渡辺高綱
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永禄7年1月11日(1564年3月4日) |
別名 | 源五左衛門 |
主君 | 松平広忠、家康 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺氏綱、母:都筑忠政の娘 |
兄弟 | 高綱、興綱 |
妻 | 渡辺義綱の娘 |
子 | 守綱、政綱 |
渡辺 高綱(わたなべ たかつな)は、戦国時代の武将。松平氏の家臣。徳川家康の功臣である渡辺守綱の父。
生涯
[編集]三河国額田郡浦部村の武士。代々松平氏に従い、自身も松平広忠・家康の2代に仕えた。天文16年(1547年)上野城攻撃の際に先鋒を務めて武功があった。弘治2年(1556年)奥平氏の日近城攻撃で松平義春を助けて武功があった。永禄6年(1563年)子の守綱らとともに三河一向一揆に与し、翌年針崎一揆に加わって戦死した。
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第477