コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「1856年アメリカ合衆国大統領選挙」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
 
53行目: 53行目:
'''1856年アメリカ合衆国大統領選挙'''(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、{{lang-en-short|United States presidential election of 1856}})は、[[1856年]][[11月4日]]に行われた[[アメリカ合衆国大統領選挙]](第18回)。[[奴隷制]]の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。
'''1856年アメリカ合衆国大統領選挙'''(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、{{lang-en-short|United States presidential election of 1856}})は、[[1856年]][[11月4日]]に行われた[[アメリカ合衆国大統領選挙]](第18回)。[[奴隷制]]の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。


[[共和党 (アメリカ)|共和党]]が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党は[[カンザス・ネブラスカ法]]と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しい[[ノウ・ナッシング]]は、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。
[[共和党 (アメリカ)|共和党]]が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党は[[カンザス・ネブラスカ法]]と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しい[[ノウ・ナッシング]]は、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。


現職大統領[[フランクリン・ピアース]]は民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党は[[ペンシルベニア州]]出身の[[ジェームズ・ブキャナン]]を指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていた[[ホイッグ党 (アメリカ)|ホイッグ党]]は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党は[[カリフォルニア州]]出身の[[ジョン・フレモント]]を最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、[[ウィリアム・スワード]]と[[サーモン・チェイス]]は急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、[[ニューヨーク州]]出身の[[ミラード・フィルモア]](第13代、在任:1850年 - 1853年)を指名した。また[[泡沫候補]]{{仮リンク|ダニエル・プラット|en|Daniel Pratt (eccentric)}}も出馬した。
現職大統領[[フランクリン・ピアース]]は民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党は[[ペンシルベニア州]]出身の[[ジェームズ・ブキャナン]]を指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていた[[ホイッグ党 (アメリカ)|ホイッグ党]]は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党は[[カリフォルニア州]]出身の[[ジョン・フレモント]]を最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、[[ウィリアム・スワード]]と[[サーモン・チェイス]]は急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、[[ニューヨーク州]]出身の[[ミラード・フィルモア]](第13代、在任:1850年 - 1853年)を指名した。また[[泡沫候補]]{{仮リンク|ダニエル・プラット|en|Daniel Pratt (eccentric)}}も出馬した。

2024年7月18日 (木) 23:11時点における最新版

1856年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1856
アメリカ合衆国
1852年 ←
1856年11月4日
→ 1860年

投票率 78.9%[1] 増加 9.3%
 
候補者 ジェームズ・ブキャナン ジョン・フレモント ミラード・フィルモア
政党 民主党 共和党 ノウ・ナッシング|アメリカン党
出身地域 ペンシルベニア州 カリフォルニア州 ニューヨーク州
副大統領候補者
ジョン・ブレッキンリッジ

ウィリアム・デイトン

アンドリュー・ドネルソン
獲得選挙人 174 114 8
勝利地域数 19 11 1
得票数 1,836,072 1,342,345 873,053
得票率 45.3% 33.1% 21.5%

州別獲得選挙人分布図
  ブキャナン   フレモント   フィルモア   選挙人の出せない準州

選挙前大統領

フランクリン・ピアース
民主党

選出大統領

ジェームズ・ブキャナン
民主党

選挙結果の図。数字は各州の選挙人数

1856年アメリカ合衆国大統領選挙(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、: United States presidential election of 1856)は、1856年11月4日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第18回)。奴隷制の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。

共和党が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、民主党は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党はカンザス・ネブラスカ法と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しいノウ・ナッシングは、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。

現職大統領フランクリン・ピアースは民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党はペンシルベニア州出身のジェームズ・ブキャナンを指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていたホイッグ党は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党はカリフォルニア州出身のジョン・フレモントを最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、ウィリアム・スワードサーモン・チェイスは急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、ニューヨーク州出身のミラード・フィルモア(第13代、在任:1850年 - 1853年)を指名した。また泡沫候補ダニエル・プラット英語版も出馬した。

フレモントは奴隷州からも600票足らずを得た。すべてデラウェア州メリーランド州からの票であった。しかし、選挙人団投票の結果から見ると、次の1860年の選挙の時に、あと2つの州、例えばペンシルベニア州とイリノイ州を獲得すれば共和党は勝つことが出来ると思わせる結果だった。

一般選挙

[編集]

選挙運動

[編集]
ノウ・ナッシングの選挙ポスター
民主党の選挙運動リボン

3人の候補者全てが地方遊説をしなかった。共和党は新しい領土への奴隷制拡張に反対し、そのスローガンは「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」であった。共和党は奴隷勢力に対して立ち上がり、奴隷制が共和制の価値を破壊していると警告した。民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論した。

共和党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法、および新しい州が合衆国に自由州として加盟するか奴隷州として加盟するかを人民主権で決めるという政策によってミズーリ妥協が撤廃されることに反対した。共和党は現職のピアース大統領が、カンザス準州の市民に欺瞞的な準州政府を押し付けたことと、「血を流すカンザス」に起きた暴力沙汰を許したことを非難し、カンザスを自由州として即刻加盟させることを提唱した。合衆国の大陸内にある領土への奴隷制拡張に反対するとともに、スペイン領であったキューバを取り込むというオステンド・マニフェストにも反対した。選挙運動を要約すれば、その焦点は奴隷制度に対する反対であり、それは合衆国が築いてきた共和制の価値を破壊するものだと感じていた。

民主党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法と西部の準州に導入された人民主権という政策を支持していた。またカンザスで選出された奴隷制擁護の準州政府を支持していた。この準州政府はカンザスの自由州推進派に対抗し、トピカ憲法英語版を不法な会議で作られた不法な文書として反対していた。さらにブキャナンが駐イギリス大使であったときに画策したオステンド・マニフェストの中でうたわれているキューバの併合案を支持した。民主党の選挙運動で最も訴えたことは、共和党が勝てば南部の多くの州が脱退するという警告であった。

結果

[編集]

一般投票の結果、過半数を制した候補者はいなかった。しかし、31州のうち北部の州を含む19州を制したブキャナンが選挙人投票では59%を制して勝利し、第15代大統領に選ばれた。共和党の敗北の原因は北部でノウ・ナッシングと競合し票が分散したことが挙げられた。

投票結果

[編集]
投票の結果
大統領候補者 出身州 一般得票数
(得票率%)
選挙人得票数 副大統領候補者
ジェームズ・ブキャナン 民主党 ペンシルベニア州 1,836,072
(45.3%)
174 ジョン・ブレッキンリッジ
ジョン・フレモント 共和党 カリフォルニア州 1,342,345
(33.1%)
114 ウィリアム・デイトン英語版
ミラード・フィルモア ノウ・ナッシング ニューヨーク州 873,053
(21.6%)
8 アンドリュー・ドネルソン英語版
その他 3,177
(0.1%)
0  
合計 4,054,647 296
選出必要数 149

出典 (一般選挙): Leip PV source| year=1856| as of=July 27, 2005

出典 (選挙人選挙): National Archives EV source| year=1856| as of=July 31, 2005

(注) サウスカロライナ州のみ選挙人が州議会で選ばれており、一般投票を行っていない。

州ごとの結果

[編集]

出典: Walter Dean Burnham, Presidential ballots, 1836–1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp 247–57.

ジェームズ・ブキャナン
民主党
ジョン・フレモント
共和党
ミラード・フィルモア
アメリカン党
州計
選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 #
アラバマ州 9 0001361846,739 62.08 9 名簿なし 0004866928,552 37.92 - 75,291 AL
アーカンソー州 4 21,910 67.12 4 名簿なし 10,732 32.88 - 32,642 AR
カリフォルニア州 4 53,342 48.38 4 20,704 18.78 - 36,195 32.83 - 110,241 CA
コネチカット州 6 34,997 43.57 - 42,717 53.18 6 2,615 3.26 - 80,329 CT
デラウェア州 3 8,004 54.83 3 310 2.12 - 6,275 42.99 - 14,589 DE
フロリダ州 3 6,358 56.81 3 名簿なし 4,833 43.19 - 11,191 FL
ジョージア州 10 56,581 57.14 10 名簿なし 42,439 42.86 - 99,020 GA
イリノイ州 11 105,528 44.09 11 96,275 40.23 - 37,531 15.68 - 239,334 IL
インディアナ州 13 118,670 50.41 13 94,375 40.09 - 22,386 9.51 - 235,431 IN
アイオワ州 4 37,568 40.70 - 45,073 48.83 4 9,669 10.47 - 92,310 IA
ケンタッキー州 12 74,642 52.54 12 名簿なし 67,416 47.46 - 142,058 KY
ルイジアナ州 6 22,164 51.70 6 名簿なし 20,709 48.30 - 42,873 LA
メイン州 8 39,140 35.68 - 67,279 61.34 8 3,270 2.98 - 109,689 ME
メリーランド州 8 39,123 45.04 - 285 0.33 - 47,452 54.63 8 86,860 MD
マサチューセッツ州 13 39,244 23.08 - 108,172 63.61 13 19,626 11.54 - 170,048 MA
ミシガン州 6 52,139 41.52 - 71,762 57.15 6 1,660 1.32 - 125,561 MI
ミシシッピ州 7 35,456 59.44 7 名簿なし 24,191 40.56 - 59,647 MS
ミズーリ州 9 57,964 54.43 9 名簿なし 48,522 45.57 - 106,486 MO
ニューハンプシャー州 5 31,891 45.71 - 37,473 53.71 5 410 0.59 - 69,774 NH
ニュージャージー州  7 46,943 47.23 7 28,338 28.51 - 24,115 24.26 - 99,396 NJ
ニューヨーク州 35 195,878 32.84 - 276,004 46.27 35 124,604 20.89 - 596,486 NY
ノースカロライナ州 10 48,243 56.78 10 名簿なし 36,720 43.22 - 84,963 NC
オハイオ州 23 170,874 44.21 - 187,497 48.51 23 28,126 7.28 - 386,497 OH
ペンシルベニア州 27 230,686 50.13 27 147,286 32.01 - 82,189 17.86 - 460,161 PA
ロードアイランド州 4 6,680 33.70 - 11,467 57.85 4 1,675 8.45 - 19,822 RI
サウスカロライナ州 8 一般投票実施せず 8 一般投票実施せず 一般投票実施せず - SC
テネシー州 12 69,704 52.18 12 名簿なし 63,878 47.82 - 133,582 TN
テキサス州 4 31,169 66.59 4 名簿なし 15,639 33.41 - 46,808 TX
バーモント州 5 10,577 20.84 - 39,561 77.96 5 545 1.07 - 50,748 VT
バージニア州 15 90,083 59.96 15 名簿なし 60,150 40.04 - 150,223 VA
ウィスコンシン州 5 52,843 44.22 - 66,090 55.30 5 579 0.48 - 119,512 WI
合計: 296 1,835,140 45.29 174 1,340,668 33.09 114 872,703 21.54 8 4,051,605 US
選出必要数: 149

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
  • Tyler Anbinder, Nativism and Slavery: The Northern Know Nothings and the Politics of the 1850s (1992)
  • Eric Foner, Free Soil, Free Labor, Free Men: The Ideology of the Republican Party before the Civil War (1970)
  • William E. Gienapp, The Origins of the Republican Party, 1852-1856 (1987).
  • Michael F. Holt, The Political Crisis of the 1850s (1978), pp 139–81
  • Nevins, Allan. Ordeal of the Union: vol 2: A House Dividing, 1852-1857 (1947), the most detailed narrative
  • Michael D. Pierson; "'Prairies on Fire': The Organization of the 1856 Mass Republican Rally in Beloit, Wisconsin" Civil War History, Vol. 48, 2002
  • Potter, David (1976). Impending Crisis 1848?1861. ISBN 0-06-090524-7 
  • James A. Rawley, Race and Politics: "Bleeding Kansas" and the Coming of the Civil War (1969)
  • Richard H. Sewell, Ballots for Freedom: Antislavery Politics in the United States, 1837-1860 (1976) 254-91

外部リンク

[編集]