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浮島 (敷設艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浮島
艦歴
計画 1937年度(③計画
起工 1939年7月28日
進水 1939年12月9日
就役 1940年10月31日竣工
その後 1943年11月16日戦没
除籍 1944年1月31日
性能諸元
排水量 基準:720トン
全長 74.70m
全幅 7.85m
吃水 2.60m
機関 マン式3号10型ディーゼル2基
2軸推進、3,600馬力
最大速 20.0 ノット
航続距離 2,000カイリ/14ノット
兵員 74名
兵装 40mm連装機銃1基、13mm連装機銃1基
94式爆雷投射台1基、爆雷装填台2基
爆雷投下台10基、93式機雷120個または防潜網2組または捕獲網8組

浮島(うきしま)は、大日本帝国海軍敷設艇測天型の5番艇である。横須賀防備隊に所属し、太平洋戦争中は主に長浦港を拠点として船団護衛機雷防潜網の敷設に当たった。

艦歴

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東京石川島造船所で建造。1939年昭和14年)12月9日進水。1940年10月31日、竣工。横須賀鎮守府籍に編入。

1942年7月10日、「石埼」とともに第五艦隊司令長官の指揮下に入り、AO防備部隊に編入された[1]。2隻は7月14日に大湊を発ち、幌筵経由で7月24日にキスカ島に到着[2]。対潜作戦および防潜網の敷設[3]に従事した[2]。8月6日、「浮島」と「石埼」は菊川丸を護衛してキスカを離れ、「浮島」は横須賀に帰着した[4]。また、「浮島」と「石埼」は8月7日に第五艦隊司令長官の指揮下を離れた[2]

1943年11月16日、静岡県初島122度11海里にてアメリカ潜水艦の雷撃により沈没。

1944年1月31日、除籍。

艇長

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艤装員長
  • 今井守之 大尉:1940年9月30日[5] -

同型艦

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脚注

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  1. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、284ページ
  2. ^ a b c 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、287ページ
  3. ^ 7月24日キスカ着、8月6日キスカ発という行動内容とは整合しないが、戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、282ページには8月末または9月初頭に敷設とある。
  4. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、287、290ページ
  5. ^ 海軍辞令公報(部内限)第536号 昭和15年9月30日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078900 

参考文献

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