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河内桃子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こうち ももこ
河内 桃子
河内 桃子
河内桃子(1954年)
本名 久松 桃子(旧姓:大河内)
生年月日 (1932-03-07) 1932年3月7日
没年月日 (1998-11-05) 1998年11月5日(66歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市下谷区[注釈 1]谷中
死没地 日本の旗 日本東京都渋谷区広尾
身長 170 cm
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル 映画
演劇
テレビドラマ
活動期間 1953年 - 1998年
配偶者 久松定隆(テレビプロデューサー)
著名な家族 一女あり
主な作品
映画
テレビドラマ
ラジオ番組
受賞
紀伊國屋演劇賞
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河内 桃子こうち ももこ[出典 1]1932年昭和7年〉[5]3月7日[出典 2] - 1998年平成10年〉11月5日[出典 3])は、日本女優。本名は久松 桃子[3]、旧姓大河内。血液型はO型。俳優座所属。

東京府[3]東京市[出典 4]下谷区[注釈 1]谷中出身。日本女子大学附属高等学校卒業。

来歴・人物

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昭和20年代にデビューした女優としては久我美子と並ぶ名家出身で[3][注釈 2]、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏[5]、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬[5][6]。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆

高校卒業後、OLをしていたが[要出典]、1953年に東宝ニューフェイスの6期生として東宝に入社[出典 5]。同期には宝田明佐原健二藤木悠岡田眞澄がいる[1][10]。入社した年の『女心はひと筋に』で映画初出演を果たす[出典 6]

ゴジラ』(1954年)

1954年の出演5作目『ゴジラ』ではヒロイン・山根恵美子役に抜擢される[出典 7]。その後も青春映画を中心に[9]、数多くの映画に出演し、1957年には年間で10作を数えた。

演技を勉強し直すため、1958年に東宝を退社し、俳優座養成所に8期生として入所する[出典 8]。同期には山﨑努水野久美[1]嵐圭史山本耕一小笠原良知松本典子がいた。翌年、俳優座へ正式に入団した[5]。その後は活動の軸足を舞台やテレビドラマへと移す[出典 9]

TBSテレビのホームドラマで活躍し、石井ふく子橋田壽賀子の作品には常連出演していた。特に晩年の代表作である『渡る世間は鬼ばかり』では高橋文子中田喜子)の義母・高橋年子役を演じ、連続ドラマのレギュラー出演作としての最後の出演となった第3シリーズでは、アルツハイマー病に蝕まれていく苦しい役柄が反響を呼んだ。

1995年には、平成ゴジラシリーズ最終作の映画『ゴジラvsデストロイア』で41年ぶりに山根恵美子役を演じた[出典 10]

土曜ワイド劇場』などの2時間単発ドラマにも出演した。1997年7月21日に放送されたTBS放送の月曜ドラマスペシャル演歌・唱太郎の人情事件日誌3・伊香保殺人事件』がテレビドラマの最後の出演となった。最後の出演映画はその2日前の7月19日に公開された『良寛』であった。

同年の冬、俳優座の舞台『ゆの暖簾』の東北地方を中心にした巡業中に体調不良を訴え、年が明けた1998年1月に大腸がんと診断された。がんの進行が早く、発見時には手の施しようがなかったという。前年12月15日に山形県鶴岡市で出演した舞台が最後の仕事となった。

1998年11月5日の9時45分、大腸がんのため入院先の東京都渋谷区広尾日本赤十字社医療センター病院で死去。66歳没[12]。 亡くなる直前の10月29日、病床でレデンプトール会のクレメンス・近藤雅廣神父[注釈 3]より洗礼を受け[13][14]、「マリア」の洗礼名が与えられた[14]。葬儀は聖イグナチオ教会で行われ[14]河内の実娘が喪主を務めた。墓所は東京都台東区谷中谷中霊園

カトリック善き牧者の会制作のカトリック布教番組心のともしび』『太陽のほほえみ』の朗読を永年務めた。その功績により番組が5000回に達した時にヨハネ・パウロ2世から「聖十字架章」を親授、朗読が1万回を迎えるのを記念して「感謝の集い」が1996年9月6日に東京都内のホテルで開かれ、教皇代理のカルー大司教から「聖シルベストロ教皇騎士団勲章」が贈られている[14]

エピソード

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  • 幼少の頃から有名な美女で、170cmの長身だったために、祖父の正敏は桃子の写真を「自分の恋人」として人に見せびらかしていたという。河内自身は、舞台に立つようになってから長身であることが舞台に向いていたと思うようになった[11]
  • 作家の平岩弓枝とは日本女子大学附属豊明小学校時代からの幼馴染。
  • 1957年(昭和32年)12月31日、東宝サンパウロ支社開設のため、同じ東宝の女優だった北川町子(後の児玉清夫人)らとブラジルへ出発。帰りにアメリカニューヨークへ立ち寄り、第2回日本映画見本市に参加し、1958年(昭和33年)2月12日、日本に帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の前で、大変貴重なサンパウロ・ニューヨーク訪問となった。
  • 『ゴジラ』出演当時は核問題に対する意識は薄かったが、劇団時代の師である千田是也の影響で反戦や反核の意識を持つようになったという[11]。『ゴジラvsデストロイア』での山根恵美子のセリフは、河内自身の想いと同じであったという[11]
  • 河内は怪獣映画ヒロインというレッテルを貼られることに抵抗を感じていた時期もあったが[出典 11][注釈 4]、『ゴジラvsデストロイア』監督の大河原孝夫によると、同作品の時点では『ゴジラ』があったから現在の自身があることに感謝していると述べていたという[15][17]。共演した林泰文は、『ゴジラ』を大切に想っている河内の姿勢に感銘を受けたことを語っている[18]。製作の富山省吾は、一度離れた人がにこやかに戻ってくるのが良かったと述懐しており、河内が死去したこともあり貴重な出演になったと述べている[19]
  • 東宝の俳優であった加藤茂雄によれば、河内が自身の主演作のラッシュを観て「うわー」と声を上げていたことがあったといい、それが東宝から俳優座へ移り演技の勉強をしようと思ったきっかけであったのだろうと述べている[20]。一方、早くに東宝を辞めたため、晩年に東宝俳優の集いへ参加した際は親しい人がおらず寂しそうであったと証言している[20]

出演

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映画

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  • 女心はひと筋に(1953年) - 八重子 役 ※初出演作
  • 坊ちゃん社員 前篇(1954年) - まり子 役[21]
    • 続・坊ちゃん社員(1954年) - まり子 役
  • 水着の花嫁(1954年) - チーコ 役
  • ゴジラシリーズ - 山根恵美子 役[出典 12]
  • 泉へのみち(1955年) - 小川ウメ 役
  • 雪の炎(1955年) - 光島やよい 役
  • 制服の乙女たち(1955年) - 三宅雪江 役
  • 33号車応答なし(1955年) - お産する妻 役
  • 獣人雪男(1955年) - 武野道子 役[22][8]
  • 青い果実(1955年) - 千枝子 役[21]
  • 奥様は大学生(1956年) - 岡本好子 役
  • イカサマ紳士録(1956年) - 真佐子 役
  • 婚約三羽烏(1956年) - 栄子 役
  • のり平の浮気大学(1956年) - 婦人警官 役
  • あの娘がないてる波止場(1956年) - マキ 役
  • 大暴れチャッチャ娘(1956年) - ハツ子 役
  • 裸足の青春(1956年) - 黒村の若い娘 役
  • 天上大風(1956年) - 白石厚子 役
  • 星空の街(1957年) - 中川久美子 役
  • 大安吉日(1957年) - 平岡道代 役
  • 御用聞き物語(1957年) - 夕子 役
  • 次郎長意外伝 大暴れ三太郎笠(1957年) - お京 役
  • 眠狂四郎無類控 第二話 円月殺法(1957年) - 千弥 役
  • 「動物園物語」より 象(1957年) - 美子 役
  • わが胸に虹は消えず(二部作)(1957年) - 麻生伊久子 役
  • 夜の鴎(1957年) - はるえ 役
  • 脱獄囚(1957年) - 小出郁子 役
  • 地球防衛軍(1957年) - 岩本広子 役[出典 13]
  • 大当たり狸御殿1958年) - 唄う女 役
  • 東京の休日(1958年) - ファッションショウのモデルB 役
  • フランキーの僕は三人前(1958年) - サヨ子 役
  • おトラさん大繁盛(1958年) - 猪原妙子 役
  • 伊達騒動 風雲六十二万石(1959年) - 織恵 役
  • 女の坂(1960年) - 由美 役
  • 名もなく貧しく美しく1961年) - 木島先生 役
  • 古都憂愁 姉いもうと(1967年) - エトワールのママ 役
  • 若い時計台(1967年) - 小柳亜矢 役
  • 夕陽に向かう(1969年) - 高山早苗 役
  • あまから物語 おんなの朝(1971年) - 絹子 役
  • 男じゃないか 闘志満々(1973年) - 早川キク 役
  • ときめき(1973年) - 須永奈美 役
  • こんにちはハーネス(1983年) - 伊丹奈津 役
  • 蜜月(1984年) - みつこの母 役
  • 菩提樹の丘(1985年) - 結城綾子 役
  • 雪の断章 -情熱-(1985年) - カネ 役
  • 旅路 村でいちばんの首吊りの木(1986年) - 富子 役
  • 男はつらいよ 寅次郎物語(1987年) - 松井真珠店の女将(君子)さん 役
  • 紅蓮華(1993年) - 中田よしの 役
  • 草刈り十字軍(1997年) - 安部葉子 役
  • 良寛(1997年) - 眼竜尼 役

舞台

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俳優座

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その他

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テレビドラマ

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バラエティー番組

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ほか多数

テレビアニメ

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ラジオ

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CM

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受賞歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 東京都台東区
  2. ^ 河内桃子や久我美子のように祖父や父が華族の俳優としては、昭和30年代デビューの入江若葉松井康子は祖父が華族。戦前デビューの入江たか子古川ロッパ小笠原章二郎は父が華族、小桜葉子は祖父が華族。演出家で俳優として映画出演もした土方与志は祖父の爵位を継いで自身が華族の当主だったが左翼活動のため爵位を剥奪された。
  3. ^ 心のともしび運動専務役員(当時)。
  4. ^ 東宝を退社して俳優座へ移った理由の一つでもあった[16]
  5. ^ 河内が亡くなる直前に放送されたため、過去に出演した映像が流れたものとしては生前最後の機会となった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b c d ゴジラ大百科 1993, p. 119, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  3. ^ a b c d e f g h i j k 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 33, 「ゴジラの登場人物」
  4. ^ a b c d e f g h i j ゴジラとともに 2016, p. 269, 「河内桃子」
  5. ^ a b c d e f g h i 平成ゴジラ大全 2003, pp. 293–294, 「急之参 『ゴジラVSデストロイア』 河内桃子・歴史的な再登場」
  6. ^ a b c d e f 東宝特撮女優大全集 2014, p. 34, 文・木原浩勝「河内桃子」
  7. ^ a b c d e 超常識 2016, p. 121, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  8. ^ a b c d e 野村宏平、冬門稔弐「3月6日 / 3月7日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、71頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  9. ^ a b ゴジラ画報 1999, p. 77, 「Bonus Column 東宝美女軍団1 河内桃子VS白川由美」
  10. ^ 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 62, 聞き手 佐野史郎「スペシャルインタビュー 宝田明×佐野史郎」
  11. ^ a b c d e 東宝SF特撮映画シリーズ10 1996, p. 135, 「インタビュー 河内桃子」
  12. ^ 「お嬢様・良妻賢母役で活躍・河内桃子さん死去 66歳」読売新聞1998年11月6日朝刊39面
  13. ^ ハヤット神父|心のともしび”. tomoshibi.or.jp. 2022年11月6日閲覧。
  14. ^ a b c d 東京教区ニュース第158号”. カトリック東京大司教区 ウェブサイト. 2022年11月6日閲覧。
  15. ^ a b 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 230–231, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 大河原孝夫
  16. ^ a b ゴジラとともに 2016, pp. 270–274, 構成・文 野村宏平「河内桃子」(『ゴジラマガジンVOL.7』勁文社/1996年)
  17. ^ VSデストロイアコンプリーション 2017, pp. 74–77, 「スタッフインタビュー 大河原孝夫」
  18. ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, pp. 98–99, 「キャストインタビュー 林泰文
  19. ^ VSデストロイアコンプリーション 2017, p. 86, 「スタッフインタビュー 富山省吾」
  20. ^ a b 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 86, 取材・文 友井健人「俳優インタビュー 加藤茂雄」
  21. ^ a b c d ゴジラとともに 2016, pp. 275–280, 「河内桃子ギャラリー」
  22. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」
  23. ^ 放送ライブラリー 番組ID:R01703

出典(リンク)

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参考文献

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外部リンク

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