、2011年5月には平日にも練習場を訪れていた少年がいじめにより[[不登校]]になっていることを知ると、その少年と母と共に少年の学校に直行し、いじめた子供たちを叱責して和解させている<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20110510-773788.html 問題児マンCバロテリが不登校少年助けた]nikkansports.com 2011年5月10日</ref>。
*2009年にU-21イタリア代表に初招集された際には朝までディスコで遊び明かし飛行機に乗り遅れ、[[ピエルルイジ・カジラギ]]監督を激怒させた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4012853/ 夜遊びバロテッリにU-21代表監督も激怒]Livedoorスポーツ 2009年2月10日</ref>。

*2010年1月6日の[[キエーヴォ・ヴェローナ]]戦でキエーヴォサポーターへ挑発的な拍手をしたとして処分された<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4539194/ 相手ファン批判のバロテッリに罰金 本人は謝罪]Livedoorスポーツ 2010年1月8日</ref>。この背景にはキエーヴォサポーターからの人種差別があったとされ、処分については疑問の声も上がった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4540523/ バロテッリ問題に政界からも苦言] Livedoorスポーツ 2010年1月9日</ref>。
サッカーの面では、[[ロナウド]]を自身のアイドルであるとしている<ref name="父親のような存在">{{Cite web
*[[ジョゼ・モウリーニョ]]はバロテッリがチームの規律を乱すとして度々招集外とし、また罰金はバロテッリのためにならないと、サテライトチームへ降格させたこともあった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3929125/ 若きFWバロテッリをサテライト送り。モウリーニョ「謙虚になれ」] Livedoorスポーツ 2010年1月9日</ref>。
|date=2011-10-26
*2010年3月にイタリアのテレビ番組に出演した際、インテルのライバルである[[ACミラン]]のユニフォームに袖を通した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4675070/ バロテッリにミランのユニフォーム? 代理人は「ただのジョーク」]Livedoorスポーツ 2010年3月23日</ref>。
|url=http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201110261920_manchester_city_balotelli.html
*2010年4月20日の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]準決勝1stレグの[[FCバルセロナ]]戦後にファンに対してユニフォームを投げつけた<ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2010/04/21/1887805/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AA%E5%BF%AB%E5%8B%9D%E5%8F%B0%E7%84%A1%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB バロテッリ、快勝台無しのトラブル]Goal.com 2010年4月21日</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4736758/ バロテッリ、謝罪するもチームから外れる]Livedoorスポーツ 2010年4月24日</ref>。
|title=バロテッリがマンチーニ監督への信頼を明かす「父親のような存在」
*2010年5月5日のコッパ・イタリア2009-2010の決勝戦で、[[ASローマ]]の[[フランチェスコ・トッティ]]から悪質なファウルを受けた。このプレーでトッティは退場処分を受けている。後にトッティは自身の過ちを認め、試合後には握手を交した一方で、「(バロテッリは)ローマとローマの人々を侮辱した」とコメントし<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4898433/ Livedoorスポーツ 2010年7月21日]</ref>、[[ダニエレ・デ・ロッシ]]や[[ルカ・トーニ]]も「トッティは(バロテッリから)侮辱され、ひどいファウルを浴びていた」と証言し、物議を醸した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4754013/ Livedoorスポーツ 2010年5月6日]</ref>。
|publisher=SOCCER KING
*2010年6月にミラノの[[共和国広場]]で友人と車に乗りながらおもちゃの銃を宙に向け連射し、警察に通報された<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4853212/ バロテッリ、おもちゃの銃発射で警察沙汰に]Livedoorスポーツ 2010年6月28日</ref>。
|accessdate=2011-11-15
*2010年10月に[[ブレシア]]の女性刑務所に弟とともに車で許可無く立ち入り、拘束された<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/id=4688 バロテッリが刑務所に無断訪問?]SOCCER KING 2010年10月2日</ref>。
}}</ref>。また自身の才能を強く自覚しており<ref name="神童か悪童か"/>、[[リオネル・メッシ]]を「自分より少し上」と表現したこともある<ref name="ゴールデン・ボーイ"/>。
*2010年12月2日に練習中のミニゲームで[[ジェローム・ボアテング]]のタックルに激怒し突き飛ばし、つかみ合いの喧嘩になった<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5185925/ バロテッリがまたトラブルのマンC マンチーニに新たな批判]Livedoorスポーツ 2010年12月3日</ref>。

*2011年3月2日の[[FAカップ]]・[[アストン・ヴィラFC|アストン・ヴィラ]]戦でゴールを決めた夜に、あるレストランで[[ウェイン・ルーニー]]と交際していた女性に近づき「ルーニー、ルーニー」と囃し彼女を指さして大笑いした。さらに彼女の連れの一人に喧嘩を吹っかけた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5443300/ バロテッリ、あわやケンカのトラブル プランデッリは「彼は過ちを理解した」]Livedoorスポーツ 2011年3月26日</ref>。
== 評価 ==
*2011年3月17日の[[UEFAヨーロッパリーグ]]・[[ディナモ・キエフ]]戦で前半36分に相手を蹴りつけ一発退場となった。早い時間での退場で、1stレグのビハインドをチームは逆転することができずに敗退し、[[ロベルト・マンチーニ]]監督の怒りをかった<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201103190300_manchester_city.html マンチーニが愚行のバロテッリに激怒…チームから除外を示唆]SOCCER KING 2011年3月19日</ref><ref>[http://www.soccer-king.jp/news/el/article/201103191835_manchestercity_balotelli.html 一発退場を反省するバロテッリ「申し訳ない気持ちでいっぱい」]SOCCER KING 2011年3月19日</ref>。
[[File:Roberto Mancini 008.jpg|thumb|right|200px|[[ロベルト・マンチーニ]]とは互いに強く信頼し合っている]]
*2011年3月にシティの下部組織の選手に対しダーツを投げつけた。怪我人は無かったもののチームはこのトラブルを重要視しバロテッリに10万ポンドの罰金を課した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5458053/ トラブル続きのバロテッリ、1300万円の罰金?]Livedoorスポーツ 2011年4月1日</ref>。
若くしてトップリーグで活躍した才能は高く評価され神童と称される一方で、前述のような度重なる問題行動から、問題児としても認識されている<ref name="神童か悪童か"/><ref name="父親のような存在"/>。
*2011年4月16日の[[FAカップ]]準決勝の[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]戦の勝利後にユニフォームのエンブレムをユナイテッドサポーターに見せつけ、ピッチを去る[[リオ・ファーディナンド]]に何度も挑発的なウィンクをしたとしてファーディナンドから詰め寄られ、試合後にも批判された<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201104181850_manchester_united_ferdinand.html ファーディナンド、ツイッターでバロテッリの行動を批判]SOCCER KING 2011年4月18日</ref>。

*マンチェスターでは交通違反を繰り返している。シティ移籍後の9ヶ月で1万1000ユーロ(約130万円)の罰金を受け、27回のレッカー移動をされた。バロテッリの愛車の[[マセラティ]]は警察からマークされている<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5517276/ マンチェスターで交通違反を繰り返すバロテッリ]Livedoorスポーツ 2011年4月26日</ref>。
[[ロベルト・マンチーニ]]や[[クラウディオ・ラニエリ]]はその才能を「世界最高の選手になりうる」と高く評価している<ref name="メッシとロナウド">{{Cite web
*2011年6月には、前年の2010年6月8日にバロテッリが犯罪組織[[カモッラ]]の人間を訪ね、密売の様子を見学していたことが報じられた。バロテッリは「彼らが誰だか知らなかった」と関与を否定し、また代理人も「事実かどうかは分からないが、もし本当だとしてもそれは好奇心によるもので、犯罪には決して関与していない」とコメントした<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5613028/ バロテッリが犯罪組織のゲストに? 本人は「誰か知らなかった」]Livedoorスポーツ 2011年6月6日</ref>。
|date=2011-10-24
*2011年7月におこなわれたシーズン前のアメリカ遠征での[[ロサンゼルス・ギャラクシー]]戦で、決定的なゴールチャンスで体を回転させヒールキックでシュートし、外した。スタンドの観客からはブーイングを浴びせられ、激怒したマンチーニによってベンチに下げられた。<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=YsN6svBWYg0&feature=related YouTube Watch Mario Balotelli's failed backheel]</ref>
|url=http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201110241700_balotelli.html
*マンチェスター・ユナイテッドとの首位・2位対決となるマンチェスター・ダービー前日の2011年10月21日の深夜1時に、自宅の浴室で友人4人とともに花火遊びを始めた。火がタオルに燃え移り消防が出動し火を消し止める騒ぎになった<ref>http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/headlines/20111023-00000003-spnavi-socc.html</ref>。そのマンチェスター・ダービーでは2得点を挙げたが、得点後にユニフォームをまくり、腹部に「WHY ALWAYS ME?」と書かれたシャツを見せた<ref name=guy>[http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201111041600_manchestercity_balotelli.html 巨大バロテッリ像が燃やされる!? 花火騒動で英国伝統行事の主役に]</ref>。これらの経緯から「[[ガイ・フォークス・ナイト]]」の人形の題材に選ばれてしまった<ref name=guy></ref>。
|title=マンチーニがバロテッリを絶賛「メッシとC・ロナウドに並ぶ才能」
|publisher=SOCCER KING
|accessdate=2011-11-15
}}</ref><ref name="世界最高">{{Cite web
|date=2011-11-14
|url=http://www.soccer-king.jp/news/italy/article/201111142105_iyaly_balotelli.html
|title=代表初ゴールのバロテッリに称賛の声「世界最高の選手になる」
|publisher=SOCCER KING
|accessdate=2011-11-15
}}</ref>が、その一方で精神的な成長を求める声も多い<ref>{{Cite web
|date=2010-03-17
|url=http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2010/03/17/1836570/%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AA%E3%81%AF%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0
|title=モウリーニョ:「バロテッリは変わらなければ」
|publisher=Goal.com
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}}</ref><ref>{{Cite web
|date=2010-04-21
|url=http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2010/04/21/1887960/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AA%E3%81%AF%E5%AD%90%E4%BE%9B
|title=スタンコビッチ:「バロテッリは子供」
|publisher=Goal.com
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}}</ref><ref>{{Cite web
|date=2011-08-12
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|title=ヴィエラ氏、バロテッリを擁護
|publisher=Goal.com
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}}</ref>。[[チェーザレ・プランデッリ]]もバロテッリを「現代的な選手で、センターだけでなくサイドができ、あらゆる要素が揃っている」と評価するものの<ref name="冷静さだけ">{{Cite web
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|title=プランデッリ:「バロテッリに必要なのは冷静だけ」
|publisher=Goal.com
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}}</ref><ref name="成長を喜ぶ">{{Cite web
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|title=バロテッリの成長を喜ぶプランデッリ
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}}</ref>、「足りないのは冷静さだけ」であるとしている<ref name="冷静さだけ"/>。インテルの会長である[[マッシモ・モラッティ]]はバロテッリの性格は「個性であり、変わらないであろう」とする一方で、「その個性には自己証明への継続的なモチベーションなど、ポジティブな側面もある」と自身の考えを述べている<ref name="成長を喜ぶ">{{Cite web
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|title=モラッティ:「バロテッリの性格は変わらない」
|publisher=Goal.com
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}}</ref>。

インテル、マンチェスター・シティで監督としてバロテッリを指導したマンチーニはその問題行動に怒りを表すこともあるものの<ref name="激怒">{{Cite web
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|title=マンチーニが愚行のバロテッリに激怒…チームから除外を示唆
|publisher=SOCCER KING
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}}</ref><ref name="ヒールキック">{{Cite web
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|title=バロテッリの愚行に激怒するマンチーニ「彼はプロではなかった」
|publisher=SOCCER KING
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}}</ref>
、その才能を高く評価しており<ref name="予測不可能">{{Cite web
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|title=バロテッリを見守るマンチーニ監督「マリオは“予測不可能”なんだ」
|publisher=SOCCER KING
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}}</ref><ref name="メッシとロナウド"/>、イタリア代表を担う存在になると評している<ref name="あらゆる面で成長">{{Cite web
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|title=マンチーニ:「バロテッリはあらゆる面で成長した」
|publisher=Goal.com
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}}</ref>。マンチーニはバロテッリの性格を「予測不可能」でそれがプレーにも生かされていると分析する<ref name="予測不可能"/>一方で、バロテッリに精神的な成熟を求め<ref name="メッシとロナウド"/>、教育する方針を示していた<ref name="ヒールキック"/>。2011-12シーズンに入ってからは精神的な落ち着きを手に入れ、あらゆる面で成長したと評価している<ref name="あらゆる面で成長"/>。プランデッリや[[カルロ・アンチェロッティ]]も、その精神的な成長はマンチーニの影響によるところが大きいと述べている<ref name="世界最高"/><ref name="成長を喜ぶ"/>。また、バロテッリ自身もマンチーニを「父親のような存在」と話し、互いに強く信頼し合っていることを明かしている<ref name="父親のような存在"/>。


== 所属クラブ ==
== 所属クラブ ==
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== 獲得タイトル ==
== 獲得タイトル ==
=== クラブ ===
=== クラブ ===
;インテル
;{{flagicon|ITA}}インテル
*[[セリエA (サッカー)|セリエA]] : [[セリエA (サッカー) 2007-2008|2007-08]], [[セリエA (サッカー) 2008-2009|2008-09]], [[セリエA (サッカー) 2009-2010|2009-10]]
*[[セリエA (サッカー)|セリエA]] : [[セリエA (サッカー) 2007-2008|2007-08]], [[セリエA (サッカー) 2008-2009|2008-09]], [[セリエA (サッカー) 2009-2010|2009-10]]
*[[コッパ・イタリア]] : 2009-10
*[[コッパ・イタリア]] : 2009-10
119行目: 364行目:
*[[UEFAチャンピオンズリーグ]] : [[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10|2009-10]]
*[[UEFAチャンピオンズリーグ]] : [[UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10|2009-10]]


;マンチェスター・シティ
;{{flagicon|ENG}}マンチェスター・シティ
*[[FAカップ]] : 2010-11
*[[FAカップ]] : 2010-11


=== 個人 ===
=== 個人 ===
*ゴールデン・ボーイ賞 : 2010
*ゴールデン・ボーイ賞 : 2010

== 個人成績 ==
=== クラブ ===
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|+ '''<big></big>'''
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! 通算 !! !! 22 !! 11 !! 5 !! 1 !! 7 !! 4 !! 36 !! 17
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|}

=== 代表 ===
{| class="wikitable" style="font-size:90%; margin:auto;"
|+ イタリア代表での得点
! # !! 日時 !! 場所 !! 対戦相手 !! スコア !! 最終結果 !! 大会
|-
| 1. || 2011年11月11日 ||{{Flagicon|POL}} オリンピックスタジアム、[[ヴロツワフ]] || {{POLf}} || <center>0 – '''1''' ||<center>0 – 2 || [[エキシビション|親善試合]]
|}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
131行目: 472行目:
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2011年11月23日 (水) 18:32時点における版

マリオ・バロテッリ
名前
本名 Mario Balotelli Barwuah
愛称 スーペル・マリオ(スーパーマリオ)
ラテン文字 Mario BALOTELLI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1990-08-12) 1990年8月12日(34歳)
出身地 パレルモ
身長 190.5cm
体重 88kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 マンチェスター・シティ
ポジション FW
背番号 45
利き足 右足
代表歴2
2008-2010
2010–
イタリアの旗 イタリアU-21
イタリアの旗 イタリア
16 (6)
6 (1)
2. 2011年11月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マリオ・バロテッリ(Mario Balotelli, 1990年8月12日 - )は、イタリアパレルモ出身のサッカー選手プレミアリーグマンチェスター・シティに所属する。ポジションはFWイタリア代表

経歴

シチリア島の北西部に位置するパレルモにおいて、ガーナ移民のバーウア夫妻の長男として生まれた[1][2]。生後間もなく先天性の疾患である巨大結腸症に冒され、生後の1年間を病院で過ごした[1][2]。この病気を手術で根治させた後に、バルウアー夫妻はより条件の良い職を求めてブレシア県に移住した[1][2]。しかし暮らし向きは良くならず、アフリカ移民の他の家族らと共に1DKのアパートをシェアするという最下層の生活を強いられている[1][2]。バルウアー夫妻はやむなく3歳のマリオを里子に出し、マリオはブレシア県に住むイタリア人のバロテッリ夫妻に養子として迎え入れられた[1][2]

2008年11月上旬に生みの親であるバーウア夫妻がマスコミの前に姿を現し、長らく途絶えたままになっている息子との繋がりを取り戻したいと訴えた。マリオ自身はバロテッリ家が「唯一の家族」であり、バーウア夫妻に対して「あることないこと言っている」と懐疑の目を向けており、「もしあの人たちのところで育っていたら、今ごろはアフリカのどこかで悲惨な暮らしをしていただろう。いや、もう生きていなかったかもしれない」とも語っている[1]

ACルメッツァーネのユースチームからトップチームに昇格し、15歳の時にセリエC1でデビューした。同年にはFCバルセロナのトライアルを受けるも不合格であった[3]

インテル

2006年にインテルと買いとりオプション付きで契約を結んだ。2007年12月16日に下部組織からトップチームに招集され、カリアリ戦で17歳4カ月のバロテッリはセリエAデビューを果たした[4]。12月19日のコッパ・イタリアベスト16の1stレグ、レッジーナ戦でインテル移籍後初得点を含む2ゴールを挙げ、勝利に貢献した。 2008年1月30日に行われたコッパ・イタリア準々決勝2ndレグのユヴェントス戦で2得点を決めてアウェーでの勝利に貢献し、注目を集めた[5]。2008年4月6日のアタランタ戦にてセリエA初ゴールを記録した[6]。インテルは2007-08シーズンのセリエAを制し、バロテッリにとっては初のタイトル獲得となった。

2008年8月12日の18歳の誕生日にイタリア市民権を取得した[7]。8月24日のASローマとのスーペルコッパ・イタリアーナでは途中出場から勝ち越しゴールを記録。その後追いつかれたものの、PK戦でも2人目のキッカーとしてPKを成功し、タイトル獲得に貢献した。11月4日のUEFAチャンピオンズリーグアノルトシス戦でチャンピオンズリーグ初得点を挙げ、インテルのチャンピオンズリーグ最年少得点記録を更新した[8]。2009年4月のユヴェントス戦ではバロテッリの得点で1-1で引き分けたが、試合を通してユヴェントスファンから「黒いイタリア人などありえない」と人種差別的なチャントを浴びた[2]マッシモ・モラッティは、もし自分がその場にいたのならチームをピッチから引き上げさせていただろうとサポーターの行動を非難した[9]。ユヴェントスのウルトラスは対戦相手がインテルでない試合でもバロテッリへの差別チャントを繰り返し、2度の罰金とホームゲーム1試合のスタンド部分閉鎖が命じられた[2][10]。インテルはこのシーズンもセリエAを制し、4連覇を達成した。

2009-10シーズンはUEFAチャンピオンズリーグルビン・カザン戦で1点目をアシストし、さらに長距離からの無回転フリーキックを決めるなど試合に出れば活躍も見せる一方で、問題行動が目立つようになった。監督のジョゼ・モウリーニョはバロテッリがチームの規律を乱すとして度々招集外とし、最大で6試合連続で招集外は続いた。また罰金はバロテッリのためにならないと、サテライトチームへ降格させたこともあった[11]。2010年1月6日のキエーヴォ・ヴェローナ戦でキエーヴォサポーターへ挑発的な拍手をしたとして処分された[12]。この背景にはキエーヴォサポーターからの人種差別があったとされ、処分については疑問の声も上がった[13]。モウリーニョとの対立が深くなる中で、3月にイタリアのテレビ番組に出演した際にはインテルのライバルであるACミランのユニフォームに袖を通し批判された[14]。チームから謹慎処分を受けたものの、バロテッリはインテルのホームページ上で謝罪し[15]、復帰した4月2日のボローニャ戦では得点も挙げた。しかし2010年4月20日のFCバルセロナ戦では、彼のパフォーマンスに満足せずブーイングしたファンへの抗議として、試合終了後にユニフォームを地面に投げつけた[16][17]。5月5日のコッパ・イタリアの決勝戦では、ASローマフランチェスコ・トッティから後ろから蹴り飛ばされる悪質なファウルを受けた[2]。このプレーでトッティは退場処分を受けている。後にトッティは自身の過ちを認め、試合後には握手を交した一方で「バロテッリはローマとローマの人々を侮辱した」とコメントし[18]ダニエレ・デ・ロッシルカ・トーニも「トッティはバロテッリから侮辱され、酷いファウルを浴びていた」と証言し、物議を醸した[19]

マンチェスター・シティ

2010年8月13日に移籍金2400万ポンドでインテルでも監督を務めたロベルト・マンチーニが率いるマンチェスター・シティへの移籍が発表された[20]

2010年8月19日のUEFAヨーロッパリーグプレーオフ1stレグ、ティミショアラ戦に途中出場し決勝点を挙げ、シティでのデビュー戦を飾った[21]。しかしこの試合で右膝を負傷し、9月8日には手術を受け、10月末まで戦列を離れることとなった[22]。10月24日のアーセナル戦に途中出場しプレミアリーグデビューを果たすと、10月30日のウォルヴァーハンプトン戦では初めてフル出場を記録した。11月7日のウェストブロムウィッチ戦でプレミアリーグ初得点を記録したものの、ユースフ・ムルンブへのファウルでレッドカードを受け退場した[23]。12月1日のヨーロッパリーグ、レッドブル・ザルツブルク戦では移籍後初の1試合2得点を記録した[24]。12月22日にはトゥット・スポルト社が主催する21歳以下の最優秀選手賞であるゴールデン・ボーイ賞を受賞した[25]。12月28日のアストン・ヴィラ戦では移籍後初のハットトリックを達成した[26]。2011年3月17日のUEFAヨーロッパリーグディナモ・キエフ戦で前半36分に相手を蹴りつけ一発退場となった。早い時間での退場で、1stレグのビハインドをチームは逆転することができずに敗退し、ロベルト・マンチーニ監督の怒りをかった[27][28]。2011年3月にはシティの下部組織の選手に対しダーツを投げつけた。怪我人は無かったもののチームはこのトラブルを重要視しバロテッリに10万ポンドの罰金を課した[29]。4月16日のFAカップ準決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦の勝利後にユニフォームのエンブレムをユナイテッドサポーターに見せつけ、ピッチを去るリオ・ファーディナンドに何度も挑発的なウィンクをしたとしてファーディナンドから詰め寄られ、試合後にも批判された[30]。5月14日のストーク・シティとのFAカップ決勝ではマンオブザマッチに選ばれる活躍で、シティの35年ぶりのタイトル獲得に貢献した[31]

2011年7月におこなわれたシーズン前のアメリカ遠征でのロサンゼルス・ギャラクシー戦で、決定的なゴールチャンスで体を回転させヒールキックでシュートし、外した。スタンドの観客からはブーイングを浴びせられ、激怒したマンチーニによってベンチに下げられた[32][33]。この騒動の後は特に問題行動もなく安定したプレーを見せていたが、マンチェスター・ユナイテッドとの首位・2位対決となるマンチェスター・ダービー前日の2011年10月21日の深夜1時に、自宅の浴室で友人4人とともに花火遊びをし、火がタオルに燃え移り消防が出動する騒ぎになった[34]。そのマンチェスター・ダービーでは2得点を挙げ、得点後にユニフォームをまくり、腹部に「WHY ALWAYS ME?」と書かれたシャツを見せた[35]。これらの経緯から「ガイ・フォークス・ナイト」の人形の題材に選ばれてしまった[35]。シティ移籍後最初のチャンピオンズリーグとなった11月2日のビジャレアル戦では、前半ロスタイムにPKを決めシティの勝利に貢献した[36]

代表

U-15、U-17イタリア代表にはガーナ移民の子どもであることから招集が見送られた[37]。2007年8月7日にはガーナA代表から招集をされたものの[38]、「ガーナ人の親のことはまったく知らないし会った記憶もない。俺はイタリアで育ったし親(育ての親)もイタリア人、引退するまでイタリア代表を目指す」[1]とし、イタリアへのアイデンティティとイタリア代表への道が閉ざされることを嫌い、固辞した[39][40]

2008年8月13日にイタリア市民権を獲得したことを受け、2008年8月29日にピエルルイジ・カジラギ率いるU-21イタリア代表に初招集され[41]、9月5日のギリシャ戦でデビューし初得点も挙げた。2009年2月の招集の際には朝までディスコで遊び明かし飛行機に乗り遅れ、ピエルルイジ・カジラギ監督を激怒させた[42]U-21 EURO2009のメンバーにも招集され、グループリーグ第2戦の開催国スウェーデンとの試合ではイタリアの大会初得点を挙げたものの、その15分後にレッドカードを受けた[43]

2010年8月6日にチェーザレ・プランデッリ新監督の初戦となるコートジボワール戦のイタリア代表メンバーに初招集され[44]、8月10日のコートジボワール戦に先発出場し、A代表デビューを果たした[45]。2011年11月11日のポーランドとの親善試合で代表初得点となる先制ゴールを挙げ、ジャンパオロ・パッツィーニの得点もアシストし勝利に貢献[46]、プランデッリに活躍を称賛された[47]

人物

チェーザレ・プランデッリジョルジョ・ナポリターノと握手をするバロテッリ

上述のようにピッチ内外で問題になる行動を度々起こしており、またプライドの高さと攻撃的な性格からチームメイトと問題を起こすことも多く、問題児との評価が定着している[2][48]

問題行動は練習中のミニゲームでジェローム・ボアテングのタックルに激怒し突き飛ばし、つかみ合いの喧嘩になった[49]、2011年3月2日のFAカップアストン・ヴィラ戦でゴールを決めた夜に、あるレストランでウェイン・ルーニーと交際していた女性に近づき「ルーニー、ルーニー」と囃し彼女を指さして大笑いし、さらに彼女の連れの一人に喧嘩を吹っかけた[50]といったトラブルから、マフィアとの関係が噂されるようなものまで多岐に渡る[51]。また、ミラノの共和国広場で友人と車に乗りながらおもちゃの銃を宙に向け連射したり[52]ブレシアの女性刑務所に弟とともに車で許可無く立ち入ったり[53]、マンチェスターで交通違反を繰り返したり[54]と警察の厄介になることも多い。特にマンチェスターでの交通違反ではシティ移籍後の9ヶ月で1万1000ユーロ(約130万円)の罰金と27回のレッカー移動を受け、バロテッリの愛車のマセラティは警察からマークされている[54]

これらの問題行動からマルコ・マテラッツィによりロッカールームに叩きつけられ顔を殴られたり[2]、2011年5月にはシティのチームメイトであるヤヤ・トゥーレカルロス・テベスから愛車のマセラティを小麦粉まみれにされ、スパイクを天井に張り付けられるなど、チームメイトから制裁を受けている[55]

これらの問題行動は、バロテッリが黒人であるために幼い頃から受けてきた差別の反動、注目を求めてのものだという分析もある[2]。バロテッリ自身は自分が「シャイな人間で、楽しむことが好きな普通の若者」であるとし[56]、また自身を巡る報道については「気にしない」とする一方で、事実ではないことが混ざっていることにも言及し[56]、上述のマンチェスター・ダービーではTシャツのメッセージでメディアに反抗している。

一方でカジノで25000ポンドを儲けた帰り際にホームレスに1000ポンド(約13万5千円)を施したり、また普段から雑誌売りの少年に、雑誌を受け取ることなく20ポンドを渡したりという一面もある[57]

また自身が子供の頃に人種差別に遭った経験からいじめには敏感で、2011年5月には平日にも練習場を訪れていた少年がいじめにより不登校になっていることを知ると、その少年と母と共に少年の学校に直行し、いじめた子供たちを叱責して和解させている[58]

サッカーの面では、ロナウドを自身のアイドルであるとしている[59]。また自身の才能を強く自覚しており[2]リオネル・メッシを「自分より少し上」と表現したこともある[25]

評価

ロベルト・マンチーニとは互いに強く信頼し合っている

若くしてトップリーグで活躍した才能は高く評価され神童と称される一方で、前述のような度重なる問題行動から、問題児としても認識されている[2][59]

ロベルト・マンチーニクラウディオ・ラニエリはその才能を「世界最高の選手になりうる」と高く評価している[60][61]が、その一方で精神的な成長を求める声も多い[62][63][64]チェーザレ・プランデッリもバロテッリを「現代的な選手で、センターだけでなくサイドができ、あらゆる要素が揃っている」と評価するものの[65][66]、「足りないのは冷静さだけ」であるとしている[65]。インテルの会長であるマッシモ・モラッティはバロテッリの性格は「個性であり、変わらないであろう」とする一方で、「その個性には自己証明への継続的なモチベーションなど、ポジティブな側面もある」と自身の考えを述べている[66]

インテル、マンチェスター・シティで監督としてバロテッリを指導したマンチーニはその問題行動に怒りを表すこともあるものの[27][67] 、その才能を高く評価しており[68][60]、イタリア代表を担う存在になると評している[69]。マンチーニはバロテッリの性格を「予測不可能」でそれがプレーにも生かされていると分析する[68]一方で、バロテッリに精神的な成熟を求め[60]、教育する方針を示していた[67]。2011-12シーズンに入ってからは精神的な落ち着きを手に入れ、あらゆる面で成長したと評価している[69]。プランデッリやカルロ・アンチェロッティも、その精神的な成長はマンチーニの影響によるところが大きいと述べている[61][66]。また、バロテッリ自身もマンチーニを「父親のような存在」と話し、互いに強く信頼し合っていることを明かしている[59]

所属クラブ

獲得タイトル

クラブ

イタリアの旗インテル
イングランドの旗マンチェスター・シティ

個人

  • ゴールデン・ボーイ賞 : 2010

個人成績

クラブ

クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
インテル 2007-08 45 11 3 4 4 0 0 15 7
2008-09 45 22 8 2 0 6 1 31 10
2009-10 45 26 9 5 1 8 1 40 11
通算 59 20 11 5 14 2 86 28
マンチェスター・シティ 2010-11 45 17 6 5 1 6 3 28 10
2011-12 45 5 5 0 0 1 1 8 7
通算 22 11 5 1 7 4 36 17
総通算 81 31 16 6 21 6 122 45

代表

イタリア代表での得点
# 日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2011年11月11日 ポーランドの旗 オリンピックスタジアム、ヴロツワフ ポーランドの旗 ポーランド
0 – 1
0 – 2
親善試合

脚注

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