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2024年8月2日 (金) 11:38時点における版
第3歩兵師団 | |
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제3보병사단 第三步兵師團 | |
第3歩兵師団のマーク | |
創設 | 1947年12月1日[注 1] |
所属政体 | 大韓民国 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 歩兵 |
兵種/任務 | 地域の境界 |
所在地 | 江原特別自治道鉄原郡 |
愛称 | 白骨部隊 |
標語 | 「生きても白骨 死んでも白骨 必死則生 骨肉の情」(살아도 백골 죽어도 백골, 필사즉생 골육지정[注 2]) |
彩色 | 青、白 |
部隊歌 | 第3歩兵師団歌 |
上級単位 | 第5軍団 |
戦歴 | 朝鮮戦争 |
第3歩兵師団(だいさんほへいしだん、朝: 제3보병사단、第三步兵師團)は、大韓民国陸軍の師団の1つ。別名は「白骨部隊」[注 3]、白骨になるまで戦うという意味である[1]。なお、師団の敬礼口号は「白骨」。
歴史
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第3師団の始まりは1947年12月1日に釜山で編成された第3旅団で、1949年5月12日に師団に発展した[2]。編成時、隷下の部隊は第5連隊、第6連隊、第9連隊であったが、部隊移動によって1950年の時点で第22連隊、第23連隊、独立報国大隊となっていた。嶺南地区のゲリラ討伐に従事していた[3]。
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると隷下の第22連隊をソウルに派遣した。1950年7月、東海岸沿いでアメリカ海軍の支援を受けながら朝鮮人民軍第5師団の侵攻を阻止した。7月下旬、第2次再編計画によって、隷下部隊は第22連隊、第23連隊、機甲連隊に変更された。釜山橋頭堡の戦いで朝鮮人民軍第5師団と交戦した。8月16日、戦車揚陸艦4隻で海上撤退(長沙洞撤収作戦)。9月の慶州の戦いでは、兄山江で人民軍の進攻を阻止した。
1950年10月1日に麾下の第23歩兵連隊が38度線を突破し(この日はのちに国軍の日に指定された)、10日には元山を占領した[4]。1950年12月、中国人民志願軍の攻勢により、城津から撤収した[5]。12月15日、韓国軍第2軍団に隷属し、洪川付近に浸透した朝鮮人民軍と交戦した。
1951年2月、アメリカ軍第10軍団(軍団長:アーモンド少将)に配属。
1951年3月7日、韓国軍第3軍団に配属[6]。
1951年5月、中朝軍の五月攻勢で敗走。第3軍団は解体され、第1軍団に編入された。ヴァンフリート中将による集中訓練計画で、9週間訓練を受けて練度が向上した[1]。
1951年10月19日、アメリカ軍第10軍団に編入され、第5師団の作戦地域(加七峰地域)を引き受けた[7]。
1951年10月27日から31日まで加七峰前方の1052高地と1211高地を攻撃[7]。
1951年11月23日、楊口に移動し、11月27日から1952年1月7日まで教育訓練を実施[7]。
1952年2月、662高地で戦闘[8]。1952年4月5日、再建された第2軍団に編入[9]。
1953年4月13日から作戦地域を第5師団に引き渡し、第8軍予備となって部隊整備を実施[9]。
2020年12月には、韓国政府の「国防改革2.0」により、第3歩兵師団の予下連帯が旅団に昇格した。
編制
- 第18歩兵旅団
- 第22歩兵旅団
- 第23歩兵旅団
- 砲兵旅団
- 第11砲兵大隊
- 第71砲兵大隊
- 第72砲兵大隊
- 第635砲兵大隊
- 直轄隊
- 戦車大隊
- 偵察大隊
- 工兵大隊
- 整備大隊
- 憲兵大隊
- 情報通信大隊
- 補給輸送大隊
- 補充中隊
- 防空中隊
- BGM-71 TOW中隊
- 本部勤務隊
- 医務勤務隊
- 化生放支援隊
師団長
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代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 | |
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漢字/片仮名表記 | 原語表記 | ||||||
1 | 李應俊 | 이응준 | 1947.12.1[2] - 1948.2.5 |
日本陸士26期 軍事英語学校1期 |
監察総監 | 第1旅団長 | |
2 | 蔡元凱 | 채원개 | 1948.2.5[2] - 1949.1.15 |
洛陽講武堂 警士3期 |
第7連隊長 | 第2旅団長 | |
3 | 崔徳新 | 최덕신 | 1949.1.15[2] - 6.30 |
中央軍校10期 警士3期 |
陸士校長 | 第1軍団参謀長 | |
4 | 李應俊 | 이응준 | 1949.6.30[2] - 1950.1.15 |
陸士26期 軍事英語学校1期 |
陸軍参謀総長 | 第5師団長 | |
5 | 金白一 | 김백일 | 1950.1.15[2] - 4.22 |
奉天5期 軍事英語学校1期 |
智異山地区戦闘司令官 | 陸軍本部行政参謀副長 | |
6 | 劉升烈 | 유승렬 | 1950.4.22[2] - 7.10 |
日本陸士26期 | 第1師団長 | 慶尚北道編成管区司令官 | |
7 | 李俊植 | 이준식 | 1950.7.10[10] - 8.7 |
雲南陸軍講武堂 | 首都師団長 | 京仁地区戒厳司令官 | |
8 | 金錫源 | 김석원 | 1950.8.7[10] - 9.1 |
日本陸士26期 | 首都師団長 | 戦時特命検閲部長 | |
9 | 李鍾賛 | 이종찬 | 1950.9.1[10] - 11.12 |
日本陸士49期 | 中央訓練所本部長 | 兵器行政本部長 兼歩兵学校長 |
|
10 | 崔錫 | 최석 | 1950.11.12[10] - 1951.3.17 |
軍事英語学校 | 第1訓練所長 | 陸軍本部前方指揮所長 | |
11 | 金鐘五 | 김종오 | 1951.3.17[11] - 5.23 |
軍事英語学校1期 | 第1軍団参謀長 | 人事局長 | |
12 | 白南権 | 백남권 | 1951.5.23[12] - 1952.10.10 |
軍事英語学校 | 首都師団副師団長 | 陸軍歩兵学校校長 | |
13 | 林善河 | 임선하 | 1952.10.10[10] - 1953 |
軍事英語学校1期 | 陸軍歩兵学校校長 | ? | |
14 | 申應均[13] | 신응균 | 1953 - 1954.6 | 日本陸士53期 | 国防部第1局長 | 国連軍総司令部派遣韓国連絡将校団長 | |
15 | 丁來赫 | 정래혁 | 1954.6 - 1954.8 |
日本陸士58期 陸士7期 |
副師団長 | 歩兵学校長 | |
? | 李喜権 | 이희권 | ? - 1957.8[14] |
軍英1期 | 陸軍大学入学 | ||
? | 金相福 | 김상복 | 1957[15] 1959.6.2[16] |
軍事英語学校 | 20師団長 | 軍事発展局長 | |
? | 兪義濬 | 유의준 | 1959.6.2[16] - 1959.12.3[17][18] |
国防研究院教習部長 | 陸本付 | 不祥事により更迭[18] | |
? | 崔澤元 | 최택원 | 1959.12.3[17] - | 第26師団長 | |||
? | 張禹疇[19] | 장우주 | 1961.3.15 - 1962.7.7 |
陸士3期 | 国防大学院教授部長 | 国防部企画調整官 | |
? | 李東和 | 이동화 | 1962[20] | 陸士2期 | 第31師団長 | ||
? | 曺赫煥[21] | 조혁환 | - 1966.7.19 | 陸士3期 | ? | 陸軍本部作戦参謀部次長[22] | 准将 |
? | 柳根国 | 유근국 | 1966.7.19 - 1967.7.11[23] |
陸士6期 | 2軍人事部長 | 国防部予備軍局長[24] | 准将 |
? | 崔哲 | 최철 | 1967 | 陸士5期 | 砲兵学校長 | 5管区司令官 | |
? | 陸章均 | 육장균 | 1968[25] | 陸士7期 | 陸軍士官学校教授部長 | 三士官学校長 | |
25[26] | 朴定仁[27] | 박정인 | 1972 - 1973.4.3[28] | 陸士6期 | 蔚山特定地域警備司令官[29] | 予備役編入 | 准将、独断で朝鮮人民軍に対し砲撃し更迭 |
27 | 金洙重 | 김수중 | 1975[30] | 陸士9期 | 首都師団副師団長 | 合同参謀本部作戦局長 | |
28 | 権益検 | 권익검 | 1975 - 1977.7 |
陸士10期 | 保安司参謀 | 軍事参謀長[31] | |
29 | オ・チョル | 오철 | 1977.7 - 1979.9 [32] |
軍需1期 | 第5軍団参謀長 | 1軍団副師団長 | |
30 | 朴世直 | 최인수 | 1979.9 - 1980.8.23 |
陸士12期 | 国防部長官補佐官 | 首都警備司令官 | ハナフェ |
? | 崔寅洙 | 최인수 | 1982[33] | 陸軍本部秘書室長 | 陸軍本部監察官 | ||
36 | パク・ヨンイル | 박영일 | 1992 - 1993.10 |
陸士22期 | ? | 予備役? | ハナフェ |
37[34] | 趙永來 | 조영래 | 1993.10[35] - 1996 |
甲種177期 | ? | 予備役? | |
38 | 安忠濬 | 안충준 | 1996 - 1997.3.11 |
陸士25期 | 韓米連合司作戦処長 | 印パPKO司令官[36] | |
39 | 朴興根[37] | 박흥근 | 1997.3.11 - 2000 |
陸士26期 | 陸軍本部監察官[38] | ||
41 | 高奇源 | 고기원 | 2001 - 2003.4.29 |
陸士29期 | 陸軍本部人事運営次長 | ||
42 | 朴守根[39] | 박수근 | 2003.4.29[40] - 2006.11 |
三士4期 | ? | 予備役? | |
43 | キム・ジョンヘ | 김종해 | 2005.5.6[41] - 2006.11 |
陸士32期 | ? | 陸軍歩兵学校長 | |
44 | 金曜煥 | 김요환 | 2006.11 - 2008.11.10 |
陸士34期 | 合同参謀本部戦費態勢検閲次長 | 陸軍本部情報作戦参謀部長 | |
45 | ユ・ヨンジョ | 유영조 | 2008.11.10 - 2010.6.29 |
陸士36期 | 統合参謀本部戦力企画部1次長[42] | 合同参謀本部戦力企画部長[43] | |
46 | 申源湜[44] | 신원식 | 2010.6.29 - 2011 |
陸士37期 | 国防政策室政策企画官 | 国防政策室政策企画次長 | |
47 | ユン・ワンソン | 윤완선 | 2011 - 2013.4.25 |
陸士38期 | 5軍団参謀長 | 合同軍事大学総長 | |
48 | 金雲龍 | 김운용 | 2013.4.25 - 2015.4.15 |
陸士40期 | 合同参謀本部海外派遣課長 | 陸軍本部情報作戦参謀部長 | |
49 | 南泳臣 | 남영신 | 2015.4.15 - | 学士23期 | 陸軍学生軍事学校教授部長[45] | 特殊戦司令官 |
脚注
注釈
出典
- ^ a b 白 2013, p. 452.
- ^ a b c d e f g 佐々木a 1976, p. 212.
- ^ 軍史研究所 2000, p. 283.
- ^ 軍史研究所 2002, p. 363.
- ^ 佐々木 1977, p. 442.
- ^ 軍史研究所 2004, p. 96.
- ^ a b c 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 284.
- ^ 軍史研究所 2007, p. 346.
- ^ a b 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 285.
- ^ a b c d e 박동찬 2014, p. 107.
- ^ 軍史研究所 2004, p. 95.
- ^ 国防部戦史編纂委員会 1973, p. 215.
- ^ 육군소장 보직 해면 건 상신(제3사단장 신응균)
- ^ “師團長級異動” (朝鮮語). 부산일보. (1957年8月7日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ “第17代参謀次長 金相福中将(“17대 참모차장 김상복 중장”)”. 中央日報. (1968年2月16日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ a b “將星級 15名 異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月2日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ a b “陸軍人事” (朝鮮語). 부산일보. (1959年12月5日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ a b “師團長級六名異動” (朝鮮語). 釜山日報. (1959年12月4日) 2021年9月7日閲覧。
- ^ “「朴正煕が撮った男」張禹疇将軍 波乱万丈現代史の話( '박정희가 찍은 남자' 장우주 장군의 파란만장 현대사 이야기)”. ニューデイリー. (2012年5月14日) 2016年4月25日閲覧。
- ^ “李東和” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年1月1日閲覧。
- ^ “ドッグタグ10377.老兵が証言する歴史の表と裏(“군번 10377. 노병이 증언하는 역사의 막전 막후”)” (朝鮮語). 真の平安(참평안). 2016年4月24日閲覧。
- ^ “首都師団長にユ・ビョンヒョン准将・艦隊司令官にはジャン・ジス少将 (수도사 단장에 유병현 준장 함대사령관엔 장지수 소장)”. 中央日報. (1966年7月20日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ “陸軍師団長級人事”. 東亜日報. (1967年7月11日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ “統一主体国民会議の事務局長、ユグングク氏 (통일주체 국민회의 사무총장, 유근국씨)”. 中央日報. (1974年12月30日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ “陸章均” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年1月1日閲覧。
- ^ “「Again 3.7作戦」的挑発報復伝統をつなぐ!3師団71砲兵隊、3.7完全作戦記念行事の実施 ( 'Again 3.7작전' 적도발 응징 전통을 잇다! 3사단 71포병대대, 3.7완전작전 기념행사 실시)”. 鉄原インターネットニュース. (2012年3月8日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ “【ヤン・サンフン コラム】猛將の芽を摘んだ朴定仁師団長解任事件 (【양상훈 칼럼】 猛將의 싹을 자른 박정인 사단장 해임 사건)”. 朝鮮日報. (2015年8月13日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ “金日成を恐怖に震え上がらせた前白骨師団長「北韓の奴らは…」(김일성을 공포에 떨게 만든 전 백골사단장 “북한놈들은..”)”. ニューデイリー. (2015年9月16日) 2016年4月25日閲覧。
- ^ “【この人】北奇襲挑発を膺懲した朴定仁将軍「新羅が会話で三国統一したのか」([이 사람 北 기습 도발을 응징했던 朴定仁 장군 “신라가 대화로 삼국통일 했나”)”]. 月刊朝鮮. (2011年1月10日) 2016年4月25日閲覧。
- ^ “金洙重” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年1月1日閲覧。
- ^ 韓国人物情報 権益検
- ^ オ・チョル将軍の紹介
- ^ “崔寅洙” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年1月1日閲覧。
- ^ 37代師団長趙永來将軍様が戦友会に参加しながら、送ってくださった文
- ^ “3軍中少将級32人進級。補職人事(総合)(3軍 中.소장(少將)급 32명 진급.보직인사(종합))”. 聯合ニュース. (1993年10月18日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “印パPKO隊長 安忠濬陸軍少将(印-파키스탄 PKO단장 안충준 육군소장)”. 東亜日報. (1997年3月14日) 2016年4月26日閲覧。
- ^ “【建軍50周年】「建軍っ子」48年生まれの8人師団長服務(【건군 50돌】「건군둥이」48년생 8명 사단장 복무)”. 東亜日報. (1998年9月30日) 2016年4月26日閲覧。
- ^ “軍、17~20日ごろ「星の大移動」...総選挙直後の将星人事断行(“軍 17∼20일께 '별들의 대이동'…총선직후 장성인사 단행”)”. 東亜日報. (2000年4月7日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ “海兵司令官など中将級以下の人事(해병사령관등 중장급 이하 인사)”. 慶南新聞. (2003年4月30日) 2016年6月29日閲覧。
- ^ “陸軍朴守根 3師団長に就任(육군 박수근 3사단장 취임)”. 江原道民日報. (2003年4月30日) 2016年6月29日閲覧。
- ^ “師団長就任式 李漢弘2師団長(사단장 취임식이한홍 2사단장)”. 江原道民日報. (2005年5月7日) 2016年6月29日閲覧。
- ^ “鉄原駐留白骨部隊長にユ・ヨンジョ将軍就任(철원 주둔 백골부대장에 유영조 장군 취임)”. デイリーアン. (2008年11月12日) 2016年6月29日閲覧。
- ^ “鉄原、鉄の三角形陸軍第3師団 白骨部隊第45・46代の師団長が就任式(철원, 철의삼각지 육군제3사단 백골부대 제45·46대 사단장 이·취임식)”. 鉄原ニュース. (2015年4月13日) 2016年6月29日閲覧。
- ^ 申源湜
- ^ “鉄原、白骨第48代「名将」キム・ウンヨン師団長離任(철원, 백골 제48대「명장」김운용 사단장 이임)”. 鉄原ニュース. (2015年4月13日) 2016年4月24日閲覧。
参考文献
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- 佐々木春隆『朝鮮戦争 韓国篇 下 (漢江線から休戦まで)』原書房、1977年3月10日。NDLJP:12172908。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第1巻 人民軍の南侵と国連軍の遅滞作戦』かや書房、2000年。ISBN 4-906124-41-0。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第2巻 洛東江防御線と国連軍の反攻』かや書房、2001年。ISBN 4-906124-45-3。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第3巻 中共軍の介入と国連軍の後退』かや書房、2002年。ISBN 4-906124-50-X。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第4巻 国連軍の再反攻と中共軍の春期攻勢』かや書房、2004年。ISBN 4-906124-58-5。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第5巻 休戦会談の開催と陣地線への移行』かや書房、2007年。ISBN 978-4-906124-64-0。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第6巻 休戦』かや書房、2010年。ISBN 978-4-906124-69-5。
- 白善燁『若き将軍の朝鮮戦争』草思社〈草思社文庫〉、2013年。ISBN 978-4-7942-1966-4。
- “韓國戰爭史第6巻 制限戰線의 激動期(1951.5.1~1951.8.31)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年12月6日閲覧。
- “韓國戰爭要約” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2021年8月13日閲覧。
- 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1