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「東京都立松沢病院」の版間の差分

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精神科22405384 2008年10月18日 (土) 14:52の版から転記
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*社団法人[[日本消化器内視鏡学会]]:消化器内視鏡専門医 2人
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*有限責任中間法人[[日本神経学会]]:神経内科専門医 3人
*有限責任中間法人[[日本神経学会]]:神経内科専門医 3人

== 精神科病院での死亡率 ==
立津政順は1958年に「戦争中の松沢病院入院患者死亡率」(精神神経科学雑誌、60:596-605,1958)を発表し、特に敗戦の年1945年には東京都立松沢病院に在籍した1,169名(年初在院668名、年間入院501名)中、478名が死亡し、年間在籍患者数にたいする死亡率が40.9%にのぼっていると発表した。岡田靖雄はその他の病院の死亡率をも検討し、「戦前の精神科病院における死亡率」近代庶民生活史、20,病気・衛生226-240,三一書房,1995. において、死亡率に影響を与える要因として次のことを挙げている。1)病院経営が安定すると死亡率が減少する。2)太平洋戦争前は米価が上がると脚気による死亡率が上がると述べている。それは赤痢、腸チフス、流行性感冒より影響が大であった。第3に患者の入院費用種目であるが、しかし終戦直後の食料不足による栄養障害が最も重要で,松沢病院では62.3%が栄養障害による,そして1000カロリー以下のことも多かったのではないかとしている。


== 交通アクセス ==
== 交通アクセス ==

2008年10月18日 (土) 14:57時点における版

都立松沢病院
情報
正式名称 東京都立松沢病院
前身 東京府癲狂院
標榜診療科 精神科総合
許可病床数 1352床
一般病床:90床
精神病床:1262床
開設者 東京都
管理者 岡崎祐士
開設年月日 1879年明治12年)7月
所在地
156-0057
特記事項 精神科応急入院指定病院
PJ 医療機関
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東京都立松沢病院(とうきょうとりつまつざわびょういん、東京都世田谷区上北沢2-1-1)(英名:Tokyo Metropolitan Matsuzawa Hospital)は、1352床(註:2008年8月1日現在)を持つ都立病院。精神科を中心として、内科神経内科外科整形外科脳神経外科放射線科麻酔科歯科等の診療科を持つ総合病院。成年者の治療が主であり、未成年者の場合は、都立梅ヶ丘病院を紹介する。

東京都の精神科応急入院指定病院でもある。

措置入院用の施設も備えてある。

沿革

1879年明治12年)7月に当時の東京府上野に建てられた東京府癲狂院(てんきょういん)をその起源とする。その後1881年明治14年)8月本郷区向ヶ丘、1886年明治19年)6月小石川区巣鴨駕籠町に移転。1889年明治22年)に東京府巣鴨病院と改称。1919年大正8年)11月7日荏原郡松沢村に移転し、東京府松沢病院になった。1943年昭和18年)7月の都制開始とともに現在の名称になる。

年表

1879年(明治12年)7月 }} - 東京府上野に「東京府癲狂院」として開院

1881年(明治14年)8月 }} - 東京府本郷区向ヶ丘に移転。

1886年(明治19年)6月 }} - 東京府小石川区巣鴨駕籠町に移転。

1889年(明治22年) }} - 「東京府巣鴨病院」と改称。

1919年(大正8年)11月7日 }} - 東京府荏原郡松沢村に移転、「東京府松沢病院」となる。

1943年(昭和18年)7月 }} - 東京都発足とともに現在の名称に改称。

保険指定施設

認定病床数

診療科等

認定専門医人数

精神科病院での死亡率

立津政順は1958年に「戦争中の松沢病院入院患者死亡率」(精神神経科学雑誌、60:596-605,1958)を発表し、特に敗戦の年1945年には東京都立松沢病院に在籍した1,169名(年初在院668名、年間入院501名)中、478名が死亡し、年間在籍患者数にたいする死亡率が40.9%にのぼっていると発表した。岡田靖雄はその他の病院の死亡率をも検討し、「戦前の精神科病院における死亡率」近代庶民生活史、20,病気・衛生226-240,三一書房,1995. において、死亡率に影響を与える要因として次のことを挙げている。1)病院経営が安定すると死亡率が減少する。2)太平洋戦争前は米価が上がると脚気による死亡率が上がると述べている。それは赤痢、腸チフス、流行性感冒より影響が大であった。第3に患者の入院費用種目であるが、しかし終戦直後の食料不足による栄養障害が最も重要で,松沢病院では62.3%が栄養障害による,そして1000カロリー以下のことも多かったのではないかとしている。

交通アクセス

関連項目

外部リンク

東京都立松沢病院