ジョルジョ・ナポリターノ
ジョルジョ・ナポリターノ Giorgio Napolitano | |
任期 | 2006年5月15日 – 2015年1月14日 |
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首相 | シルヴィオ・ベルルスコーニ ロマーノ・プローディ シルヴィオ・ベルルスコーニ マリオ・モンティ エンリコ・レッタ マッテオ・レンツィ |
任期 | 1996年5月17日 – 1998年10月21日 |
首相 | ロマーノ・プローディ |
任期 | 1992年6月3日 – 1994年4月14日 |
出生 | 1925年6月29日 イタリア王国 カンパニア州ナポリ県ナポリ |
死去 | 2023年9月22日(98歳没) イタリア共和国 ラツィオ州ローマ県ローマ[1] |
政党 | イタリア共産党 (1945-1991) 左翼民主党 (1991-1998) 左翼民主主義者 (1998-2006) 無所属 (2006-現在) |
配偶者 | クリオ・マリア・ビットーニ(1959年-2023年) |
署名 |
ジョルジョ・ナポリターノ(イタリア語: Giorgio Napolitano、1925年6月29日 - 2023年9月22日)は、イタリアの政治家。 第11代大統領。
内務大臣(第1次ロマーノ・プローディ内閣)、代議院議長、元老院議員、代議院議員(11期)、イタリア共産党(PSI)代議院議員団長を歴任。
概要
[編集]1925年生まれ。カンパニア州ナポリ県ナポリ出身。ナポリ大学法学部卒業。
舞台芸術に関心を持ち、ナポリの小劇場で俳優として舞台活動を行う。また「トマッゾ・ピニヤッチェリ」のペンネームで、ナポリ方言のソネット集を出版している。
第2次世界大戦中はイタリア民主共和党員として、ファシスト党に対抗するべくレジスタンス活動に参加した。
1945年にイタリア共産党に入党し、ナポリの共産党青年団の指導者として活動した。1953年、ジョルジョ・アメンドラの後継者として代議院(下院)選挙に出馬、当選した。1967年に共産党の指導部委員(幹部会員)および書記局員になった[2]。欧州連合の父の一人[3]となった共産党系会派・共産主義グループ所属[4]の欧州議会議員アルティエロ・スピネッリとは盟友であり、何度か演説でも触れ、スピネッリの評伝も書いている[5]。
1992年から1994年まで下院議長を務め、1996年にはプロディ政権で内相を務めた[6]。
2006年、大統領に就任。初の共産党出身の大統領であった。任期が切れる2013年5月をもって退任する予定であったが、2013年イタリア総選挙後に議会は混乱を極め、後任候補として浮上したフランコ・マリーニ元上院議員やロマノ・プローディ元首相らは、議会の上下両院合同会議において大統領選出に必要な票数を獲得できなかった[7][8]。
このためナポリターノ続投との声が上がるが、87歳という高齢であったため本人は当初これを固辞した。しかし、議会各派指導者たちがこぞって続投を要請したため渋々これを受諾し、4月20日に6回目の投票で再選された。2期目を務めるイタリア大統領は彼が初めてである[9]。しかしナポリターノは1年8か月後、89歳の身にはもはや限界と2期目の任期途中で辞任したが、歴代最長となる約9年間大統領を務めた[6]。
ウンベルト2世に身体的な特徴が似ており、行儀が慎重なことから「ウンベルト王」という渾名をつけられた。また、共産主義者であった事から「赤い王子」とも呼ばれていた。
歴史問題についても積極的に発言しており、第2次大戦中の1943年から1945年にかけて、ユーゴスラヴィアのイストリアとダルマツィアで行われたイタリア人住民に対する集団虐殺と「フォイベ」と呼ばれる洞穴への虐殺体遺棄、さらにイタリア人が強制追放されたことに言及した際には、クロアチア政府から抗議を受けた[10]。
2023年9月22日、ローマの病院で死去[11][6]。98歳没。翌年9月10日には妻のクリオ・マリア・ビットーニもナポリターノの後を追い、死去[12]。
略歴
[編集]- 1945年 - イタリア共産党入党
- 1953年 - 代議院議員選挙(イタリア共産党公認)当選。
- 1981年 - 党代議院議員団議長就任。
- 1986年 - 代議院対外政策・国際問題委員会議長就任。
- 1989年 - 欧州議会議員当選。
- 1992年 - 代議院議長就任。
- 1994年 - 代議院放送分野再編特別委員会議長就任。
- 1996年 - 内務大臣(第1次ロマーノ・プローディ内閣)就任。
- 1999年 - 欧州憲法委員会議長就任。
- 2005年 - 元老院議員就任。
- 2006年 - 大統領就任。
- 2013年 - 大統領に再選。
- 2015年 - 1月14日付で大統領を辞任。
- 2023年 - 9月22日、死去。
脚注
[編集]- ^ “Addio Giorgio Napolitano, presidente emerito” (イタリア語). Il Sole 24 ORE (2023年9月22日). 2023年9月22日閲覧。
- ^ 山崎功「訳者あとがき」204頁(『イタリア共産党との対話』、岩波新書、1976年)
- ^ “The Founding Fathers of the EU”. 欧州連合. 2014年2月16日閲覧。
- ^ “Altiero SPINELLI”. Europa. 2016年1月1日閲覧。
- ^ GiorgioNapolitano,AltieroSpinelliel・Europa,ilMulino,2007
- ^ a b c “イタリアのナポリターノ前大統領が98歳で死去 政界の「キング」”. 朝日新聞デジタル (2023年9月23日). 2023年9月23日閲覧。
- ^ “伊民主党、大統領にプローディ氏擁立-妥協策を断念”. bloomberg.co.jp (ブルームバーグ). (2013年4月19日) 2013年4月20日閲覧。
- ^ “議会、第1回投票で大統領選出できず マリーニ元上院議長の得票数必要数下回る”. ロイター (ロイター). (2013年4月18日) 2013年4月20日閲覧。
- ^ “伊大統領、異例の続投…6回目投票で再選”. 読売新聞. (2013年4月20日) 2013年4月20日閲覧。
- ^ http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/2007/02/post_56be.html
- ^ “ジョルジョ・ナポリターノ氏死去 前伊大統領、98歳”. 時事ドットコム (2023年9月23日). 2023年9月23日閲覧。
- ^ Bulleri, Andrea (2024年9月11日). "La scomparsa di Clio, first lady discreta al fianco di Napolitano per 64 anni". Il Messaggero (イタリア語). Caltagirone Editore. 2024年9月17日閲覧。
関連文献
[編集]- エリック・J. ホブズボームとの共著『イタリア共産党との対話』 山崎功訳、岩波書店〈岩波新書〉、1976年
- Giorgio Napolitano "Intervista Sul PCI", a cura di Eric J. Hobsbawm, Larerza 1976.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 カルロ・アツェリオ・チャンピ |
大統領 第11代:2006 - 2015 |
次代 セルジョ・マッタレッラ |
先代 ジョヴァンニ・リナルド・コロナス (en) |
内相 第32代:1996 - 1998 |
次代 ローザ・ルッソ・イェルボリーノ (en) |
議会 | ||
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代議院議長 1992 - 1994 |
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