浮島 (敷設艇)
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艦歴 | |
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計画 | 1937年度(③計画) |
起工 | 1939年7月28日 |
進水 | 1939年12月9日 |
就役 | 1940年10月31日竣工 |
その後 | 1943年11月16日戦没 |
除籍 | 1944年1月31日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:720トン |
全長 | 74.70m |
全幅 | 7.85m |
吃水 | 2.60m |
機関 | マン式3号10型ディーゼル2基 2軸推進、3,600馬力 |
最大速 | 20.0 ノット |
航続距離 | 2,000カイリ/14ノット |
兵員 | 74名 |
兵装 | 40mm連装機銃1基、13mm連装機銃1基 94式爆雷投射台1基、爆雷装填台2基 爆雷投下台10基、93式機雷120個または防潜網2組または捕獲網8組 |
浮島(うきしま)は、大日本帝国海軍の敷設艇。測天型の5番艇である。横須賀防備隊に所属し、太平洋戦争中は主に長浦港を拠点として船団護衛、機雷・防潜網の敷設に当たった。
艦歴
[編集](東京石川島造船所で建造。1939年(昭和14年)12月9日、進水。1940年10月31日、竣工。横須賀鎮守府籍に編入。
1942年7月10日、「石埼」とともに第五艦隊司令長官の指揮下に入り、AO防備部隊に編入された[1]。2隻は7月14日に大湊を発ち、幌筵経由で7月24日にキスカ島に到着[2]。対潜作戦および防潜網の敷設[3]に従事した[2]。8月6日、「浮島」と「石埼」は菊川丸を護衛してキスカを離れ、「浮島」は横須賀に帰着した[4]。また、「浮島」と「石埼」は8月7日に第五艦隊司令長官の指揮下を離れた[2]。
1943年11月16日、静岡県初島122度11海里にてアメリカ潜水艦の雷撃により沈没。
1944年1月31日、除籍。
艇長
[編集]- 艤装員長
- 今井守之 大尉:1940年9月30日[5] -
同型艦
[編集]脚注
[編集]- ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、284ページ
- ^ a b c 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、287ページ
- ^ 7月24日キスカ着、8月6日キスカ発という行動内容とは整合しないが、戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、282ページには8月末または9月初頭に敷設とある。
- ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、287、290ページ
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第536号 昭和15年9月30日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078900
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社