潮岬灯台
潮岬灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 2902 [M5994] |
位置 | 北緯33度26分15秒 東経135度45分16秒 / 北緯33.43750度 東経135.75444度座標: 北緯33度26分15秒 東経135度45分16秒 / 北緯33.43750度 東経135.75444度 |
所在地 | 和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2877 |
塗色・構造 | 白色・塔形石造 |
レンズ | LB-H120型灯器 |
灯質 | 単閃白光 毎15秒に1閃光 |
実効光度 | 970,000 cd |
光達距離 | 19海里(約35km) |
明弧 | 278度から130度まで |
塔高 | 22.51 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 49.47 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1873年9月15日 |
管轄 |
海上保安庁 第五管区海上保安本部 田辺海上保安部 |
潮岬灯台(しおのみさきとうだい)は、紀伊半島南端の和歌山県東牟婁郡串本町にある太平洋に突き出た潮岬に建つ白亜の灯台である。
この灯台は明治初期の江戸条約によって建設された8基の洋式灯台(条約灯台)の1つで、歴史的・文化的価値が高いAランクの保存灯台に指定されているほか、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
参観灯台として資料展示室を併設し、常時公開されており、本州最南端に位置する本灯台からは太平洋の風景が広がる。周辺一帯は南紀の景勝地で、吉野熊野国立公園に指定されている。
歴史
[編集]幕末の1866年(慶応2年)5月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4か国と結んだ「改税条約」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8か所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の1つで、スコットランドのスティブンソン事務所の設計仕様に基づき、主任技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの指揮、副技師のアーサー・ブランデルの設計・工事管理により、1869年(明治2年)4月に樫野埼灯台とともに着工した。
翌1870年(明治3年)6月10日に完成、仮点灯で業務を開始したが、当初の灯台は、八角形の木造で、我が国最初の洋式木造灯台であった[1]。本当は建物の完成とともに本点灯する予定であったが、イギリスから灯台機械を運搬してきていた船が、東シナ海で沈没し、その代わりにアメリカから蒸気機関車のヘッドランプを輸入し、それを仮に使ったためであった。
本点灯は、仮点灯[2]から3年以上遅れ、1873年(明治6年)9月15日と他の条約灯台と比べて遅くなった。しかし、この灯台の建設が急がれたのは、ここが古くから海上交通の要衝となっており、また沖合は流れが速く、風も強いため、航海の難所としても知られていたためである。
- 1878年(明治11年)4月 - 現在の石造灯台に改められる[1]。
- 1929年(大正4年) - 第2等フレネル不動レンズ、石油蒸発白熱灯の灯器に交換される。
- 1938年(昭和3年) - 電化される。
- 1957年(昭和32年) - 90センチメートル回転式灯器に交換される。
- 2016年(平成28年) - 船舶気象通報廃止[3]。
附属施設・業務
[編集]灯台資料展示室が併設されており、灯台の歴史、機能・役割などを学べ、2代目潮岬灯台レンズ(第2等フレネル不動レンズ)をはじめ、貴重な資料が多数展示されている。
一般公開
[編集]一般公開(中学生以上300円、小人無料)されている参観灯台で、上まで登ることができる。
交通
[編集]- JR紀勢本線(きのくに線)串本駅から、熊野交通バスで潮岬灯台下車、徒歩2分。
ギャラリー
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敷地入口
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灯台入口
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灯台内部
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灯台内部
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第2等フレネル不動レンズ
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旧官舎、ブラントンの設計[4]
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灯台からの眺望
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灯台からの眺望
周辺情報
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 阿部智里『灯台を読む』株式会社文藝春秋、2024年10月10日、91-104頁。ISBN 9784163919034。
- ^ 1870年7月8日から。明治3年4月5日第274 潮岬灯台布告(『法令全書 明治3年』内閣官報局、pp.167-168)
- ^ 海上保安庁が実施する情報提供業務の一部終了について(PDF) - 海上保安庁交通部 (2016年5月) ※茨城県水産試験場漁業無線局ホームページでの掲載(2016年7月12日閲覧)
- ^ “潮岬灯台官舎 建造物の詳細”. 和歌山県教育センター学びの丘. 2015年6月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 阿部智里『灯台を読む』株式会社文藝春秋、2024年10月10日。ISBN 9784163919034。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 潮岬灯台 - 南紀串本観光協会