ヒカルタカイ
ヒカルタカイ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1964年4月9日 |
死没 | 1990年6月10日 |
父 | リンボー |
母 | ホマレタカイ |
母の父 | ハクリヨウ |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
生産者 | 吉田勇 |
馬主 |
高井正子 →長山善健 →高井嘉輔 |
調教師 |
鏑木文一郎(大井) →藤本冨良(東京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 31戦15勝 |
ヒカルタカイは日本の競走馬である。南関東公営競馬の初代三冠馬で、中央競馬に移籍後は天皇賞(春)・宝塚記念を制した。リンボーの代表産駒である。
半妹にタカイホーマ(父・スパニッシュイクスプレス)がいる。
概要
馬齢は旧表記を用いる。
3歳となった1966年に大井競馬場でデビューした。購買価格70万円と破格の安さで売られた事と、当初は脚部不安を抱えていた事もあり評価は高くなかったが、全日本三才優駿・青雲賞優勝を含む7戦4勝を挙げた。因みに、2戦目では大井競馬場ダート1000mを1分00秒2というレコードタイムで勝利している。
4歳となった1967年は12戦7勝で黒潮盃・南関東三冠競走の羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞を全て優勝し、三冠競走創設以来初となる三冠馬となった。この年の最終戦となった12月の東京大賞典[1]は2着に終わったものの、その評価が下がる事は無かった。
古馬となった1968年は元日の新春盃(2着)を最後に中央競馬に移籍した。オープン競走を3戦連続2着で迎えた天皇賞(春)では2着馬タイヨウを2秒8差の大差(記録上は「大差」。馬身に換算すると17馬身[2]と推測される。着差の項目を参照)という八大競走史上最大の着差で優勝した。続く宝塚記念も2分14秒7のレコードタイムで優勝し、「雨天に助けられた圧勝」というイメージを払拭した。この功績により同年の啓衆社賞最優秀古馬牡馬を受賞した。同年は6戦2勝。
9ヶ月休養後、1969年は脚部不安が祟ったのが6戦1勝に終わり、12月6日のオープン戦6着を最後に引退した。
因みに、天皇賞(春)・宝塚記念優勝時にコンビを組んだ野平祐二であるが、ヒカルタカイを「強いの一語に尽きる」と言う程高く評価している。
引退後は種牡馬となったが、産駒は報知オールスターカップを優勝したモブスターを出した程度に終わった。また、母の父としては桜花賞を優勝したダイアナソロンを輩出している。
血統表
ヒカルタカイの血統(マンノウォー系/ダイオライト4×4=12.50% (母内) ) | (血統表の出典) | |||
父 *リンボー Limbo 1949 |
父の父 War Admiral1917 栗毛 |
Man o'War | Fair Play | |
Mahubah | ||||
Brushup | Sweep | |||
Annette K. | ||||
父の母 Boojie1943 |
Boojum | John P Grier | ||
Elf | ||||
Foxiana | Stefan the Great | |||
Istar | ||||
母 ホマレタカイ 1960 鹿毛 |
ハクリヨウ 1950 鹿毛 |
*プリメロ Primero |
Blandford | |
Athasi | ||||
第四バツカナムビューチー | *ダイオライト | |||
バツカナムビューチー | ||||
母の母 シマノオー1953 鹿毛 |
クモハタ | *トウルヌソル | ||
*星旗 | ||||
昇正 | *ダイオライト | |||
*種正 F-No.5-h |