コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

河田敬義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河田 敬義
人物情報
生誕 (1916-01-15) 1916年1月15日
日本の旗 日本
死没 1993年10月28日(1993-10-28)(77歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 数学
研究機関 東京大学上智大学
学位 理学博士
テンプレートを表示

河田 敬義(かわだ ゆきよし、1916年1月15日 - 1993年10月28日)は、日本数学者東京大学名誉教授。第6代統計数理研究所所長。

経歴

[編集]

1916年生まれ。 東京高等学校理科乙類で学び、1935年3月に卒業。同年4月、東京帝国大学理学部数学科に入学。1938年(昭和13年)3月に卒業し[1]、4月より東京帝国大学大学院に進んだ。1938年4月、東京帝国大学理学部副手に採用される。1939年7月、同大学理学部助手に昇進。1939年7月、東京帝国大学大学院を退学した。1941年3月、 東京文理科大学講師に就いた。同年10月、助教授昇任。

太平洋戦争終結後の1945年12月、東京大学に学位論文を提出して理学博士の学位を取得。1950年3月、東京大学教養学部教授となった。1953年5月からは東京大学大学院担当(数物系数学専門課程)となる。1955年4月からは、東京大学理学部教授となり、数学第5講座ならびに第1講座を担当した。

1976年4月に東京大学を定年退官[1]、同年5月から名誉教授となった。退官後は、同年4月より上智大学理工学部数学科教授となった[1]。一方で、1971年3月から1974年2月まで第6代目統計数理研究所所長を併任し[1]、第5研究部(予測・制御理論)の創設など、研究所の運営と発展に尽力した[1]。1986年3月に上智大学を定年退職。

併任

[編集]

非常勤講師

[編集]

各種委員等

[編集]

国内

[編集]
  • 1954年(昭和29年)9月 - 1956年(昭和31年)8月 統計数理研究所評議員(文部省
  • 1955年(昭和30年) 代数的整数論国際会議組織委員
  • 1960年(昭和35年)7月 - 1975年(昭和50年)3月 日本学術会議数学研究連絡委員
  • 1964年(昭和39年)3月 - 1965年(昭和40年)8月 国家公務員採用上級試験専門委員(人事院
  • 1966年(昭和41年)4月 - 1967年(昭和42年)4月 (社)日本数学会理事長
  • 1967年(昭和42年)11月 - 1969年(昭和44年)10月 教科書用図書検定調査審議会委員(文部省)
  • 1968年(昭和43年)4月 - 1969年(昭和44年)4月 (社)日本数学会理事長
  • 1969年(昭和44年) 関数解析国際会議組織委員
  • 1969年(昭和44年)4月 - 1977年(昭和52年)3月 京都大学数理解析研究所運営委員(文部省)
  • 1972年(昭和47年)8月 - 1978年(昭和53年)3月 大学設置審議会専門委員(文部省)
  • 1973年(昭和48年) 多様体論国際会議組織委員
  • 1973年(昭和48年)1月 - 1975年(昭和50年)3月 統計数理研究所評議員(文部省)
  • 1973年(昭和48年)9月 - 1981年(昭和56年)3月 一般教育視学委員(文部省)

国際

[編集]
  • 1970年(昭和45年)1月 - 1974年(昭和49年)12月 Member of Executive Committee of IMU (International Mathematical Union)
  • 1974年(昭和49年)10月 - 1978年(昭和53年)8月 Member of Consultative Committee of International Congress in 1978 at Helsinki
  • 1975年(昭和50年)1月 - 1979年(昭和54年)12月 Secretary of ICMI (International Commission on Mathematical Instruction)
  • 1975年(昭和50年)1月 - 1978年(昭和53年)12月 Member of Executive Committee of IMU
  • 1978年(昭和53年)8月 - 1993年(昭和 5年)10月 Member of Advisory Committee of SAMS (Southeast Asia Mathematical Society)
  • 1979年(昭和54年)1月 - 1982年(昭和57年)12月 Member of ICMI

所属学会

[編集]

海外渡航および短期出張

[編集]
  • 1952年(昭和27年)7月 - 1954年(昭和29年)5月 アメリカ合衆国 Princeton 高級研究所 (Member)、Tateとのlass formationの共同研究
  • 1962年(昭和37年)4月 - 10月 ブラジル(バイーア大学他)およびアメリカ合衆国(ジョンズ・ホプキンス大学ハーバード大学等)
  • 1966年(昭和41年)8月(4週間)ソビエトMoscow Congress およびIMU総会出席)他ヨーロッパ諸国
  • 1969年(昭和44年)7月 - 8月(5週間) アメリカ合衆国(AMS (American Mathematical Society) 夏期研究会)、(Suny at Stony Brook 出席)
  • 1971年(昭和46年)5月(8日間) スイスZurich IMU Executive Committee出席)
  • 1972年(昭和47年)6月(9日間) イギリスLondon IMU Executive Committee出席)
  • 1973年(昭和48年)5月( 8日間) ドイツFrankfurt IMU Executive Committee出席)
  • 1974年(昭和49年)3月(14日間) スイス(Zurich IMU Executive Committee出席 および ETH
  • 1974年(昭和49年)8月(18日間) カナダ(IMU Vancouver Congress IMU および総会出席)
  • 1976年(昭和51年)5月( 6日間) フィンランド(Helsinki Consultative Committee of International Congress 出席)
  • 1976年(昭和51年)8月(16日間) ドイツ(Karlsruhe ICMI Congress 出席)
  • 1977年(昭和52年)9月(10日間) フランスParis ICMI Consultative Committee of International Congress 出席)
  • 1978年(昭和53年)8月(18日間) フィンランド(IMU Helsinki Congress IMU および総会出席)
  • 1979年(昭和54年)2月( 9日間) フィリピンManila 学術調査(日本学術振興会))

受賞・栄典

[編集]

研究内容・業績

[編集]

著作等

[編集]

著書

[編集]

編集

[編集]

雑誌編集

[編集]
  • 1958年(昭和33年) - 1975年(昭和50年) Annals of Mathematics (Associate Editor)
  • 1969年(昭和44年) - 1982年(昭和57年) Journal of Number Theory (Editor)
  • 1977年(昭和53年)[いつ?] - 1987年(昭和62年) Tokyo Journal of Mathematics (Editor in chief)

参考文献

[編集]
  • 『柔らかい頭と強い腕-河田敬義追想集-』聖学院ゼネラル・サービス出版部 1994.9.27(河田敬義追想集編集委員会)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 歴代所長の紹介(六代所長:河田 敬義)”. www.ism.ac.jp. 統計数理研究所. 2023年8月18日閲覧。
先代
末綱恕一
統計数理研究所
1971年3月1日 - 1974年2月28日
次代
林知己夫