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'''鉄道事故'''(てつどうじこ)[[列車]]の運転においておきた[[事故]]である。


事故と称するケースは、遅延などの日常頻繁に起こる小規模なアクシデントから、死者がでる大惨事までさまざまだが、日本において特に鉄道事故という場合は、死傷者が出たり、衝突、脱線、火災などの規模の大きな事故を指すことが多い。
事故と称するケースは、遅延などの日常頻繁に起こる小規模なアクシデントから、死者がでる大惨事までさまざまだが、日本において特に鉄道事故という場合は、死傷者が出たり、衝突、脱線、火災などの規模の大きな事故を指すことが多い。

2005年5月17日 (火) 10:34時点における版

鉄道事故(てつどうじこ)は列車の運転においておきた事故である。

事故と称するケースは、遅延などの日常頻繁に起こる小規模なアクシデントから、死者がでる大惨事までさまざまだが、日本において特に鉄道事故という場合は、死傷者が出たり、衝突、脱線、火災などの規模の大きな事故を指すことが多い。

雨や雪などで休止や遅延が発生した場合には、鉄道事故ではなく、輸送障害と呼ばれる。

概要

鉄道は大人数輸送、高速運転、定時運行が特徴であり、そのため一旦事故を起こすと、多くの被害者、社会的影響を与える。また鉄道事故件数は近年減少しているものの、些細なものも含めて年間500件以上起きており、そのうち約半数近くが踏切障害事故である。

脱線事故

軌道を脱線した事故。ただ単に脱線した場合は被害が小さいが、横転、転覆した場合には被害が大きくなる。2000年の日比谷線事故を契機に半径200m以下のカーブに脱線 防止ガードを設置が義務化された。

衝突事故

他の車両、構造物(車止め)などに衝突、あるいは接触した事故。

鉄道火災

列車内で火災が発生した事故。難燃・不燃化が進められている。

踏切障害事故

踏切における車両、人との事故。

人身障害・物損事故

主な鉄道事故(日本国内)

第二次世界大戦前・戦中

新橋駅構内列車脱線事故

新橋駅構内で横浜からの列車が到着する際、ポイント通過時に機関車貨車1両が脱線し転覆。負傷者なし。以後終日運休となった。原因はポイントの故障とされる。日本最初の鉄道事故。

西成線安治川口駅構内列車転覆火災事故

西成線(現桜島線安治川口駅構内で、駅員の誤操作により列車通過中にポイントが転換したため、通勤旅客で満員のガソリンカー3両編成が脱線転覆。燃料のガソリンへの引火による火災が発生し、181人が死亡した。この事故から、引火しやすいガソリンを鉄道車輌に使用することの危険性が指摘されるとともに、より安全なディーゼル動車の開発が進められたが、戦争に向かう時代の中、燃料統制によりガソリンカーの使用は縮小し、ディーゼル動車の開発も中断されることになった。なお、西成線では、事故後ガソリンカーの使用を中止し、急遽電化工事が行われた。


昭和20年代(1945~1954)

肥薩線列車退行事故

肥薩線吉松駅-真幸駅間の第二山の神トンネル内において、蒸気機関車牽引の上り列車がトンネル内の勾配を登り切れず停止。窒息を逃れようと降りた乗客がトンネル内を歩いていたところ、窒息防止のため後退した列車に轢かれ53人(異説あり)が死亡。復員兵などで超満員であった列車に粗悪な石炭という悪条件、乗客への案内の不備、戦争による運行システムの疲弊・劣化が原因。

八高線列車衝突事故

八高線小宮駅拝島駅間に架かる多摩川鉄橋上において上り列車と下り列車が正面衝突。併せて少なくとも105人が死亡するという大惨事になった。原因は、小宮・拝島駅間での列車の運行の連絡不備による人為的なものとされている。また下記のように八高線では、2年後にも184人の死者を出す惨事が発生した。

八高線列車脱線転覆事故

八高線東飯能駅高麗川駅間で客車列車が下り勾配で過速度により脱線・転覆。木造客車の破壊により184人死亡。対策として客車の鋼体化改造が進行。

近鉄生駒トンネルブレーキ故障事故

近鉄奈良線奈良駅上本町駅行の急行電車が、生駒トンネルを走行中にブレーキが効かなくなり、トンネル内からの下り坂を加速・暴走して河内花園駅で前方の普通列車に追突。木造車体がほとんど粉砕され、死者49人?。原因は戦中戦後の酷使の結果、老朽状態で放置されていたブレーキホースの破損とされる。事故電車は、空気ブレーキとしては最も原始的な直通ブレーキ装備車であったため、ホースが破損するとまったくブレーキが効かなくなった。

桜木町事故

(京浜線桜木町駅列車火災事故、桜木町国電火災、国鉄戦後五大事故の一つ)

京浜線の電車が、桜木町駅構内で、碍子交換工事中に誤って切断され垂れ下がっていた架線に接触し、電流の地絡により炎上。死者106人、重傷者92人を出す大惨事となった。被災したモハ63形電車は、重要な安全部品を省略したり粗悪な代用品を使用した、いわゆる「戦時設計車」であり、その致命的欠陥を露呈した形となった。窓は中段を固定した3段構造で脱出不能、扉も非常用コックの位置が分からなかったため開けることができず、車端の貫通路も内開きの開き戸で、満員の乗客の圧力で開けることができなかったため、乗客は脱出路を失い、被害を拡大することとなった。事故後、戦時設計の電車に対し、応急的に車内への防火塗料の塗布、集電装置の絶縁強化、車端部貫通路の整備などの対策が施され、後に徹底的な体質改善工事が実施された。国鉄が、800両にも及ぶ対象車の体質改善工事をわずか2年強で完了したことは、この事故の与えた衝撃の大きさを物語るものといえる。

昭和30年代(1955~1964)

参宮線六軒駅列車衝突事故

現在は紀勢本線に組み込まれた三重県松阪市郊外にある参宮線六軒駅での列車衝突事故。同駅構内で上り列車を退避するよう指令を受けた鳥羽行き下り快速列車が安全側線に進入して脱線転覆し本線を支障。そこに遅れていた名古屋行き上り快速列車が衝突し、機関車と客車が脱線転覆。42人が死亡した。ここは単線区間で、遅れた列車にあわせて運行手順を変更したためにおきた。下り快速列車に乗車していた修学旅行中の学生が多数犠牲になった。

三河島事故

(常磐線三河島駅列車多重衝突事故、国鉄戦後五大事故の一つ)

常磐線三河島駅構内で支線から本線に進入しようとした貨物列車が赤信号の見落としにより安全側線に進入し脱線、本線を支障したところに本線の上下列車が相次いで衝突した。衝突した列車は脱線、大破し、一部の車両が高架から落下、また、線路上を避難中の乗客に、後続車両が衝突し、死者160人を出す大惨事になった。この事故の教訓から、自動列車停止装置(ATS)が、計画を前倒しにする形で国鉄全線に設置されるとともに、常磐線に乗り入れる全列車を対象に列車防護無線装置が装備された。未だに身元不明の犠牲者が一人おり、駅近くの寺に無縁仏として葬られている。

羽越本線羽後本荘~羽後岩谷間正面衝突事故

羽越本線羽後本荘駅羽後岩谷駅間で下り単行機関車(SL)と上り貨物列車(DL牽引)が正面衝突。貨物列車の乗務員2名が殉職した。事故の原因は、遅延に伴う行違いの変更を確認せずに羽後本荘駅が下り列車を発車させた事による。事故現場付近に信号場を設置予定だったが、この事故が原因となり複線化へと計画が変更された。
なお、この事故は参議院運輸委員会で議題に上がっている。[1]

鶴見事故

(東海道線鶴見列車多重衝突事故、国鉄戦後五大事故の一つ)

東海道本線鶴見駅新子安駅間で、貨物線(現在の横須賀線線路)走行中の下り貨物列車後部の2軸貨車が競合脱線したところへ隣の東海道線線路を走っていた横須賀線の列車が上下方向から突っ込んで衝突し、161人死亡。事故後、北海道の根室本線狩勝峠旧線(新得~新内)で脱線原因の調査対策が総合的に行われた。国道38号線沿線に実験跡が残っている。

昭和40年代(1965~1974)

営団地下鉄(現 東京メトロ)日比谷線神谷町駅車両火災事故

主制御器故障で回送中の東武鉄道の車両が、電気ブレーキ作動状態で走行したため、主抵抗器が過熱発火して火災を起こした。回送中のため死者は発生しなかったが、可燃性の車両部品の使用が見直され、翌年運輸省が耐火基準を強化するきっかけになった(いわゆるA-A基準)。この基準は世界的に見ても厳格なもので、以後の鉄道火災事故防止に貢献している。

富士急電車脱線転覆事故

富士急行大月線月江寺駅富士吉田駅方踏み切りで、河口湖駅大月駅行き電車(富士急行3100形2両編成)がトラックと衝突してブレーキが故障し、月江寺駅暮地駅(現寿駅)間の4駅を通過して、暮地駅(現寿駅)~三つ峠駅間(最急40‰の下り勾配)のカーブを猛スピードのまま、進行左の沢に転落し、死者16名、負傷者70名を出した。

近鉄特急正面衝突事故

(青山トンネル事故)

上本町発近鉄名古屋行き特急(特急114列車)が、ATS故障のため青山トンネル東側(伊勢方)の坑口数百メートル手前で自動停止してしまった。運転士は警報ベルを止めてブレーキをゆるめようとしたが非常制動による停止のためにブレーキが緩まず、運転士はやむをえず下車して車両点検したもののATSの解除ができず、運転士は転動防止のために車両に車止め(スコッチブロック)をかまし、ブレーキコックを操作してブレーキの空気溜まりの空気を全部抜きブレーキに空気が供給できないようにした。(ノーブレーキ状態)こうしてブレーキを緩ませ大阪の司令所に連絡してATS故障時の規則に従い東青山駅の助役の添乗のもと電車を発車させた。
しかし、これが間違った操作となってノーブレーキ状態で列車は東青山駅を暴走して通過、青山峠越えの近鉄大阪線榊原温泉口東青山間にあった垣内信号所の安全側線に突っ込み、車止めを破壊し総谷トンネル西側入り口の壁に激突。その列車におりから総谷トンネルを出ようとしていた賢島発京都・難波行き特急(特急1400N列車)が衝突し、死者25名(うち乗務員3名)負傷者255名を出す大惨事となった。
この事故をきっかけに、近鉄はかねてより予定していた大阪線の完全複線化を前倒しして新たに複線用トンネルを掘り、西青山駅・東青山駅を移転。この工事は1975年に完成し、かつての青山峠越えの旧駅などは廃棄された。
実際は垣内信号所で起こった事故であるが一般には「青山トンネル事故」とも呼ばれる。

北陸線北陸トンネル列車火災事故

(急行「きたぐに」火災)

北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行き客車急行列車「きたぐに」の食堂車床下から火災が発生し、規定に基づいて停車したところ火勢があがり架線が溶けて切れた。長大トンネル内で電気の供給を絶たれて立ち往生することとなった。そのため、炎上した車両を切り離して脱出することもかなわず、列車の一部(オシ17の前後数両)が全焼し、当時車両軽量化のため多用されていた「新建材」(可燃性プラスティック)から有毒な煙が発生し、その煙に巻かれ30名死亡。この事故を教訓に、地下鉄や長大トンネルを走る車両の難燃化・不燃化の基準が改訂され、車両の防火対策が進められた。更に実際に車両を燃やして行った実験で「いかなる場合でも直ちに停車する」より「トンネル内火災時には停止せずそのまま走行しトンネルを脱出する」ほうが安全であることが証明されたため、運転マニュアルを改めた。
「きたぐに」事故の数年前にも北陸トンネル内で列車火災が発生したが、この列車の乗務員は当時の規則を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。このため死者・負傷者を生じさせなかったが、国鉄上層部はこの事例を閑却していた。

昭和50年代(1975~1984)

信越線軽井沢駅-横川駅間回送機関車脱線転落事故

信越本線軽井沢横川間上り線で、単行機関車列車(回送列車)列車番号単5462列車(4両編成、EF63 5,9+EF62 12,35)が下り勾配でブレーキが利かなくなり、スピードが超過したため、脱線転落した事故。乗務員三名が重軽傷を負ったが、早朝の回送列車だったため、乗客の死傷者は発生しなかった。
事故がおきたのは、午前6:16ごろ。信越線上り線第一トンネル内で暴走し、出口付近で脱線した後、脱線転覆した。この区間は、最大66.7の急勾配のため、下り勾配を走行するEF63は、発電ブレーキという抑速ブレーキを作動させながら、車輪を空転させないように下りてくる。それが、何らかの原因で正常に作動しなかったものと見られ、制限速度を20Km/h以上超過した速度に達した後、脱線した。この事故を教訓に、EF63全車両にOSR(過速度検知装置)を取り付けた。

阪急六甲駅列車衝突事故

阪急神戸本線六甲駅構内で、本線に出てきた上り回送列車(山陽電鉄の車両)に、同駅を通過しようとした梅田行き特急(阪急電鉄の車両)が衝突した事故。回送列車の運転士(山陽電鉄の運転士)が故意にATSのスイッチを切り、車掌の合図と信号を無視して発車したのが原因。また事故時には、反対方向へ向かう普通列車が同駅に向かって走行しており、衝突した特急列車の運転士(阪急電鉄の運転士)が異常を知らせるために重傷を負いながらも線路上を大阪方へ向かって走ったことにより、二次的事故を免れたとされる。
業務上過失傷害現行犯で回送列車の運転士は逮捕された。また、その回送列車に乗務していた車掌は、事故を未然に防げなかったという自責の念に駆られ、事故から11日後に山陽電鉄線内で飛び込み自殺をした。大阪陸運局(現在の近畿運輸局)が特別保安監査を行ったところ、安全教育の不徹底が指摘され、山陽電鉄に対して業務改善命令が出された。
その後、1998年阪神電鉄と山陽電鉄が阪神梅田山陽姫路間の相互乗り入れを開始した際、山陽電鉄は阪急線への乗り入れを、阪急電鉄は山陽線への乗り入れを中止。以降、山陽電鉄は阪急三宮駅で、阪急電鉄は神戸高速鉄道新開地駅で折り返す形となった。これは事故との因果関係はなく、阪急側が自社内の8両編成統一を希望するも、山陽電鉄線は最長6両編成が限界であったため、直通継続を断念したものである。

昭和60年代(1985~1988)

西武鉄道新宿線田無駅追突事故

大雪の田無駅構内に低速で接近した西武新宿行き急行電車(8両編成)のブレーキが効かなくなり、ホームに停車中の準急電車(8両編成)に追突、200名余が負傷した。高速域の空気制動の不使用により車輪とブレーキシリンダの間に雪が挟み込まれたのが原因と言われている。なお、現在事故車両と同型の車両には圧着ブレーキが装備されている。

山陰線余部鉄橋列車転落事故

お座敷列車「みやび」が山陰本線鎧駅餘部駅間にある余部鉄橋を横断中、日本海からの突風にあおられて鉄橋より転落し、真下にあった食品工場を直撃し、工場で働いていた5人と車掌1人が死亡した。列車運行を規制するための風速計の設置が不十分であったことや、地形的な理由などから、列車運行に支障を及ぼす強風を予測しきれずに、列車を運行してしまったことが原因と見られている。事故後、国鉄は運行規制基準を見直し、20m/s以上の風が吹くと列車の運行を停止するようになった。また、余部鉄橋については架け替えが予定されている。

中央線東中野駅追突事故

JR東日本中央緩行線東中野駅において停車中の列車(103系10両編成)に後続列車(201系10両編成)が追突し、後続列車の運転士と乗客1名が死亡、116名が重軽傷を負ったもの。ATSを装備していた線区であるにも関わらず列車が停止しなかった原因は、当時のATS-Bでは作動しても確認動作さえすれば低速で進行して良いという運転規則があり、列車の遅れを回復しようとした運転士がこれに従い進行したために、見通しが悪く下り坂の現場で事故が起きたと見られる。この事故を契機に首都圏の稠密ダイヤ線区では、速度パターン照合により確認動作後も確実に強制停止させられる新型のATS-Pへの切替が進んだ。なお、この事故により201系電車で初の廃車が出た。

平成元年以降(1989~1997)

飯田線北殿駅列車正面衝突事故

JR東海飯田線北殿駅において、停車中の天竜峡発長野行下り列車に上諏訪発天竜峡行上り列車が衝突し、多数の高校生が負傷した。原因は上り列車が赤信号を通過したため、列車行き違いの駅でポイントが切り替わらないうちに上り列車が駅構内に入ったためで、この事件により、JR各社のATSに、運転手が赤信号の確認ボタンを押しても、赤信号を通過すると強制的に非常ブレーキがかかる機能を追加された。

信楽高原鐵道列車衝突事故

滋賀県の信楽高原鐵道信楽線で、出発信号が赤であるにもかかわらず、対向列車の有無を確認を怠って自社の列車を発車させたため、小野谷信号場~信楽間の単線区間で乗り入れてきたJR西日本の臨時快速列車と正面衝突し、42名死亡。信号の不具合の遠因はJR西日本の信号制御の改造と両社の意思疎通の欠如にあったため、遺族が両社を相手取って提訴、1999年の一審で両社の過失認定判決。JR西日本のみ控訴したが2002年の控訴審でも同社の過失を認定し判決が確定した。 
参考記事:京都新聞リポート 「赤信号で走った列車~信楽高原鉄道事故の真相」

関東鉄道列車暴走事故

関東鉄道常総線取手駅構内において、入線してきた上り列車4両編成のブレーキがかからず車止めに激突、そのまま駅ビルに突入した事故。乗客1人が死亡。原因はブレーキ故障で、非常ブレーキも一駅手前の西取手駅で作動させた後に適切な復元がなされず、常用・非常の両系統のブレーキが作動しなかった。

東海道新幹線三島駅乗客転落事故

JR東海東海道新幹線三島駅で、東京名古屋行「こだま475号」(0系電車16両編成)の6号車ドアに指を挟まれた高校生が列車に引きずられてホーム下に転落、死亡した。列車の車掌とホームの係員が高校生の指挟みに気付かず、またドアの隙間がわずかであったために運転席の戸閉ランプが点灯したことで運転士も気が付かず、そのまま列車が発車したことが原因である。
ドアに衣服などをはさまれ、そのまま発車した列車に引きずられるという同様の事故は、これ以前にも新幹線でも起こっていた。新幹線での死亡事故はこれが開業以来初めてであり、新幹線の安全神話の1つが崩れた。また、この事故を教訓に、旅客に対しホームに設置されている列車非常停止ボタンの扱いを公開したり、駅構内の監視カメラを増設するなど、安全対策を整備するきっかけになったともいえる。

東海旅客鉄道東海道本線沼津駅~片浜駅間列車衝突事故

JR東海東海道本線沼津駅片浜駅間で、停車中のJR貨物のコンテナ貨物列車に三島駅発静岡駅行き普通列車が追突し、43人が負傷したもの。先行貨物列車が踏切支障検知装置が作動したため停車中であったところ、後続の普通列車は赤信号によりいったん停車したあと規定の1分後に無閉塞運転を開始した。その後先行列車の運転士が踏切支障検知装置をリセットしたため後方の信号が進行を示し、後続列車が加速したため停車中の貨物列車に追突した。
JR東海ではこれを機に列車指令の指示を受けない無閉塞運転の扱いを中止したほか、JR東日本でも同様の処置がとられたが、追随しなかったJR九州では2002年3月に同様の事故を起こすことになった。
事故後、記載者が現場にて確認したが、下り線の南隣に長い側線があり、当該運転士は夜間のため視界が悪く、停車中の貨物列車がこの側線に停車しているものと誤認識した可能性もあるのではないかと考えている。

中央線大月駅列車衝突事故

JR東日本中央本線大月駅構内で、下り本線を通過中の特急「スーパーあずさ13号」(E351系・12両編成)の側面に、待避線から下り本線上に進入してきた回送列車(201系・6両編成)が衝突、脱線。
回送列車の運転士が、構内での入換作業のためにATSを解除した後、入換信号機の停止現示を見落として誤出発したのが事故の原因とされる。
JR東日本ではこの事故を契機に、ATSの解放スイッチが安易に操作されないようにするため、スイッチに封印カバーが施された。

平成10年以降(1998~ )

土佐くろしお鉄道中村線列車衝突事故

9時15分頃、土佐くろしお鉄道中村線西大方駅古津賀駅間で、窪川発宿毛行普通列車(1両編成・乗客約40人)がエンジン故障で立ち往生した。この列車を救援するため中村駅から向かった救援列車が停車中のこの列車に衝突した。この事故で、38人が怪我をした。

西武鉄道新宿線踏切衝突事故

西武新宿線新狭山駅南大塚駅間の踏切自動車輸送のトレーラー準急本川越行き2000系が衝突。そのドライバーは踏み切りの先がとても混雑していたのにも関わらず、無理やり横断し踏切を完全に渡り切れなくなってしまい、立ち往生したのが原因である(道路交通法で“立往生する事が明らかである場合には踏切に進入してはならない”と定められている)。17人が軽傷。事故後は、西武新宿線はダイヤの乱れはあったものの、混乱は起こらず、すぐに復旧したが、この後、事故を起こしたトレーラーの運転手自殺した。

営団地下鉄日比谷線(現:東京地下鉄日比谷線)列車衝突事故

地下鉄日比谷線の車両(03系)が中目黒駅に進入する直前に、車両の重量の不均衡など、複数の要因で乗り上がり脱線。脱線した状態のまま駅に進入、線路からはみ出した状態で対向線路の電車(東武20050系)と側面衝突。死者5人、負傷者63人を出す事故となった。事故がラッシュ時間帯であったため、犠牲者、怪我人の数が多かった。前年6月に発足した鉄道事故調査検討会の最初の仕事となり、また航空・鉄道事故調査委員会発足の契機ともなった。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(松岡町)

京福電気鉄道永平寺線の上り列車(1両編成)がブレーキ故障により分岐駅である東古市駅(現在の永平寺口駅)に停車せず、本線に進入、下り本線列車と正面衝突し、上り列車の運転士1人が死亡、両列車の乗客ら24人が重軽傷を負った。ブレーキ故障は、ブレーキを作動させるロッドが老朽化により破断したのが原因であり、同社の車両検査体制が問われた。また、事故車のブレーキ制御系統が1系統しかなく、その故障によって列車全体のブレーキ機構がダウンしてしまったことも事故原因として挙げられており、国土交通省は、ブレーキ系統の多重化等の対策を全国の鉄道事業者に指示した。

新大久保駅ホーム転落死亡事故

山手線新大久保駅で、ホームに居合わせた韓国人留学生とカメラマンが、線路に転落した酔客の救助を試みるも、進入してきた内回り電車(205系11両編成)にはねられ3名とも死亡。この事故を教訓とし、線路上への人などの転落を検出するマットの取り付け、ホームに駆け上がるための非常用ステップの設置、列車緊急停止用ボタンの設置など、駅の安全性を向上させる取り組みが全国的に進んだ。助けようとした二人には後日、感謝状が贈られた。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(勝山市)

京福電気鉄道越前本線保田~発坂間で、勝山発福井行きの上り普通列車と福井発勝山行きの下り急行列車が正面衝突して乗員乗客24名が重軽傷を負った。事故原因は、本来、途中駅で対向する急行列車とすれ違う必要があったのを、普通列車の運転士が信号を確認せず早発したという人為ミスであった。国土交通省と中部運輸局福井運輸支局は、わずか半年で2度もの正面衝突が発生した事態を重視し、翌日からの全線バス代行を指示した。同年7月、「安全確保に関する事業改善命令」が出されたが、同社はその負担に耐えられないとして営業の継続を断念、路線は福井県と沿線市町村が出資する第三セクターえちぜん鉄道に引き継がれた。(2003年7月20日部分開業。10月19日全線開業)

名古屋鉄道新羽島駅電車突入事故

岐阜県羽島市舟橋町宮北1丁目1番地の1の名古屋鉄道羽島線新羽島駅構内で、羽島市役所発新羽島行普通電車(3100系電車2両編成)が車止めに衝突し前部2.5メートルが高架橋終端から突き出て停止した。この事故で運転士と車掌、乗客6名にけがは無かった。 原因は、降雪時に耐雪ブレーキを使用せず,必要な配慮をせずに運転し、氷塊詰まりにより制動力が極端に落ちたものと思われる。事故の影響で当日のみ羽島線全列車が運休した。事故翌日の1月4日、破損した車止めの50m手前に仮の車止めを設置して運転を再開した。この事故を受けて名鉄では気象情報に留意し耐雪ブレーキ使用を指令する、耐雪ブレーキ使用を積雪がレール頭頂側部ではなく線路が隠れたらに変えるに改めた。

九州旅客鉄道鹿児島線海老津駅~教育大前駅間列車衝突事故

JR九州門司港駅荒尾駅行き下り普通列車(7両編成・乗客約180名)が鹿児島本線海老津駅教育大前駅間でイノシシに衝突し停止中、無閉塞運転で進行してきた後続の門司港駅発荒木駅行き下り快速列車(5両編成・乗客約120名)が追突し、合計134名が重軽傷を負った。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の報告によると、追突の経緯は次のとおり:
(1) 先行列車の停止に伴う停止信号によりATSが作動したため後続列車が停止。(2)1分後、15km/hで無閉塞運転による進行開始(規定通り)。(3)中継信号機の進行現示(これは先行列車に対する信号の予告)を自列車のためのものであると誤認し、加速。(4)停止している先行列車に気付き、非常ブレーキを掛けたが間に合わず追突。
直接の事故原因は運転士のミスであるが、ATS作動後も運転士の判断だけで前進が可能な運転規則について、JR東海の類似事故の教訓が生きていない点が指摘された。このため国土交通省鉄道局の指示により、運転士の判断で無閉塞運転を行っている28事業者は同年5月までに「運転指令の指示を受け、運行を開始する」方式に変更した。
また、車両の破損状況の調査結果から、衝突時の車両の安全性向上に関する取組みの強化が指示された。

名古屋鉄道踏切衝突脱線事故

名古屋鉄道名古屋本線新岐阜駅(現名鉄岐阜駅)発豊橋駅行き特急列車(8両編成)の運転士が奥田駅を通過中に前方の踏切の線路上を列車と同方向に走る乗用車を発見。警笛を鳴らすとともに非常ブレーキを掛けたが120km/h近い速度で走行していたため間に合わず、線路上で衝突。300mほど進んで止まった。
当時通勤ラッシュ時で約900人近い乗客と乗務員3人(運転士・担当車掌・補助車掌 各1人)が乗車しており乗客32人と運転士・補助車掌が軽傷。乗用車の運転手(外国籍・無免許)は死亡。
この踏切ではこの事故の4年前の1998年9月にも遮断機を突破した乗用車と列車が衝突して乗用車運転手が死亡している。

長崎本線特急かもめ46号脱線事故

長崎県諌早市高天町のJR九州長崎線の肥前長田-小江間で特急特急かもめ46号が線路上の石に衝突し脱線、転覆した。この事故で乗員乗客36名が重軽傷。列車は6両中の1両目が前後逆向きになって線路脇に横転し大破、2両目が水田に突っ込み大破、3両目が2両目に乗り上げるという大規模なもの。車両885系特急電車アルミニウム合金のダブルスキン構造を用いた軽量車体であるが、車両の落下場所が梅雨期の水田で衝撃を和らげたこともあり、比較的負傷者が少なくて済んだと見られる。石は直径80cm、質量約130kgで、線路脇の斜面にあったものが降雨による地盤の緩みで落下したものと思われ、線路周囲の法面の点検の徹底が国土交通省から指示された。

名古屋鉄道新岐阜駅電車突入事故

岐阜県岐阜市神田町9丁目1番地の名古屋鉄道新岐阜駅(現名鉄岐阜駅)構内で豊川稲荷発新岐阜行急行電車(3100系電車6両編成)が所定位置で停車せずオーバーランしてホーム端の車止めに衝突、脱線した。この事故で乗客4名が軽傷。原因は運転士の体調不良による運転操作ミスとされる。運転士が運転中に気を失い、新岐阜駅に進入した際、運転レバーに倒れ込み、加速の向きに操作したため、オーバーランしたとされる。運転士が、事故後の会社の精密検査で中程度の睡眠時無呼吸症候群(SAS)の疑いがあると診断されていた。この事故を受けて名鉄は運転台にマスコン(アクセルとブレーキのレバー)の誤動作防止装置を付けた。

紀勢線快速脱線事故

 和歌山県海南市でJR紀勢線に架かる国道42号線の曲線区間を走る軽自動車とトレーラーが対向し、冷水(しみず)跨線橋付近で、衝突した。トレーラーは横転し積み荷の丸太がケーブルを切って下の路線に落ち、連絡を受けた指令は列車との通信手段を失ったため、運転手が視認するまで減速できず、丸太に乗り上げ、脱線した一両目がトンネル手前の側壁に当たる。自動車の運転手2人、乗客11人が軽傷を負った。
 原因は、トレーラーの過積載で、6月14日にトレーラーの運転手が逮捕され、同年10月26日に和歌山地方裁判所にて禁固1年6月・執行猶予4年(求刑禁固1年6月)の判決を下した。またJRは、橋の荷物落下防止柵の設置を国土交通省に働きかけていたが、対策されないままだった。

上越新幹線とき325号脱線事故

17時56分頃に新潟県中越地震が発生。震源地に近い、上越新幹線浦佐駅長岡駅間を走行中だった東京新潟とき325号(200系10両編成=K25編成)の7・6号車を除く計8両が脱線した。乗客155人に負傷者はいなかった。地震発生当時、同列車は長岡駅の手前に到達していたことから時速約200kmに減速して走行中であったが、異変に気付いた運転士が非常ブレーキを操作、更に自動停止システムが作動し、長岡駅から東京寄り約5kmの地点で停車した。脱線はしたものの排障器と車輪の間にレールが挟まった為、横転は免れた。
新幹線には早期地震検地警報システム「ユレダス」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されているが、ユレダスは地震発生時の第一波(初期微動、P波)を感知して作動するシステムであるため、直下型地震だった今回のケースでは、地震発生後すぐ列車を停車させることはできなかった。時速210kmで走行した場合、非常ブレーキが作動してから停車するまでには約70秒を要するとされ、同列車も同様に停車までに約2.5kmを走行したとされる。また、線路上の傷跡から、列車は長岡駅から東京寄り約7kmの地点で脱輪しており、そのままの状態で約1.6kmを走行して停車したと推測されている。1964年10月1日東海道新幹線開業以来、国内の新幹線の営業列車では初の脱線事故となった。
地震発生当時、長岡駅には東京方面へ向かう、とき406号(200系モスグリーン塗装=K31編成)が入線しかけており、17時58分の発車予定であった。脱線したとき325号は、長岡駅に18時ちょうどの到着予定であり、もしも地震の発生時刻とあと数分ずれていた場合、大惨事となった可能性も指摘されている。また、とき325号が脱輪したと思われる地点より手前のレールには特に損傷が見られなかった。滝谷トンネル付近の高架橋は水田を埋め立てた軟弱な地盤の上に建設されたもので、地震後、橋脚付近に液状化したと見られる痕跡が残っていたことから、地震発生時に高架橋が上下左右に激しく振動したことにより、列車の車体が激しく揺さぶられた結果、脱輪したものと推測されている。
なお、脱線した200系K25編成は、新潟新幹線車両センターに回送され、車両の損傷などを調べるため、解体されるものと見られている。

関東鉄道踏切事故

茨城県関城町関東鉄道常総線騰波ノ江駅黒子駅間で、取手水海道乗り換え下館行下り列車(1両編成、キハ2204)が木戸第3踏切で軽乗用車と衝突。乗客に怪我人はいなかったが、軽乗用車に乗車していた3名が死亡。

阪急神戸線踏切衝突脱線事故

兵庫県尼崎市阪急電鉄神戸本線武庫之荘駅の西側約400mの地点にある武庫之荘西踏切で、梅田三宮行下り急行列車(8両編成、3005F)が踏切内に進入してきた乗用車と衝突、列車の下に乗用車を巻き込む形でそのまま約500m走行し、先頭車両が脱線した状態で停車した。乗用車は大破し、乗用車の全員(成人2人、子供1人)が死亡。列車の乗客約200人にけがはなかった。
事故直前、乗用車は飲酒運転の疑いでパトカーに追跡されており、警官の停止命令を無視し、遮断機が下りているにも関わらず踏切内へ無理に進入した結果の事故であった。事故列車の乗客は隣の西宮北口駅に併設される車庫から応援に出された回送列車で西宮北口駅まで運ばれた。また、後続列車2本(終電含む)が園田駅で運転を打ち切った。
事故列車の撤去作業は午前7時7分頃まで続き、始発から園田駅~西宮北口駅間が不通、梅田駅~園田駅間と西宮北口駅~神戸高速鉄道新開地駅間で折り返し運転が行われた。同日は月曜日であったが、成人の日で祝日であったことからラッシュ時間帯の混乱は免れた。事故が終電直前に発生したこともあり、通常時の事故に比べて影響は少なかったとされる。なお、乗用車の成人2人は後に運転免許を取得していないことが判明した。

土佐くろしお鉄道宿毛駅列車突入事故

高知県宿毛市駅前町1丁目703番地の土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅構内で岡山発宿毛駅着の特急「南風17号」(2000系気動車3両編成)が停止せずに車止めを乗り越えエレベーターを壊し、駅舎に衝突。運転士が死亡。女性車掌と乗客9人が重軽傷を負う事故が起きた。
南風17号の座席区分は、大破した1号車(禁煙車)は前半室がグリーン席で後半室は普通車指定席、2号車(禁煙車)は前半分が普通車指定席で後半分は自由席、3号車(喫煙車)は全席自由席であった。乗客の死者が0だったのは、多くの乗客が2号車・3号車の自由席にいたためだとされる。
運転士の腹部には激しい打撲と内臓出血の痕があり、運転士は衝突時に意識が無かった、または何らかの原因で動くことができなかった可能性がある。
運転士は前日まで6日間インフルエンザのため欠勤していたが、当日の点呼では異常が見られなかったとのこと。しかし、宿毛駅進入前に、何らかの異常をきたした可能性が高いとみられ、同社では社内規定を見直し、終点が行き止まりとなる区間では車掌が先頭の運転席へ移動することを決めた。尚、非常ブレーキをかける権限は、現段階で車掌にもある。
その後の調べで同駅の場内信号機(現段階では、線区最高速度120km/hで通過した場合止まれない。この位置が問題視されている。)を約120km/hで通過したことが判明、非常ブレーキがかかるも約100Km/hで激突した。又、同駅のATS地上子の配列には開業時から運転士の間で疑義の声が上がっており(ATS-Pではなかったし、車止めまでの距離が短く作動しても止まりきれない)、当時の上層部に意見をするも放置されていた。同社では中村線ごめん・なはり線を含めた全線全駅でATS地上子の配置を見直し、速度照査機能付き地上子を増設することを決定した。尚、衝突車両の大破した運転席は自動車のアクセルに相当するマスコンが最大の5ノッチ、ブレーキは緩やかな減速状態である1ノッチに入っていたことが確認されている。
先頭車両のATS車上子が衝突の衝撃で破損した為、詳細な原因は不明のままである。
少なくとも事故発生までの7年間、労働安全衛生法で義務付けられている「衛生管理者」による従業員の健康管理活動などを全く行っていなかったことが、2005年5月4日迄に高知労働局の調査で判明した。人命を預かる公共輸送機関としての姿勢が改めて問われている。


東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故

東京都足立区竹ノ塚駅近くの踏切で、女性2人が太田駅浅草駅行きの上り準急電車にはねられ死亡するという事故が起きた。また、この踏切は今では珍しい手動式(第1種乙踏切という)であり、警報機がなるとすぐに遮断機を下ろさなくてはいけなかった。さらに、この時間は上下の普通電車とこの事故の準急電車が通過していた。
踏切事故を目撃した人は「警報機が鳴っているのにも関らず、遮断機が2~3mほどあがった為、亡くなった2人は渡ってしまったが、自分は電車のライトが見えたので渡るのは危険だと思い引き返した。」と話していた。また、準急電車は竹ノ塚駅を通過する為時速90km/hは出ていた。警視庁は手動踏切の操作をしていた東武鉄道の踏切警手を逮捕し、事故の原因はこの容疑者の操作ミスだったことを明確にした。

JR福知山線脱線横転事故

兵庫県尼崎市福知山線塚口駅尼崎駅間のカーブ区間で、宝塚同志社前行きの上り快速列車7両編成のうち、5両が脱線、うち先頭2両は近くのマンションに激突、大破した。この事故で、死者107人、負傷者460人超と、JR史上最悪、国鉄時代を含めると常磐線三河島駅列車多重衝突事故(160人)に続いて戦後4番目の死傷者数となった。

主な鉄道事故(海外)

事故調査

日本において鉄道事故が発生した場合には国土交通省内の航空・鉄道事故調査委員会によって原因究明と再発防止のための調査が行われる。また、業務上過失致死罪などの容疑で刑事捜査が行われる場合もある。

しかし、刑事捜査が優先のため、航空・鉄道事故調査委員会による調査は十分に行えず、また、刑事捜査は関係者の処罰が目的のため事故の再発防止には役立たないという指摘もある。

そのため、委員会をアメリカの国家運輸安全委員会(NTSB)の様な国土交通省から独立した強い権限を持つ機関に改めることと、過失による刑事責任を問わないことで関係者の証言を得やすくするべきだという意見も根強い。

外部リンク