武豊
武豊 | |
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2012年12月24日 リボン賞表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
京都府京都市伏見区淀生まれ 育ちは滋賀県栗太郡栗東町 (現・栗東市) |
生年月日 | 1969年3月15日(55歳) |
身長 | 170.5cm |
体重 | 51kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 栗東トレーニングセンター |
初免許年 | 1987年3月1日 |
免許区分 | 平地競走 |
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武 豊 (たけ ゆたか、1969年(昭和44年)3月15日[1] - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手。
来歴
2010年 (平成22年) 4月12日に日本騎手クラブの東西役員総会で柴田善臣の後任として会長に選出[2][3]、同年9月に会長へ就任した[1]。
ダービージョッキーとして
日本競馬界において頂点の競走として位置付けられている東京優駿(日本ダービー)では5勝を挙げており[4]、歴代最多[5][6]。
初めての東京優駿(日本ダービー)騎乗は1988年(昭和63年)のコスモアンバー(16着)[4]。以後、1989年にタニノジュリアス(10着)、1990年にハクタイセイ(5着)、1991年にシンホリスキー(19着)、1993年にナリタタイシン(3着)、1994年にフジノマッケンオー(4着)、1995年にオースミベスト(8着)、1996年にダンスインザダーク(2着)、1997年にランニングゲイル(5着)[4]。デビューから実に9回の挑戦を繰り返すも勝利を記録することはできなかった[4]。勝利を逃し続けるうちに周囲では「武豊はダービーだけは勝てない」というジンクスが形成されるまでにいたった[7]。武自身は感情に流されずコントロールするのもプロフェッショナルとして必要な素養であると考えていた為、表面上は何気ない風に装ってはいたが、内心では「余計なお世話や」と歯噛みするような思いであったという[4]。
1998年(平成10年)のスペシャルウィークで東京優駿(日本ダービー)を初めて勝利[7]。17万人の観衆によって埋め尽くされた東京競馬場では「ユタカ」コールが沸き起こり、何度もガッツポーズした。武自身は後でビデオを見た時に恥ずかしくなったという。武はこの瞬間を「それまでの人生で、最大、最高の瞬間」と振り返る[4]。
その後も1999年のアドマイヤベガ、2002年のタニノギムレット、2005年のディープインパクト、2013年のキズナで東京優駿(日本ダービー)を優勝、通算5回の優勝歴がある。なお、ディープインパクトとキズナは親子であり、親子ともに騎乗して東京優駿(日本ダービー)を優勝した騎手は武のみである[5]。
武はダービー制覇への思いについて以下のように語っている。
積み重ねてきた経験と何度も噛みしめた苦い思い、そして、何よりも、自分の手で掴み取ろうとする強固な意志があってはじめて、辿り着ける最高の場所です。 — 武豊、勝負師の極意 p.183より引用
成績
記録年表
- 1987年
- 栗東の武田作十郎厩舎所属となり念願の騎手デビューを果たす[8]。初騎乗は3月1日1回阪神2日目の第4競走のアグネスディクターであった[8](2着)。
- 1988年
- 菊花賞をスーパークリークで勝利し初のGI勝利を飾る[1]。
- 1991年
- アメリカ・サラトガ競馬場のセネカハンデキャップ (G3) でEl Senor (エルセニョール) に騎乗し、初めての海外グレード競走(およびグループ競走)制覇を達成した[1]。
- 1994年
- 9月4日、フランス・ロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗し、JRA所属の騎手としては初めての海外G1勝利を達成する[1]。
- 1995年
- 7月23日に史上最速・最年少 (26歳4か月) でJRA通算1000勝を達成[1]。
- 2002年
- 12月7日、阪神競馬場にて1日8勝を達成した[1]。これはJRAの新記録であり、世界タイ・レコードに迫る記録でもある[1]。
- 2003年
- 12月27日にJRA史上初となる年間200勝を達成した(最終成績は204勝)[1] 。
- 年間通じて、JRA・地方における全GIへの騎乗を達成した[1]。
- 2004年
- 12月12日に中央競馬で年間200勝を達成、最終成績は211勝となり前年自ら樹立した記録を更新した[1]。
- 2005年
- 5月29日、東京優駿 (日本ダービー) でディープインパクトで制覇する[1]。
- 10月23日、第66回菊花賞をディープインパクトで制覇し中央競馬クラシック三冠を達成する[1]。これは史上2頭目の無敗三冠達成であった[1]。
- 2007年
- 7月21日、JRA歴代の最多勝記録を更新する2944勝を達成[1]。
- 2012年
- 2月12日、トレイルブレイザーにて京都記念を勝利[1]、デビューから続いている連続重賞勝利記録を26年に更新する[1]。
- 2014年
- 1月26日、メイショウインロウにて史上初のJRA通算3600勝達成(44歳10か月)[9]
- 2月9日、トーセンスターダムにてきさらぎ賞を勝利し、デビューから続いている連続重賞勝利記録を28年に更新し、岡部幸雄が持つJRA記録に並ぶ(武豊はデビュー年からの連続記録[10])。
- 10月14日、第4回京都3日目第12レース3歳上500万円以下でピエナトップガンに騎乗、JRA通算騎乗数を18,648回とし、岡部幸雄が保持していたJRA最多騎乗記録を更新した[11]。
- 2015年
- 1月11日、グァンチャーレにてシンザン記念を勝利し、デビューから続いている連続重賞勝利記録を29年に更新[12]。
騎手招待競走
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
競馬に関して
- 天皇賞(秋)は通算5勝[7]。
- デビュー戦で騎乗したアグネスディクターは本来前開催で出走させるローテーションであったが、師であった武田作十郎が武のデビュー戦に合わせ出走させたという。コースを回ってくるだけで勝てる程に馬体は仕上がっていたが、4コーナーで少しインへ切り込んだと同時に後方で南井克巳が落馬し審議ランプが点灯した。武はそれに動揺して馬体をアウトへ膨らませてしまい、追い出すタイミングが微妙に遅れ、勝利を逃した。レース後に南井の落馬は武のコース取りとは関係無いと判明したが、武は一生に一度しか存在しない「初騎乗初勝利」を逃した事が心残りであると悔やみ、もしもやり直しが出来るレースがあればこのデビュー戦が間違いなくやり直したいレースの一つであると語っている[8]。
その他
- 佐野量子との結婚式は1995年(平成7年)6月5日に京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた[14]。結婚披露宴は1995年11月20日に京都府の都ホテルで行われたが、これは「1000勝祝賀会」も兼ねたものだった[15]。この結婚式のために、SING LIKE TALKINGは「Spirit Of Love」を作曲した。
- 近所のゴルフコースへ父親のゴルフクラブを用いてラウンドしたことがあり、公にコースへ出て腕前を披露した際、優に100を切るスコアを叩き出し周囲を驚かせた[16]。
- 競輪の村上義弘とは親交が深く[17][18][19]、村上が2012年の「KEIRINグランプリ」を制覇した後に「2人でダービーとってお祝いしましょう」とお互いに約束を交わし[18]、武・村上ともに2013年の「ダービー」を制覇して約束は現実のものとなった[18]。武自身も競輪に詳しく[18]、毎年のように「KEIRINグランプリ」を競輪場の現地で観戦していると武は語る[19]。
- 2013年に起きた競輪選手の移籍騒動(SS11騒動)[20]について「同じ公営競技に関わる者として五輪種目でもある競輪は誇り。レースに人間模様がにじみ、大人が真剣に自転車をこぐ姿が好きだ。今回の騒動はいったい誰が得をしたのか。選手にペナルティーを科すのもおかしい」と一競輪ファンとして苦言を呈した[21]。
- 阪神タイガースファン[16]で、阪神の選手と親交も深い。甲子園で阪神-巨人戦の始球式を務めたり、試合のテレビ中継のゲストとして出演した経験もある。[22]
- 2005年(平成17年)、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2005」受賞[23]。
- 2005年(平成17年)、雑誌「Number」が選ぶ2005年度のMVPを受賞した[24]。
- 愛知県知多郡にある武豊町 (たけとよちょう)から、「同姓同名」の縁ということで1989年に一日町長を要請されたことがある[25]。1999年にも武豊町から招かれトークショーが企画された[26]
- ハローキティの大ファンであり、ヘルメットの後ろに「隠しアイテム」を着けて騎乗することもある[27]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “プロフィール”. 武豊オフィシャルサイト. 2013年12月15日閲覧。
- ^ “武豊騎手、騎手会長に”. ラジオNIKKEI (2010年4月21日). 2013年12月15日閲覧。
- ^ “関西初! 日本騎手クラブ新会長に武豊を選出”. スポニチアネックス (2010年4月22日). 2013年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f 勝負師の極意pp.177-183
- ^ a b 和田美保 (2013年5月27日). “武豊復活V!キズナ凱旋門賞へ/ダービー”. nikkansports.com. 2013年12月15日閲覧。
- ^ 武豊の日本ダービー全成績…キズナやディープインパクトで史上最多の5勝 - 競馬TIMES
- ^ a b c d e 島田明宏「徹底検証 武豊 GI100勝の軌跡」『優駿2014年1月 通巻841号』、日本中央競馬会、2014年1月、46-48頁。
- ^ a b c 勝負師の極意pp.93-97
- ^ 『週刊競馬ブック 2014年2月2日号』、ケイバブック、168頁。
- ^ 「東京スポーツ」2012年12月5日
- ^ “開催競馬場・今日の出来事”. JRA (2014年10月14日). 2014年10月14日閲覧。
- ^ 「スポーツ報知」2015年1月12日
- ^ “「トルコジョッキークラブ国際騎手招待レース」の武豊騎手の騎乗成績”. JRA (2013年7月18日). 2013年12月15日閲覧。
- ^ “中央競馬を振り返る - 1995年6月”. 競馬ニホン. 2013年12月15日閲覧。
- ^ “中央競馬を振り返る - 1995年11月”. 競馬ニホン. 2013年12月15日閲覧。
- ^ a b 片山良三 (2009年8月28日). “武豊「今のままの顔でまた表紙を飾りたい」”. Number Web. pp. 2. 2013年12月5日閲覧。
- ^ “【マイルCS】池江氏 武豊の金字塔に「常識では考えられない数字」”. スポニチアネックス (2013年11月18日). 2013年11月18日閲覧。
- ^ a b c d 二宮清純 (2013年10月23日). “競輪・村上義弘、武豊と約束したダービー制覇”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2013年11月18日閲覧。
- ^ a b 武豊. “特別対談企画 武豊×村上義弘”. 武豊オフィシャルサイト. 2013年12月2日閲覧。
- ^ 村上は長塚智広、武田豊樹と共にこの騒動を主謀したとして、日本競輪選手会より翌2014年5月1日から1年間の競走出場自粛を言い渡されていたが、後に3ヵ月間に短縮された。
- ^ ファン無視に武豊も参戦! 競輪界の仁義なき“走路妨害
- ^ “武豊騎手、甲子園球場で始球式”. netkeiba.com (2006年7月14日). 2013年12月15日閲覧。
- ^ “ベストスマイルヒストリー 1993年 - 2006年受賞者”. ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー運営事務局. 2013年12月15日閲覧。
- ^ “身に余る光栄”. 武豊オフィシャルサイト (2005年12月5日). 2013年12月15日閲覧。
- ^ “武豊騎手にラブコール 愛知・武豊町が“一日町長”要請”. 中日新聞社 1989年6月28日 朝刊 東海社会面: p. 25. (1989年6月28日)
- ^ 山田一晶 (1999年6月16日). “「武豊」…知名度あやかりたい 町が本人招き、トークショー --来月21日 /愛知”. 毎日新聞社1999年6月16日 愛知地方版
- ^ “キティちゃんから取材を受けました”. 武豊オフィシャルサイト (2014年5月5日). 2014年5月6日閲覧。
参考文献
- 『武豊・武幸四郎徹底分析―天才騎手の系譜』四條たか子
- 武豊『勝負師の極意』双葉社、2013年10月。ISBN 978-4-575-30576-0。