柳原三郎
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柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月3日[1] - 1990年(平成2年)1月25日[1][2])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]岐阜県[2]岐阜市[1]出身。1932年(昭和7年)岐阜県立岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業[2]。その後、日本大学を卒業した[1]。
岐阜県会議員に選出され、司法保護委員も務めた[2]。柳原工業工場長、同取締役副社長、岐阜商工会議所議員、岐阜県体育協会長などを歴任[2]。岐阜青年連盟主幹に就任し『暁鐘』を主宰した[2]。
1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岐阜県第1区に民主党公認で出馬して初当選[1][2][3]。その後、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され[3]、衆議院議員に連続3期在任した[1][2]。この間、民主党遊説副部長、同国際局情報部長、改進党中央常任委員、同組織委員会副委員長、同中小企業兼労働組織部長、同党務副委員長、日本民主党遊説局次長などを務めた[2]。その後、第28回総選挙まで連続2回立候補したがいずれも落選した[4]。
後に岐阜県自転車振興会理事に就任した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。