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海部幸世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かいふ さちよ

海部 幸世
生誕 (1933-04-30) 1933年4月30日(91歳)
日本の旗 日本 岐阜県武儀郡美濃町(現・美濃市
国籍 日本の旗 日本
出身校 金城学院短期大学
職務 日本の旗 内閣総理大臣夫人
配偶者 海部俊樹
子供 海部正樹(長男)
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海部 幸世(かいふ さちよ、1933年4月30日[1] - )は、第7677内閣総理大臣であった海部俊樹夫人

経歴

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岐阜県武儀郡美濃町(現・美濃市)出身[2]金城学院短期大学卒業[3](金城学院大卒とも[1])。日本民主党柳原三郎代議士事務所の手伝いをしており、当時、河野金昇の秘書をしていた海部俊樹と国会で出会い、1955年昭和30年)に結婚する[4]

1960年(昭和35年)に夫である俊樹が衆議院選挙に当選し代議士の妻となる。また1989年平成元年)8月10日から1991年(平成3年)11月5日までの間、夫が内閣総理大臣に在任したため、およそ2年間、ファーストレディをつとめた[4]

「幸世」という名前から、中国共産党主席だった毛沢東の“猛妻”江青(こうせい)になぞらえて、「コウセイ夫人」と呼ばれるほどのバリバリ型の代議士夫人であったとメディアなどでは伝えられている[5]

脚注

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  1. ^ a b 人事興信録45版か55
  2. ^ 竹内正浩『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 昭和・平成篇』(実業之日本社、2017年)p.263
  3. ^ 名古屋市緑区の加藤敦税理士事務所
  4. ^ a b 「総理大臣の妻たち」(小林吉弥、日本文芸社1995年
  5. ^ 小林吉弥. “天下の猛妻 秘録・総理夫人伝― 海部俊樹・幸世夫人(上)”. 週刊実話. 2022年3月14日閲覧。
先代
宇野千代
内閣総理大臣夫人
1989年8月10日 - 1991年11月5日
次代
宮澤庸子