瀧見山延雄
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瀧見山 延雄(たきみやま のぶお、1927年9月29日 - 2001年3月1日[1])は、現在の島根県出雲市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。元世話人。本名は藤江 延雄(ふじえ のぶお)。173cm、90kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、寄り。
経歴
[編集]1949年5月場所に初土俵。1956年1月場所に十両昇進。何度も十両上位に顔を出し、時には勝ち越したこともあるので入幕を期待されたが、負傷などで実現しなかった。大鵬のコーチ役を務め、現役晩年は幕下で相撲を取り、1962年1月場所限りで力士を廃業し、世話人に転じた。1992年9月で定年退職。
主な成績
[編集]- 通算成績:333勝322敗25休 勝率.508
- 十両成績:170勝180敗10休 勝率.486
- 現役在位:57場所
- 十両在位:24場所
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
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1949年 (昭和24年) |
x | x | 新序 2–1 |
x | 東序二段21枚目 10–5 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東三段目31枚目 7–8 |
x | 西三段目34枚目 11–4 |
x | 東三段目15枚目 7–8 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東三段目16枚目 7–8 |
x | 東三段目16枚目 9–6 |
x | 西三段目7枚目 9–6 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東幕下29枚目 1–3–11 |
x | 東三段目7枚目 6–2 |
x | 西幕下28枚目 6–9 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東幕下30枚目 8–7 |
西幕下24枚目 2–6 |
西幕下33枚目 4–4 |
x | 東幕下33枚目 5–3 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西幕下26枚目 4–4 |
西幕下23枚目 6–2 |
西幕下12枚目 3–5 |
x | 東幕下17枚目 5–3 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東幕下10枚目 6–2 |
西幕下2枚目 3–5 |
東幕下6枚目 5–3 |
x | 東幕下2枚目 6–2 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東十両18枚目 9–6 |
西十両13枚目 5–10 |
西十両18枚目 5–10 |
x | 西幕下4枚目 6–2 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東十両18枚目 9–6 |
東十両12枚目 6–9 |
東十両16枚目 9–6 |
x | 東十両10枚目 11–4 |
西十両4枚目 8–7 |
1958年 (昭和33年) |
東十両4枚目 0–10–5 |
東十両14枚目 6–9 |
東十両19枚目 9–6 |
西十両16枚目 8–7 |
東十両14枚目 9–6 |
西十両10枚目 8–7 |
1959年 (昭和34年) |
西十両6枚目 8–7 |
東十両5枚目 5–10 |
西十両9枚目 6–9 |
西十両12枚目 5–5–5[2] |
東十両19枚目 8–7 |
東十両18枚目 10–5 |
1960年 (昭和35年) |
西十両10枚目 6–9 |
東十両14枚目 6–9 |
西十両17枚目 8–7 |
東十両17枚目 6–9 |
東幕下2枚目 3–4 |
西幕下4枚目 2–5 |
1961年 (昭和36年) |
西幕下9枚目 5–2 |
西幕下3枚目 4–3 |
東幕下3枚目 1–6 |
西幕下13枚目 4–3 |
東幕下9枚目 4–3 |
東幕下6枚目 2–5 |
1962年 (昭和37年) |
東幕下12枚目 引退 0–3–4 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 藤見山 延雄(ふじみやま のぶお)1949年5月場所 - 1953年5月場所
- 瀧見山 延雄(たきみやま のぶお)1953年9月場所 - 1962年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]- ^ 相撲人名鑑(瀧見山 延雄)
- ^ 右足関節捻挫により10日目から途中休場
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 瀧見山 延雄 - 相撲レファレンス