松永幹夫
松永幹夫 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
熊本県菊池郡西合志町 (現・熊本県合志市) |
生年月日 | 1967年4月10日(57歳) |
身長 | 162cm |
体重 | 49kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | 山本正司(1986年3月1日 - 引退) |
初免許年 | 1986年3月1日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 2006年2月28日 |
重賞勝利 | 60勝(中央54勝・地方6勝) |
G1級勝利 | 11勝(中央6勝・地方5勝) |
通算勝利 | 12607戦1432勝(中央・地方通算) |
調教師情報 | |
初免許年 | 2006年(2007年開業) |
経歴 | |
所属 | 栗東T.C. |
松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は日本中央競馬会 (JRA) の調教師、元騎手。
童顔で甘いマスクを持ち、騎手デビュー直後から女性ファンが多くついた[1]。名前をもじってミッキーという愛称でも呼ばれる[1]。
来歴
騎手時代
JRAの競馬学校の第2期生。同期には横山典弘、熊沢重文らがいる[2]。1986年にデビューし、引退するまで山本正司厩舎に所属した[1]。
初騎乗は1986年3月1日、阪神競馬第1競走のインターアビリティで13頭立ての12着だった[3]。初勝利は同年3月23日、阪神競馬第7競走でツルマイスワローに騎乗してのものであった[3]。重賞初勝利は1988年、函館3歳ステークスでサザンビーナスに騎乗して挙げた[4]。1991年にはイソノルーブルで優駿牝馬(オークス)を制しGI初勝利[4]。同年12月に香港に遠征し、初騎乗初勝利を挙げている[5]。
また、1989年の暮れに開催されたワールドスーパージョッキーズシリーズに優勝している[6]。夏の主戦場は北海道だった[7]。1996年、調教中に事故で腎臓を摘出する重傷を負ったが、復帰後も活躍を続け、1997年には自身最多となる101勝を挙げた[4]。
所属先の山本厩舎が管理する馬にも多く騎乗した。ダートで活躍したカネツフルーヴやレギュラーメンバー[4]、NHK杯勝ち馬マイシンザンや、クラシック三冠全てに騎乗したメガスターダムなどがそれである[4][3]。2005年にはヘヴンリーロマンスに騎乗し、天皇賞(秋)を制した[4]。所属厩舎でのJRAGI初勝利、エアグルーヴ以来の牝馬による天皇賞制覇に加え、3連単の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった[8]。
2006年度のJRA調教師試験に合格したため38歳の若さで鞭を置くこととなった[1]。現役騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪神競馬第11競走・阪急杯でブルーショットガンに騎乗し、出走馬15頭中単勝11番人気という低評価を覆し勝利[9]。続く最終12競走でもフィールドルージュで勝利[9]。引退レースにてJRA通算1400勝を達成し、「競馬の神様に愛された男」と呼ばれた[9]。
調教師以後
2007年2月で引退した師匠の山本の後を継ぎ、3月1日に厩舎を開業[10][9]。管理馬の初出走は3月4日、阪神競馬第8競走のダノンシャトルで5着[11]。初勝利は同年3月25日中京競馬第7競走のアグネススピリッツで[11]、騎手は松永と同期の横山典弘だった[12]。
2009年8月2日、ダンスアジョイが小倉記念に勝ち、馬ともども重賞初制覇[7]。奇しくも騎手時代に重賞勝ちがなかった小倉競馬場での達成となった[7]。同年10月18日、レッドディザイアが秋華賞で勝利。騎手時代にファビラスラフインで制した競走で、調教師としてのGI初制覇を果たした[13]。
2014年12月13日、中山大障害でレッドキングダムが優勝し、JRA障害GIレースで初勝利した[14]。
騎手成績
1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | |
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平地 | 1400 | 1272 | 1208 | 12416 | .113 | .215 |
障害 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
- 出典:JRA 引退騎手情報
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | 出典 | |
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初騎乗 | 1986年3月1日 | 1回阪神3日1R | 4歳未勝利 | インターアビリティ | 13頭 | 7 | 12着 | [3] |
初勝利 | 1986年3月23日 | 2回阪神2日7R | 5歳上900万下 | ツルマイスワロー | 10頭 | 2 | 1着 | [3] |
重賞初騎乗 | 1986年8月17日 | 1回函館6日9R | 函館記念 | トーホウカムリ | 12頭 | 4 | 2着 | [4][15] |
重賞初勝利 | 1988年9月25日 | 2回函館8日9R | 函館3歳S | サザンビーナス | 11頭 | 3 | 1着 | [4][16] |
GI初騎乗 | 1987年4月12日 | 2回阪神6日10R | 桜花賞 | オカノアスティー | 18頭 | 11 | 10着 | [4][17] |
GI初勝利 | 1991年5月19日 | 3回東京2日10R | 優駿牝馬 | イソノルーブル | 20頭 | 4 | 1着 | [4][18] |
主な勝ち鞍・騎乗馬
- イソノルーブル (1991年優駿牝馬)[1]
- ファビラスラフイン (1996年秋華賞)[1]
- キョウエイマーチ (1997年桜花賞)[1]
- チアズグレイス (2000年桜花賞)[1]
- レギュラーメンバー (2000年ダービーグランプリ、2001年川崎記念・JBCクラシック)[4]
- ファレノプシス (2000年エリザベス女王杯)[1]
- カネツフルーヴ (2002年帝王賞、2003年川崎記念)[4]
- ヘヴンリーロマンス (2005年天皇賞・秋)[1]
調教師成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | 出典 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 2007年3月4日 | 1回阪神4日8R | 4歳上500万下 | ダノンシャトル | 14頭 | 3 | 5着 | [11] |
初勝利 | 2007年3月25日 | 1回中京8日7R | 4歳上500万下 | アグネススピリッツ | 11頭 | 3 | 1着 | [11] |
重賞初勝利 | 2009年8月2日 | 2回小倉6日10R | 小倉記念 | ダンスアジョイ | 18頭 | 16 | 1着 | [7] |
GI初勝利 | 2009年10月18日 | 4回京都4日11R | 秋華賞 | レッドディザイア | 18頭 | 2 | 1着 | [13] |
重賞勝ち馬
- ダンスアジョイ(2009年小倉記念)[11]
- サンダルフォン(2009年北九州記念)[11]
- レッドディザイア(2009年秋華賞)[11]
- セレスハント(2010年サマーチャンピオン、2011年東京スプリント、2012年北海道スプリントカップ、2013年北海道スプリントカップ)[19]
- フラガラッハ(2012年・2013年中京記念)[11]
- レッドキングダム(2014年中山大障害)[11]
- ヴァンセンヌ(2015年東京新聞杯)[20]
- アムールブリエ(2015年エンプレス杯)[21]
- ラニ(2016年UAEダービー)[22]
牝馬の松永
松永は引退までにGIを6勝したが、1991年のイソノルーブル(優駿牝馬)以来、その全てが牝馬によるものだった。騎手時代に牝馬限定GIで未勝利の競走は、阪神ジュベナイルフィリーズのみである。このように牝馬限定重賞で活躍することが多いため「牝馬の松永(ミキオ)」と呼ばれることがあった[8][1]。
2005年にはヘヴンリーロマンスに騎乗して天皇賞(秋)を制したが、これは松永自身、牝馬限定競走以外では唯一のJRAGI勝利[注 1]である[3]。この競走は中央競馬史上初めて天覧競馬として施行されたが、松永は優勝を決めたあと、メインスタンドの貴賓席で観戦していた天皇・皇后両陛下に向かい、馬上から[注 2]ヘルメットを脱いで敬礼をした[8]。
脚注
注釈
- ^ JRAGI優勝はないが、ダートグレード競走では、カネツフルーヴ(帝王賞、川崎記念)、レギュラーメンバー(ダービーグランプリ、川崎記念、JBCクラシック)でGIを勝利している[4]。
- ^ 騎乗馬が故障した場合をのぞき、競走後にコース内で騎手が下馬することは禁止されているため。[23]
出典
- ^ a b c d e f g h i j k “競馬の神様に愛された男 松永幹夫”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “騎手卒業生名簿”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c d e f “引退騎手情報 松永 幹夫 (マツナガ ミキオ)”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “特別企画 松永幹夫騎手 引退メモリアル”. 競馬道Online. 競馬ブック. 2015年6月13日閲覧。
- ^ 島田明宏 (2014年5月17日). “日高にて”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “ワールドスーパージョッキーズシリーズ 過去の成績”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c d “松永幹師ダンスで重賞初V/小倉記念”. 日刊スポーツ. (2009年8月3日) 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c 『Gallop臨時増刊号2005重賞年鑑』産業経済新聞社、2005年、113-115頁。
- ^ a b c d “The G-Files 060 松永幹夫騎手 現役最終日の重賞勝利 勝利の美酒をともに ブルーショットガン”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “東西で7調教師、明日厩舎開業”. ラジオNIKKEI. (2007年2月28日) 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 2015年6月13日現在。JRA調教師調教師情報「ま行」→「ま」→「松永 幹夫」(直接リンクができないため、このような表記をしている)
- ^ “松永幹夫調教師がJRA初勝利!”. ラジオNIKKEI. (2007年3月25日) 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b 【秋華賞】(京都)~レッドディザイア 激戦制してブエナに雪辱 - ラジオNIKKEI 2009年10月18日(2015年3月22日閲覧)
- ^ 【中山大障害(J・GI)】(中山)~ディープインパクト産駒レッドキングダムがGI初制覇 - ラジオNIKKEI 2014年12月20日(2015年3月22日閲覧)
- ^ “第22回函館記念(G3)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “第20回函館3歳ステークス(G3)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “第47回桜花賞(G1)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “第52回優駿牝馬(G1)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “セレスハント引退、種牡馬に”. ラジオNIKKEI. (2014年12月25日) 2015年6月14日閲覧。
- ^ 2015年レース結果 - netkeiba、2015年2月16日閲覧
- ^ 「エンプレス杯競走優勝馬 」 -南関東4競馬公式 2015年3月8日閲覧
- ^ “ラニが日本調教馬初のV! ユウチェンジも3着に/UAEダービー”. netkeiba.com. (2016年3月26日) 2016年3月27日閲覧。
- ^ 日本中央競馬会競馬施行規程第8章第106条3、第120条 - JRAホームページ JRA関連法令等
関連項目
外部リンク
- 松永幹夫 (@MikioMatsunaga) - X(旧Twitter)
- 引退騎手情報 松永 幹夫 (マツナガ ミキオ) - JRAホームページ
- 伝説のジョッキー 第14回 競馬の神様に愛された男 松永幹夫 - JRAホームページ