無厭会
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無厭会(むえんかい)は1946年(昭和21年)に京都で結成された日本の陶芸家集団である。
概要
[編集]結成時のメンバーは河合瑞豊・河合栄之助・米沢蘇峰・高橋道八・大丸北峰・宇野仁松・久世久宝・山崎光洋・近藤悠三・浅見五郎助・赤沢露石・清水六和・清水六兵衛・三浦竹泉・宮川香斎・七兵衛信翠・新開邦太郎・永樂善五郎・森野嘉光・諏訪蘇山である[1][2]。
「清水焼名家展」と銘打ち、京都の大丸で10年間ほど、毎年展覧会が行われた[3][4][5]。
高度経済成長の中、会員個々の方向性が異なっていった。会員20名のうち多くが京都伝統陶芸家協会の結成に参加している。会員からは日展への出品者、芸術院会員、芸術院受賞者、日本工芸会会員、人間国宝がそれぞれ出た一方、無所属となった者や次の世代に芸術院会員を輩出した者もいた。[6][7]
関連リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ 「1947 昭和22年2月 無厭会 創立(東山区五条橋東6丁目、山崎光洋方。清水焼作家20名によって結成、会員は河合瑞豊・河合栄之助・米沢蘇峰・高橋道八・大丸北峰・宇野仁松・久世久宝・山崎光洋・近藤悠三・浅見五郎助・赤澤露石・清水六和・清水六兵衛・三浦竹泉・宮川香斎・七兵衛信翠・新開邦太郎・永樂善五郎・森野嘉光・諏訪蘇山)」京都府立総合資料館(編)『京都府百年の年表 8 (美術工芸編)』京都府、1970年、p.252
- ^ 『日本美術年鑑 昭和29年版』 東京国立文化財研究所、1954年、p.270
- ^ 『日本美術年鑑 昭和31年版』東京国立文化財研究所、1957年、p.295
- ^ 「清水六兵衛らと無厭会を結成し、58年まで展覧会を開催する。」山崎光洋『日本美術年鑑 昭和55年版』p.290[要文献特定詳細情報]
- ^ 「山崎光洋 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)(閲覧日 2023-03-22)
- ^ 芸術院会員 森野泰明
- ^ 芸術院会員 河合誓徳