日近城
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日近城 (愛知県) | |
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日近城本曲輪 | |
別名 | 名ノ内城[1] |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 無し |
築城主 | 奥平貞昌 |
築城年 | 1478年(文明10年)[1][2] |
主な改修者 | 奥平貞直 |
主な城主 | 日近奥平家、奥平宗家 |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
遺構 | 日近奥平家家臣団の墓[1]、曲輪、虎口、堀切 |
指定文化財 | 市指定史跡[3] |
位置 | 北緯34度59分14.4秒 東経137度19分18.5秒 / 北緯34.987333度 東経137.321806度座標: 北緯34度59分14.4秒 東経137度19分18.5秒 / 北緯34.987333度 東経137.321806度 |
地図 |
日近城(ひぢかじょう)[1][2]は、愛知県岡崎市桜形町にあった日本の城(山城)。岡崎市の指定史跡。
概要
[編集]日近城は、1478年(文明10年)奥平貞昌が広祥院の裏山に築いた山城である[1][2]。
歴史
[編集]日近奥平家の本拠であったが、日近合戦の後、日近は奥平宗家の支配となった[1]。築城から約100年後の1590年(天正18年)徳川家康の関東移封に伴い、奥平氏も関東に移り廃城となった。
構造
[編集]当初は、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪を配した直線的な構造だった。その後、堀切りや大手口となる虎口を設けた。小規模ながら重要な軍事的役割を果たした城だった。