済州 (敷設艇)
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艦歴 | |
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計画 | ④計画 |
起工 | 1941年1月15日 |
進水 | 1941年11月15日 |
就役 | 1942年4月25日竣工 |
その後 | 佐世保方面で終戦を迎える |
除籍 | 1945年10月22日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:720トン、公試:750トン |
全長 | 74.70m |
全幅 | 7.85m |
吃水 | 2.60m |
機関 | マン式三号ディーゼル2基2軸 3,600馬力 |
速力 | 20.0kt |
航続距離 | 14ktで2,000浬 |
燃料 | 重油:35トン |
乗員 | 67名 |
兵装 | 8cm高角砲1基 13mm連装機銃1基2挺 爆雷36個、捕獲網8組 (もしくは九三式機雷120個) |
済州[1](さいしゅう)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の5番艇[2]。
艦歴
[編集]1942年(昭和17年)4月25日、日立桜島造船所にて竣工。
佐世保鎮守府籍、鎮海警備府部隊に編入され、対馬海峡での哨戒、護衛等に従事。
1944年(昭和19年)6月15日、第4海上護衛隊に編入、船団護衛に従事。7月12日、横須賀鎮守府部隊に編入、同方面の機雷敷設や父島方面への船団護衛に従事。12月11日、佐世保鎮守府部隊へ編入、以降、佐世保を基地に同方面で船団護衛に従事し終戦を迎える。
1945年(昭和20年)10月22日、除籍され復員輸送艦となる。1947年(昭和22年)10月3日、青島にて中国へ引き渡し、「永靖」と改名された。引渡後米軍式装備に改装、7.62cm砲1門、40mm機関砲3挺、20mm機関砲5挺となる。1960年5月1日除籍。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。