夏島型敷設艇
夏島型敷設艇 | |
---|---|
新造時の「夏島」[1] | |
基本情報 | |
種別 | 敷設艇[2] |
命名基準 | 島の名 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
同型艦 | 「夏島」「猿島」「那沙美」 |
前級 | 燕型敷設艇 |
次級 | 測天型敷設艇 |
要目 (夏島計画) | |
基準排水量 |
計画 450.00英トン[3] 公表値 443英トン[4] |
公試排水量 | 510トン[3] |
満載排水量 | 615.50トン[3] |
全長 | 73.00m[3] |
水線長 | 70.00m[3] |
垂線間長 | 67.00m[3] |
最大幅 | 8.00m[3] または7.50m[5] |
深さ | 4.30m[3] |
吃水 | 公試 1.90m[3] |
ボイラー | ロ号艦本式混焼缶 2基[6] |
主機 | 直立3段3筒レシプロ2基[6] |
推進器 |
2軸 x 325rpm[6] 直径1.850m、ピッチ2.170m[7] |
出力 | 2,300馬力[3] |
速力 | 19.0ノット[3] |
航続距離 |
1,500カイリ / 12ノット[3](機雷搭載の場合) 2,500カイリ / 12ノット[3](防潜網搭載の場合) または 2,500カイリ / 14ノット[5] |
燃料 |
重油:19トン、石炭:44トン[3](機雷搭載の場合) 重油:38トン、石炭:74トン[3](防潜網搭載の場合[8]) |
乗員 |
1933年定員 39名[9] 1934年定員 74名[10][11] 1938年 94名[12] |
兵装 |
8cm単装高角砲 2門[14] 13mm単装機銃 1挺[14] 八一式投射機2基、爆雷装填台2台[15]、爆雷投下台6基[10] 八九式機雷 120個[15] または爆雷18個、一四式防潜網1組、四号大掃海具1組(機雷を搭載しない場合)[15] |
搭載艇 | 6m内火艇1隻、6mカッター2隻、6m通船1隻[13] |
特殊装備 | 二号特大掃海具1組、小掃海具2組[15] |
夏島型敷設艇(なつしまがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇[2]。同型3隻。
概要
[編集]大正12年度(1923年)計画で建造された燕型敷設艇2隻に続いて昭和6年度(1931年)の①計画により建造された敷設艇である[16]。同計画では600トン型敷設艇5隻、600トン型捕獲網艇2隻が要求されたが、最終的に本型3隻が建造された[16]。
1933年(昭和8年)から翌年にかけて竣工[16]、「那沙美」「猿島」の建造中に友鶴事件が発生したために復元性能改善工事が行われた[17]。
「夏島」「猿島」は1938年(昭和13年)7月1日に支那方面艦隊の指揮下に入り、日華事変に参加[18]、「那沙美」も中国方面に進出している[19]。
「夏島」「那沙美」は佐伯防備隊[20]、「猿島」は横須賀防備隊所属で太平洋戦争開戦を迎え、 大戦前半は機雷や防潜網の敷設などを行った[10]。1943年(昭和18年)中期以降は哨戒、船団護衛に投入され[10]、3隻とも1944年(昭和19年)に戦没している[17]。
艦型
[編集]計画番号H5[3]。燕型敷設艇をタイプシップとし、艦内配置はほぼ同一であるが[17]、前型が捕獲網設置を主としたのに対し、本型は機雷敷設を主、防潜網設置を従とした[10]。
船首楼は凌波性向上の為に燕型より延長された[10]。船首のダビットで機雷を揚収しレールで後部へ移動するため、船首楼甲板にはシアが無い[21]。上甲板には両舷に機雷軌道1条ずつを設置し、上甲板舷側には高さ約600mmのブルワークを設けた[21]。機械室後方に機雷庫を備え、機雷搭載用のスキッドビームを後部マスト付近に設置[21]、燕型より5割増しの八九式機雷120個を搭載できた[10]。
機雷庫には機雷24個を搭載、残りは上甲板に搭載した[10]。機雷は1個で約1トン有り、機雷搭載時に充分な安定性を取ると機雷が無い場合は逆に安定性が不充分になる[21]。これに対処するためアンチ・ローリング・タンクを上部構造物後端に設置した[21]。
機雷を搭載しない場合は防潜網か捕獲網を搭載できるよう、後甲板は木張りとし船尾に高さ約1,200mmのブルワークを設けた[22]。後甲板には網設置台を設け[17]、舷側にはダビット台と網用の錨台もあった[10]。
砲熕兵装は、8cm高角砲を前後に1基ずつ、13mm単装機銃が後部マスト直前に設置された[17]。その他に八一式(爆雷)投射機2基が後甲板にあった[17]。
性能改善工事
[編集]「猿島」「那沙美」の建造中に友鶴事件が発生し、本型も復元性能改善工事を行った[17]。上甲板舷側のブルワークは網敷設作業所を残して撤去、アンチ・ローリング・タンクも撤去された[23]。船体には深さ600mmのバラストキールを装着し、固定バラスト(猿島で約80トン)を搭載した[23]。
1939年(昭和14年)には大修理を行って船体を補強、これらにより公試排水量は「夏島」で668.7トン、「猿島」で647.1トンとなっていた[23]。
猿島
[編集]「猿島」は計画番号H5b[3]で、試験的にマン式ディーゼルを主機とした[17]。それにより排水量が増加、速力1ノット減少したが、航続力はほぼ倍になった[17]。外観上は煙突が他の2隻と異なり、高さが低く、先端に傾斜がついていない[17][18]。海軍の公式類別では猿島を夏島の後、かつ那沙美の前に登載しており、夏島型2番艇の扱いとしている[24][25]。
同型艇
[編集]脚注
[編集]- ^ #写真日本の軍艦第14巻p.80上写真の解説
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.109、昭和8年5月23日(内令190)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #一般計画要領書(敷設艇)p.2
- ^ #S11.12.1内令提要原稿/機密保護画像12、艦船要目公表範囲
- ^ a b #海軍造船技術概要(1987)p.654
- ^ a b c #一般計画要領書(敷設艇)p.20
- ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1716
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.36の註「2) 括弧内ハ防潜網搭載セル場合ノモノヲ示ス」
- ^ #海軍制度沿革10-2(1972)p.883、昭和8年6月28日(内令225)「敷設艇夏島、猿島、那沙美乗員標準」。士官1人、特務士官1人、准士官1人、下士官11人、兵25人。
- ^ a b c d e f g h i #日本海軍護衛艦艇史(1996)pp.86-87
- ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.884-885、昭和9年2月10日(内令55)「敷設艇夏島、那沙美乗員標準」。士官1人、特務士官2人、下士官20人、兵51人。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)p.26
- ^ a b #一般計画要領書(敷設艇)p.5
- ^ a b c d #一般計画要領書(敷設艇)p.8
- ^ a b c 解説・東清二、作図・石橋孝夫「図で見る『敷設艇、電纜敷設艇、敷設特務艇』変遷史」#写真日本の軍艦第14巻p.90
- ^ a b c d e f g h i j 解説・東清二、作図・石橋孝夫「図で見る『敷設艇、電纜敷設艇、敷設特務艇』変遷史」夏島型#写真日本の軍艦第14巻pp.92-93
- ^ a b #写真日本の軍艦第14巻pp.80-81下写真の解説
- ^ #写真日本の軍艦第14巻p.84の写真解説
- ^ #写真日本の軍艦第14巻p.82上写真の解説
- ^ a b c d e #海軍造船技術概要(1987)p.653
- ^ #海軍造船技術概要(1987)pp.653-654
- ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)p.655
- ^ 昭和7年12月10日付 海軍内令 第413号。(特務艇類別等級別表敷設艇二等ノ項中「夏島」ノ下ニ「、猿島、那沙美」ヲ加フ)
- ^ 昭和19年2月1日付 海軍内令 第271号。
参考文献
[編集]- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 『日本海軍護衛艦艇史』 世界の艦船 1996年2月号増刊 第507集(増刊第45集)、海人社、1996年2月。ISBN 4-905551-55-2。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4。
- 「敷設艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『昭和15年6月25日現在 10版 内令提要追録第7号原稿/巻3 追録/第13類 艦船』。Ref.C13071990500。
- 『昭和19年5月31日現在 10版 内令提要追録第16号原稿/巻3/第13類 艦船(1)』。Ref.C13072029400。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、夏島型敷設艇に関するカテゴリがあります。