コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

林善河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林善河
生誕 (1923-01-09) 1923年1月9日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道永興郡
死没 (2018-07-22) 2018年7月22日(95歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
大韓民国陸軍
最終階級 少尉(日本陸軍)
少将(韓国陸軍)
テンプレートを表示

林 善河(イム・ソナ、임선하)は大韓民国軍人太極武功勲章授与者。

経歴

[編集]

1923年1月、咸鏡南道永興郡に生まれた。京城中央高等普通学校卒業。1944年、明治大学在学中に学徒出陣して日本軍少尉。

1946年1月15日、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10019番)[1]。1947年3月6日まで総司令部の高級副官を務めた[2]。1947年9月12日、第3連隊長[3]。1948年7月から1949年6月までアメリカ歩兵学校に留学[4]。帰国後、陸軍歩兵学校副校長に任命。

朝鮮戦争が勃発すると、混成第2師団長として漢江の防御を指揮した。1950年8月7日、第1軍団参謀長(同年9月16日まで)。1951年、第3軍団参謀長[5]。以後、第3軍団副軍団長、陸軍本部教育総監代理を歴任した。1952年7月、陸軍歩兵学校校長。同年10月、第3師団長

1954年3月、軍事停戦委員会韓国軍首席代表。1955年7月、第1管区司令官。同年10月、第6管区司令官。

1959年4月、軍糧米やガソリンを横流しして光州に同名のホテルとセダン1台を所有するなどの蓄財をしたことから[6]、予備役編入。P・I・K保険KK韓国総支配人などを務めた。

2007年11月8日、明治大学から特別卒業証書を授与[7]

2018年7月22日、ロサンジェルスにて死去した[8]

叙勲

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 佐々木 1983, p. 86.
  2. ^ 호국전몰용사공훈록 제5권(창군기)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 592. 2021年8月11日閲覧。
  3. ^ 佐々木 1983, p. 194.
  4. ^ 佐々木 1983, p. 214.
  5. ^ 6・25戦争史 第8巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 460. 2016年9月6日閲覧。
  6. ^ “肅軍報告書” (朝鮮語). 부산일보. (1959年4月23日). https://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590423000036 2022年11月6日閲覧。 
  7. ^ 出陣学徒の林氏に特別卒業証書を授与”. 明治大学広報. 2015年12月24日閲覧。
  8. ^ “[부음] 국군 창설 주역 임선하 예비역 소장 별세 외”. 조선일보. (2018年7月23日). https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2018/07/23/2018072302920.html 2022年4月19日閲覧。 
  9. ^ Lim Sun Ha”. Military Times. 2016年1月1日閲覧。

参考

[編集]
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2 
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 下巻 漢江線から休戦まで』原書房、1977年。 
  • 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1. https://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201408070704130850.pdf 
  • 林善河” (韓国語). 戦争記念館. 2015年12月24日閲覧。
軍職
先代
-
大韓民国の旗 国防司令部高級副官
初代:1946.1.14 - 1947.3.6
次代
黄憲親
先代
崔徳新
大韓民国の旗 大韓民国陸軍歩兵学校校長
第8代:1952.8.15 - 1952.10.10
次代
白南権