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南魚沼郡

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日本 > 中部地方 > 新潟県 > 南魚沼郡
新潟県南魚沼郡の範囲(緑:湯沢町 薄黄:後に他郡に編入された区域)

南魚沼郡(みなみうおぬまぐん)は、新潟県

人口7,636人、面積357.29km²、人口密度21.4人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、以下の区域にあたる。

  • 南魚沼市
  • 魚沼市の一部(虫野・干溝・板木・原虫野・大浦・大浦新田・十日町・伊勢島・岡新田)

歴史

郡発足までの沿革

『倭名類聚抄』の国郡部に、「越後国魚沼」と記されている。

『兵範記』に、保元の乱の後で平正弘の所領だった「魚野郡殖田村」が没収されて後白河天皇領となったことが記されている。

吾妻鏡』では「於田庄」の名で記されている。

鎌倉時代には新田氏の配下の里見氏などが拠点とした。『太平記』に「上田山」「栽田山」の地名が見える。

上杉氏の頃は主に上田庄と呼ばれた。江戸時代の頃は魚沼郡と呼ばれた。

慶長3年(1598)年に上杉氏が会津に移封となり、代わって堀氏の入った高田藩(福嶋藩)の一部として扱われる。

堀氏が改易された後、いずれも短い期間で松平氏、牧野氏、福島正則、直轄領になった後、再び松平氏が入るなど頻繁に領主が変わった。

寛永の頃にいくつかの村をまとめて大肝煎(大庄屋、大割元)が置かれ、当郡域では浦佐組54ヶ村、六日町組66ヶ村、塩沢組58ヶ村に分けられた。

越後騒動の後、延宝9年(天和元年・1681年)から享保9年(1724年)までの43年間と、宝暦5年(1755年)から宝暦13年(1763年)までの8年間は天領

享保9年(1724年)から宝暦5年(1755年)までの23年間と、宝暦13年(1763年)から文久元年(1861年)までの99年間は会津藩の預り領であった。この頃は小千谷に陣屋があった。また必要に応じて塩沢と十日町にも出張陣屋が置かれた。

文久元年に幕府によって組替が行われ、代官支配の村と預り領の村、会津藩領の村にそれぞれ分割され、桑名藩の飛び地も存在するなどした。

隣の小出島には会津藩の陣屋が置かれ、当地域は国境付近の天領も含めて会津藩士が警備を担当していた。この事が戊辰戦争で戦地になる要因となった。

幕末の知行
知行 村数 村名
幕府領 幕府領(出雲崎代官所) 54村 浅貝村、二居村、三俣村、○神立村、湯沢村、○土樽村、○下一日市村、上一日市村、関村、○関山村、○上野村、宮野下村、君沢村、大窪村、大沢村、田中村(現・南魚沼市南田中)、大木六新田、○中子新田、五郎丸村、丸池新田、万条新田、姥島新田、仙石村、○舞子村、徳田新田、○塩沢村、中村、天野沢村、○大月村、○大木六村、○吉山新田、滝谷村、○田崎村、○新堀村、下原新田、野際村、新堀新田、○岩崎村、二日町村、津久野村、中川村、中川新田、○長森村、○下原村、○法音寺村、○上原村、○藤原村、上原新田、長森新田、宮村、宮村下新田、○今町村、○芹田村、○九日町村
幕府領(会津藩預地 34村 片田村、竹俣新田、○思川村、思川新田、○吉里村、泉盛寺村、栃窪新田、○目来田村、樺野沢新田、○樺野沢村、○島新田、○上十日町村、○六日町村、●八幡村、川窪村、○美佐島村、小栗山本新田、小栗山今新田、君帰村、○小栗山村、○余川村、○欠ノ上村、○野田村、○五日町村、○四十日村、○寺尾村、田中村(現・南魚沼市北田中)、名木沢村、奥村新田、蓑和島村、青木新田、城山新田、大杉新田、宇津野新田
幕府領(桑名藩預地) 6村 ○干溝村、干溝新田、○板木村、○大浦村、山崎新田、山崎村
幕府領(脇野町代官所) 11村 ●浦佐村、今町新田、水尾新田、○水尾村、○大崎村、黒土新田、黒土村、大倉村、大倉新田、川棚新田、○虫野村
藩領 陸奥会津藩 72村 中野村、中野新田、○竹俣村、茗荷沢村、○雲洞村、○東泉田村、三郎丸村、○八竜新田、大里村、小木六村、小杉新田、姥沢新田、蟹沢新田、○長崎村、枝吉村、早川村、○高倉村、○坂戸村、京岡村、泉新田、山口村、○永松村、蛭窪村、○小川村、津久野上新田、○麓村、○上薬師堂村、津久野下新田、泉孫新田、京岡新田、岡村、畔地新田、野中村、清水瀬村、土沢村、原村、舞台村、山谷村、畔地村、明川新田、○妙音寺村、上出浦村、下出浦村、○泉村、深沢村、○下薬師堂村、市野江村、○一村尾村、鰕島新田、海士ヶ島新田、柳古新田、○穴地村、穴地新田、船ヶ沢新田、○五箇村、原虫野新田、○伊勢島新田、○大浦新田、十日町村、岡新田、雷土村、湯谷村、芋川村、赤羽村、○門前村、雷土新田、大桑原村、茗荷沢新田、荒金村、桐沢村、堂島新田、荒山村
幕府領・藩領 幕府領(会津藩預地)・会津藩 1村 ○西泉田村
  • 慶応4年
    • 5月 - 郷村からも兵が召集された閏4月21日から24日の三国峠の戦い、同27日の小出島の戦いの後、新政府軍の統治下に置かれる。小千谷民政府が治安維持に当たった。
    • 7月27日1868年9月13日) - 幕府領が柏崎県(第1次)の管轄となる。
  • 明治元年
  • 明治2年
  • 明治初年 - 大倉新田・川棚新田が大倉村に合併。(176村)
  • 明治4年
    • 11月20日1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が柏崎県の管轄となる。当郡域には第四大区が置かれ21の小区に分けられる。
    • 奥村新田・蓑和島村が合併して奥村となる。(175村)
  • 明治6年(1873年6月10日 - 全域が新潟県の管轄となる。当郡域には第十三大区が置かれ九つの小区に分けられた。
  • 明治5年(1872年) - 小栗山本新田・小栗山今新田が小栗山村に合併。(173村)
  • 明治8年(1875年) - 干溝新田が干溝村に、明川新田が山口村にそれぞれ合併。(171村)
  • 明治9年(1876年) - 泉孫新田が泉村に合併。(170村)
  • 明治10年(1878年) - 思川新田が思川村に、中野新田が中野村にそれぞれ合併。(168村)

郡発足以降の沿革

  • 明治12年(1879年
    • 4月9日 - 郡区町村編制法の新潟県での施行により、魚沼郡のうち168村に行政区画としての南魚沼郡が発足。郡役所が六日町村に設置。同日大区小区制廃止。
    • 2ヶ所ずつ存在した田中村が南田中村、北田中村にそれぞれ改称(それぞれ現行の大字に継承)。
  • 明治14年(1882年) - 早川村より清水村が分村。(169村)
  • 明治16年(1884年) - 祖師村が上野村に合併。(168村)
  • 明治18年(1886年) - 早川村より一ノ沢村が分村。(169村)
  • 明治20年(1888年) - 鰕島新田が鰕島村に改称。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。特記以外は現・南魚沼市。(47村)
町村制施行時の47村
  • 浅貝村二居村三俣村神立村土樽村湯沢村(それぞれ単独村制、現・湯沢町)
  • 上関村 ← 関村、関山村、上野村
  • 大沼村 ← 上一日市村、下一日市村、宮野下村
  • 大君田村 ← 君沢村、大沢村、大窪村、南田中村
  • 塩沢村(単独村制)
  • 中目来田村 ← 中村、目来田村
  • 富実村 ← 天野沢村、樺野沢村、樺野沢新田、泉盛寺村
  • 吉里村(単独村制)
  • 上島村 ← 上十日町村、島新田
  • 栃窪新田(単独で自治体を形成)
  • 大富村 ← 竹俣村、竹俣新田、片田村、思川村、西泉田村
  • 西中島村 ← 舞子村、万条新田、姥島新田、中子新田、丸池新田
  • 東中島村 ← 仙石村、徳田新田、五郎丸村、大木六新田、中野村
  • 大木六村 ← 大木六村、吉山新田、小杉新田
  • 大和村(第1次) ← 大里村、八竜新田、小木六村
  • 南旭村 ← 滝谷村、蟹沢新田、清水村、姥沢新田、一ノ沢村
  • 長崎村(単独村制)
  • 旭村 ← 三郎丸村、早川村、枝吉村
  • 三和村 ← 雲洞村、大月村、東泉田村
  • 小栗山村(単独村制)
  • 六日町村 ← 六日町村、坂戸村
  • 余川村君帰村欠ノ上村川窪村八幡村美佐島村(それぞれ単独村制)
  • 西五十沢村 ← 津久野村、津久野上新田、津久野下新田、二日町村、岩崎村、宮村、宮村下新田、深沢村
  • 東五十沢村 ← 蛭窪村、原村、畔地新田、畦地村、舞台村、野中村、清水瀬村、土沢村、小川村
  • 南五十沢村 ← 山谷村、中川村、中川新田、京岡村、京岡新田、永松村
  • 南城内村 ← 上出浦村、下出浦村、上薬師堂村、野際村、妙音寺村、岡村、下薬師堂村、山口村、田崎村、法音寺村、藤原村、新堀新田、新堀村
  • 北城内村 ← 麓村、長森村、長森新田、上原村、上原新田、下原村、下原新田、泉村、泉新田
  • 大巻村 ← 奥村、寺尾村、大杉新田、四十日村、北田中村、宇津野新田、青木新田、野田村
  • 南藪神村 ← 五日町村、城山新田、名木沢村、今町村、九日町村
  • 北藪神村 ← 市野江村、一村尾村、芹田村
  • 浦佐村 ← 浦佐村、五箇村、鰕島村
  • 水尾村 ← 水尾村、水尾新田
  • 大崎村 ← 大崎村、柳古新田、今町新田、海士ヶ島新田、穴地村、穴地新田
  • 水無村 ← 茗荷沢村、茗荷沢新田、荒金村、堂島新田、桐沢村、荒山村
  • 坂本村 ← 黒土村、黒土新田、大倉村、船ヶ沢新田
  • 三用村 ← 山崎村、大桑原村、門前村、赤羽村、芋川村、湯谷村、雷土村、雷土新田、山崎新田
  • 伊米ヶ崎村 ← 虫野村、十日町村、岡新田、大浦新田、大浦村、干溝村、板木村、原虫野新田、伊勢島新田(現・魚沼市)
明治34年の合併
  • 三国村 ← 浅貝村、二居村
  • 中之島村 ← 西中島村、東中島村、大木六村、大和村
  • 五十沢村 ← 西五十沢村、東五十沢村、南五十沢村
  • 城内村 ← 南城内村、北城内村
  • 大巻村 ← 大巻村、南藪神村[五日町]
  • 藪神村 ← 北藪神村、南藪神村[九日町・名木沢・城山新田・今町]
  • 大崎村 ← 水尾村、大崎村
  • 東村 ← 赤石村、三用村
  • 明治39年(1906年)4月1日(2町16村)
    • 上関村・大沼村・大君田村が合併して石打村が発足。
    • 中目来田村・富実村・吉里村・上島村・栃窪村および大富村の一部(竹俣・竹俣新田・片田村・思川)が塩沢町に編入。
    • 南旭村・長崎村・旭村および三和村の一部(雲桐)が合併して上田村が発足。
    • 小栗山村・余川村・君帰村・欠ノ上村・川窪村・八幡村・美佐島村および大富村の残部(西泉田)・三和村の残部(東泉田・大月)が六日町に編入。
  • 大正12年(1923年3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和25年(1950年)4月1日 - 伊米ヶ崎村の一部(干溝)が北魚沼郡小出町に編入。
  • 昭和29年(1954年5月1日 - 伊米ヶ崎村が北魚沼郡小出町に編入。(2町15村)
  • 昭和30年(1955年)3月31日 - 湯沢村・三国村・三俣村・神立村・土樽村が合併して湯沢町が発足。(3町10村)
  • 昭和31年(1956年
    • 4月1日 - 藪神村・浦佐村・大崎村・東村が合併して大和村(第2次)が発足。(3町7村)
    • 9月1日 - 五十沢村・城内村・大巻村が六日町に編入。(3町4村)
  • 昭和32年(1957年2月1日 - 石打村・上田村が塩沢町に編入。(3町2村)
  • 昭和34年(1959年)11月1日 - 中之島村が塩沢町に編入。(3町1村)
  • 昭和37年(1962年)4月1日 - 大和村が町制施行して大和町となる。(4町)
  • 平成16年(2004年)11月1日 - 六日町・大和町が合併し南魚沼市が発足し、郡より離脱。(2町)
  • 平成17年(2005年10月1日 - 塩沢町が南魚沼市に編入。(1町)

行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 岡村貢 明治12年(1879年)4月9日 明治15年(1872年)10月9日 (旧)第四大区、(旧)第十三大区長
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 15 新潟県、角川書店、1989年9月1日。ISBN 4040011503 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

外部リンク

『越佐地図教科書』(国立国会図書館デジタルコレクション)- 1896年(明治29年)1月出版。人口 55,943人、戸数9620との記述あり

先代
魚沼郡
行政区の変遷
1879年 -
次代
(現存)