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「眼鏡橋」の版間の差分

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眼鏡橋()
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[[画像:Nagasaki Meganebashi M5257.jpg|240px|thumb|長崎の眼鏡橋]]
[[画像:Nagasaki Meganebashi M5257.jpg|240px|thumb|[[眼鏡橋(長崎市)|長崎の眼鏡橋]]]]
'''眼鏡橋'''(めがねばし)は、橋の種類のひとつ。個別の橋の名称や別称としても用いられる。本来は[[アーチ]]が2つ連なった石造2連[[アーチ橋]]を指すが、広義では、単アーチ橋や3連以上のアーチ橋も含めた石造アーチ橋全般を眼鏡橋と呼ぶ。また、石造だけでなく煉瓦造のものも眼鏡橋と呼ばれることがある。
'''眼鏡橋'''(めがねばし)は、橋の種類のひとつ。個別の橋の名称や別称としても用いられる。本来は[[アーチ]]が2つ連なった石造2連[[アーチ橋]]を指すが、広義では、単アーチ橋や3連以上のアーチ橋も含めた石造アーチ橋全般を眼鏡橋と呼ぶ。また、石造だけでなく煉瓦造のものも眼鏡橋と呼ばれることがある。


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<small>特記しないもは、石造、2連アーチ橋。</small>
<small>特記しないもは、石造、2連アーチ橋。</small>


== 眼鏡橋 (長崎市) ==
[[長崎市]]の[[中島川]]に架かる石造二連アーチ橋。現在、河口から数えて12番目の橋<ref>上流の阿弥陀橋を基点と数えて10番目にあったことから江戸期には第十橋とも呼ばれていた</ref>で日本初の石造りアーチ橋といわれている。

=== 概要 ===
1960年(昭和35年)に国の[[重要文化財]]に指定された。1634年(寛永11年)[[興福寺 (長崎市)|興福寺]]の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた。1648年(慶安元年)の洪水で損壊するが、平戸好夢が修復、以後度重なる水害に耐えてきたが、[[1982年]](昭和57年)の[[長崎大水害]]で半壊した。修復時に江戸期とみられる階段跡が出土したため、階段が取り付けられた形で、翌年復元され、歩行者専用橋となった。なお、流出後、下流で見つかった石材については、復元時に再利用された。
橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46m。

=== 交通 ===
[[長崎電気軌道]]蛍茶屋支線(2・4・5系統) 賑橋電停または桜町支線(3系統)公会堂前電停下車

== 眼鏡橋 (諫早市) ==
[[画像:Isahaya meganebashiIMG 2382w.JPG|240px|thumb|諫早の眼鏡橋]]
[[諫早市]]高城町の[[諫早公園]]内の池に架かる石造二連アーチ橋。石橋としては日本で初めて国の重要文化財に指定された。

=== 概要 ===
1839年(天保10年)、現在地から約500メートル離れた[[本明川]]に架けられた。 世話人たちは「水害でも流されない頑丈な橋」を目指し、長崎の眼鏡橋を参考に架けたといわれている。芥川賞を受賞した作家[[野呂邦暢]]は『諫早菖蒲日記』で洪水に弱い諫早のことを書いているが、眼鏡橋は世話人たちの願い通りの出来で、以後一度も流されることはなかった。


1952年(昭和32年)に起きた[[諫早大水害]]では、死者・行方不明者580人以上の犠牲者が出た。眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったが、眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが、水の流れを変え、被害を拡大したとの指摘がなされた。水害後の復興策では川幅拡張工事に合わせ爆破解体する案も浮上したが、当時の野村儀平市長らが街のシンボルかつ文化財として保存することを強調、さまざまな働きかけで1958年(昭和33年)、日本の石橋として初めて国の[[重要文化財]]に指定された。このため、[[1959年]](昭和34年)から1960年にかけて諫早公園への移設工事が行われ、今日も美しい姿を水面に写している。移設工事時に石工たちが参考資料として作った1/5モデルは[[埼玉県]][[所沢市]]の[[ユネスコ村]]に残っている。
橋の長さは49.25mで長崎の眼鏡橋の約2倍、幅5.5m、石の数は約2800個。


=== 交通 ===
[[九州旅客鉄道|JR九州]]・[[島原鉄道]] [[諫早駅]]


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2007年8月28日 (火) 07:20時点における版

長崎の眼鏡橋

眼鏡橋(めがねばし)は、橋の種類のひとつ。個別の橋の名称や別称としても用いられる。本来はアーチが2つ連なった石造2連アーチ橋を指すが、広義では、単アーチ橋や3連以上のアーチ橋も含めた石造アーチ橋全般を眼鏡橋と呼ぶ。また、石造だけでなく煉瓦造のものも眼鏡橋と呼ばれることがある。

概要

2連アーチ橋自体と水面に映る橋とが合わさった姿が眼鏡のように見えることが、その名の由来といわれている。

眼鏡橋は、土木技術の粋として重要な構造物であるが、道幅が不足するのでコンクリートの広い橋に架け替えられたり、洪水時に川の水をせき止めて氾濫の原因になるとして全国で解体や撤去が行われ、急激に数が減っている。「日本の石橋を守る会」という団体が、全国の石橋(眼鏡橋・桁橋)を対象に保護活動を行っている。

眼鏡橋として最も有名なのは、長崎市中島川に架かる橋で、日本三名橋に数えられている(ただし日本三名橋は定義が明確ではなく異論も多い)。

なお、古代ローマ水道橋のように、日本国外にも石造アーチ橋は存在するが、眼鏡橋という呼び名は日本国内の石造アーチ橋に対してのみ用いられるのが一般的である。

代表的な眼鏡橋

国の重要文化財
国の登録有形文化財
  • 明治村天童眼鏡橋(愛知県犬山市
  • 眼鏡橋(福井県坂井市)(煉瓦造単アーチ橋)
  • 三見橋(三見眼鏡橋)(山口県萩市
  • 四国村石舟のアーチ橋(香川県高松市)(単アーチ橋)
  • 呉川眼鏡橋(福岡県田川郡
  • 若宮井路笹無田石拱橋(大分県竹田市
  • 鷹岩橋(大分県宇佐市)(単アーチ橋)
  • 水雲橋(大分県宇佐市)
  • 櫛野橋(大分県宇佐市)(単アーチ橋)
  • 中島橋(大分県宇佐市)(単アーチ橋)
  • 念仏橋(大分県宇佐市)(単アーチ橋)
  • 両合川橋(大分県宇佐市)(単アーチ橋)
  • 橋詰水路橋(大分県宇佐市)(単アーチ橋)
  • めがね橋(宮崎県えびの市)(3連アーチ橋)
  • 靉靆橋(宮崎県えびの市)(単アーチ橋)
  • 享保水路太鼓橋(宮崎県えびの市)(単アーチ橋)
  • 堀川橋(乙姫橋)(宮崎県日南市)(単アーチ橋)
  • 新大橋(鹿児島県薩摩川内市
土木学会選奨土木遺産

特記しないもは、石造、2連アーチ橋。



関連項目

脚注