涅槃寂静
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涅槃寂静(ねはんじゃくじょう, 梵: śāntaṃ nirvāṇaṃ[1])は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に異なることを示す。
この言葉は、『雑阿含経』などには、涅槃寂滅、『大智度論』には涅槃実法印などと出てくる。「涅槃寂静」という用語が登場するのは、『瑜伽師地論』である。
概説
[編集]『大般涅槃経』においては、この娑婆世界の無常・無我を離れたところに、真の「常楽我浄」があるとする。
数の単位として
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涅槃寂静は一部の資料で10のマイナス24乗[2]や10のマイナス26乗[3]として記載され、NHKの番組、にほんごであそぼで放送された曲、『1より小さい数』でも紹介されていた[4][出典無効][5]が、これらは出典が不明である。[6]これは10のマイナス22乗とされる阿頼耶、10のマイナス23乗とされる阿摩羅でも言える。[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 室寺, 義仁「三法印(dharmamudra trilaksana) : 古典インドにおける三句の發端と展開の諸様相」『東方学報』第88巻、京都大學人文科學研究所、2013年、442-423頁、doi:10.14989/180561。