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マルコ・モッタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルコ・モッタ
ウディネーゼ時代(2008年)
名前
ラテン文字 Marco Motta
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1986-05-14) 1986年5月14日(38歳)
出身地 メラーテ
身長 186cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム キプロスの旗 オモニア・ニコシア
ポジション DF (RSB)
利き足 右足
ユース
2000-2004 イタリアの旗 アタランタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005 イタリアの旗 アタランタ 19 (0)
2005-2009 イタリアの旗 ウディネーゼ 36 (1)
2007-2008 イタリアの旗 トリノ (loan) 24 (1)
2009-2010 イタリアの旗 ローマ 29 (0)
2010-2015 イタリアの旗 ユヴェントス 24 (0)
2011-2012 イタリアの旗 カターニア (loan) 13 (0)
2012-2013 イタリアの旗 ボローニャ (loan) 19 (1)
2014 イタリアの旗 ジェノア (loan) 13 (0)
2015 イングランドの旗 ワトフォード 9 (0)
2016 イングランドの旗 チャールトン 12 (0)
2017-2018 スペインの旗 アルメリア 46 (3)
2018-2019 キプロスの旗 オモニア 0 (0)
2020- インドネシアの旗 プルシジャ・ジャカルタ 0 (0)
代表歴2
2001-2002 イタリアの旗 イタリア U-16 3 (2)
2002-2003 イタリアの旗 イタリア U-17 14 (4)
2003 イタリアの旗 イタリア U-18 5 (0)
2003-2004 イタリアの旗 イタリア U-19 6 (0)
2004-2005 イタリアの旗 イタリア U-20 1 (0)
2005-2009 イタリアの旗 イタリア U-21 36 (1)
2008 イタリアの旗 イタリア オリンピック 6 (0)
2010 イタリアの旗 イタリア 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年7月25日現在。
2. 2013年7月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルコ・モッタMarco Motta, 1986年3月14日 - )は、イタリアロンバルディア州メラーテ出身のサッカー選手オモニア・ニコシア所属。ポジションはDF(右サイドバック)。

経歴

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出身地と同じロンバルディア州に本拠地を置くアタランタBCユースチームに入団し、その後トップチームデビュー。

2005年よりアタランタとウディネーゼ・カルチョの共同保有となり、2007年に完全移籍した。その後、8月3日トリノFCレンタル移籍し、2009年1月2日には故障などによるDF不足に苦しむASローマにレンタル移籍した。2月24日アーセナルFC戦でUEFAチャンピオンズリーグ初出場を果たす。7月1日、移籍金350万ユーロ・3年契約の共同保有で移籍した。しかし、2009-10シーズンマルコ・カッセッティの控えに甘んじ、シーズン終了後にウディネーゼに復帰した。

2010年7月5日にレンタルでユヴェントスFCに移籍。右サイドバックのポジションを獲得し22試合に出場したが、後半戦はフレデリク・ソーレンセンの台頭もあって出場機会が減少した。2011年6月22日、移籍金375万ユーロでユヴェントスに完全移籍した。

しかしアントニオ・コンテ監督就任後は、ステファン・リヒトシュタイナーとの競争に敗れ構想外になった。

2012年1月30日カルチョ・カターニアに半年のレンタル移籍。7月19日には、ボローニャFCに1年間のレンタル移籍が決まった[1]2014年1月23日にはジェノアCFCへ半年のレンタル移籍が決まった。

2015年2月2日、ユヴェントスとの契約を解除。2月26日ワトフォードFCに加入した[2]

2016年2月12日チャールトン・アスレティックFCとシーズン終了までの契約を交わした。

2017年1月31日UDアルメリアに2019年までの契約で加入した。

2018-19シーズンより、キプロス・ファーストディビジョンオモニア・ニコシアと2年契約を締結した[3]

代表歴

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2005年にイタリアU-21代表に選出され、30試合以上に出場しキャプテンも務めた。2008年北京オリンピックに出場し、グループリーグでは韓国戦の1試合に出場した。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦には先発出場したが、2-3で負けていた81分にGKアンドレア・コンシーリと交代した。2009年3月22日にはローマでの活躍が認められフル代表に初招集されるも、出場機会はなかった。

2010年8月10日チェーザレ・プランデッリ新監督の初戦となるコートジボワール戦に出場し、フル代表デビューを果たす[4]

エピソード

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  • ウディネーゼに加入して数ヶ月の時、イタリアの名DFだったパオロ・マルディーニの父でACミランでスカウトを務めるチェーザレ・マルディーニに「パオロの系譜を継ぐ者」と高く評価され、「パオロ・マルディーニは自分のアイドルだから、とても嬉しい」と語った[5]
  • 2009-10シーズンのセリエA第6節カターニャ戦ではファールすれすれの激しいプレーを行い、試合終了直後には相手FW森本貴幸が激高し髪を鷲掴みにするなど、乱闘寸前になった[6]

タイトル

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クラブ

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ユヴェントス

代表

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イタリア U-21

個人

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脚注

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  1. ^ Goal.com (2012年7月20日). “ボローニャがユーヴェDFらを獲得”. 2012年7月20日閲覧。
  2. ^ Goal (2015年2月27日). “ユーヴェ退団のモッタ、イングランド2部ワトフォードに加入”. 2015年3月2日閲覧。
  3. ^ Calciomercato, Omonia Nicosia: Marco Motta ufficiale per le prossime due stagioni”. Goal.com (2018年7月16日). 2018年7月25日閲覧。
  4. ^ UEFA.com (2010年8月10日). “プランデッリ新体制のイタリア、黒星発進”. 2010年8月11日閲覧。
  5. ^ uefa.com (2006.1.3). “2006年注目の選手:イタリア”. 2009年9月29日閲覧。
  6. ^ サンスポ (2009年9月29日). “先制弾&闘!カターニア・森本が大暴れ!”. 2009年9月29日閲覧。

外部リンク

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