海老澤為次郎
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海老澤 爲次郎[1][2][3](海老沢 為次郎[4]、えびさわ ためじろう[2]、1865年10月1日(慶応元年8月12日[5]) - 1944年(昭和19年)2月13日[6])は、日本の商人(呉服商)[3][7][8]、会社重役[9]、政治家。衆議院議員(当選2回)[2][9]、茨城県会議員・同副議長・同議長[9][10]。族籍は茨城県平民[10]。
経歴
[編集]茨城県・海老澤七三郎の二男[3][7][8]。1888年、家督を相続[3][8]。呉服商を営む[3][7][8]。
境商業銀行頭取[1][3][10]、境町会議員、同学務委員、境町外十七箇村組合会議員、同町農会長、猿島郡農会議員、茨城県会議員・同副議長・同議長等に挙げられた[3][9]。
1917年4月の衆議院議員選挙に立候補したが、落選した[4]。1928年2月の衆議院議員選挙に立候補し、当選した。立憲民政党に所属[9]。また大日本証券信託取締役[9]、上毛モスリン監査役をつとめた[3][7][8]。
人物
[編集]趣味は談論[3]、読書、政治研究[8]。宗教は真言宗[3][7][8]。住所は茨城県猿島郡境町で、東京宅は東京市下谷区上野桜木町[3][7][8]。
家族・親族
[編集]- 海老澤家
- 父・七三郎[3][8]
- 妹(茨城、岡田勘左衛門の妻)[10]
- 弟
- 妻・きん(1866年 - ?、茨城、増田八郎の妹)[3][8]
- 長男・迪雄(1905年 - ?)[3][7]
- 男・秀夫(1908年 - ?、大谷重工社員)[8]
- 四女・馨(1901年 - ?、新潟、古橋才次郎の妻)[3][8]
- 孫[3][10]
- 養子
脚注
[編集]- ^ a b 『茨城県案内』440 - 441頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月19日閲覧。
- ^ a b c 『議会制度七十年史 第11』えの部81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『人事興信録 第13版 上』エ18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月28日閲覧。
- ^ a b c 『古河市史 通史編』760頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月28日閲覧。
- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、13頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』103頁。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第12版 上』エ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第14版 上』エ18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e f 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』331頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月28日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』え11 - 12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 河原井七之助『茨城県案内』河原井七之助、1901年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 古河市史編さん委員会編『古河市史 通史編』古河市、1988年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。