渋谷雄太郎
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渋谷雄太郎 しぶや ゆうたろう | |
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生年月日 | 1887年12月19日 |
出生地 |
日本 千葉県東葛飾郡 (現・千葉県市川市) |
没年月日 | 1961年12月11日(73歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学理財科卒業 |
所属政党 |
(日本自由党→) (民主自由党→) 自由党 |
選挙区 | 旧千葉1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年4月25日 - 1952年8月28日 |
渋谷 雄太郎(澁谷、しぶや ゆうたろう、1887年(明治20年)12月19日[1] - 1961年(昭和36年)12月11日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、東京府南葛飾郡寺島町長。
経歴
[編集]千葉県[2]東葛飾郡、現在の市川市[3]で、渋谷金蔵の長男として生まれる[4]。1912年(明治45年)慶應義塾大学理財科を卒業した[2][3]。
渋谷ゴム製作所を経営[2][4]。その他、東京ゴム同業組合長、同ゴム製品工業組合理事長、日本再生ゴム材料卸商業組合連合会理事長、東京商工会議所議員、日本ゴム工業協同組合連合会副理事長、日本車輛ゴム社長、昭和実業社長、渋谷ゴム工業社長、渋谷商事社長、東部ゴム工業会理事長、日本ゴム工業会常任理事、市川商工会議所会頭などを務めた[2][4][3]。
東京府南葛飾郡寺島町長を務め、東京府会議員にも選出された[2][3]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第1区から日本自由党公認で出馬して当選し[2]、1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙でも再選され[2][5]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、日本自由党会計監督、民主自由党総務などを務めた[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。