池田鉄道
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 長野県北安曇郡池田町4-170[1] |
設立 | 1925年(大正14年)8月2日[1] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、バス事業[1] |
代表者 | 社長 内山昇[1] |
資本金 | 250,000円[1] |
特記事項:上記データは1937年(昭和12年)4月1日現在[1])。 |
池田鉄道(いけだてつどう)は、かつて長野県南安曇郡穂高町(現・安曇野市)の安曇追分駅から同県北安曇郡池田町の北池田駅を結んでいた鉄道路線およびその運営会社である。
概要
[編集]東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の前身である信濃鉄道の路線は安曇追分 - 信濃松川間では高瀬川右岸地域に建設されたため、これに取り残された左岸地域の都邑である池田町の住民主導により池田鉄道が設立・敷設された。資本面では信濃鉄道の子会社である。当時、信濃鉄道が電化されていたことから、これに合わせて電気動力を使用し、電力についても信濃鉄道から受電した。また電車についても信濃鉄道と同形を導入した。このように、実態は信濃鉄道の支線であった。
当初、白馬自動車軌道が信濃鉄道に対抗して明科から池田を経て信濃大町へ至る鉄道を申請したが、免許が下りなかったため池田鉄道が計画された[2]。なお、白馬自動車軌道は最終的に信濃鉄道と大部分並行することを理由に大正14年6月に却下された[3]。
しかし開業後の経営は芳しくなく、世界恐慌に伴う不況下で四十雀(=始終空)電車の異名を取るほどの苦境を強いられた。費用節減のため電気動力を廃止して気動車運行に置き換えるなどの合理化を図ったが効果が薄く、1937年(昭和12年)6月1日に信濃鉄道が路線を国に買収され解散したことで経営がさらに困難となった。信濃鉄道同様に国有化を希望したものの断られ[4]、最終的に1938年(昭和13年)6月6日には全線が廃止された。
かつては北池田駅から先、社地区までの延伸計画が存在した[5][6]。
路線データ
[編集]概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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現況 | 廃止 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
起終点 |
起点:安曇追分駅 終点:北池田駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅数 | 7駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1926年9月21日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
廃止 | 1938年6月6日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所有者 | 池田鉄道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
使用車両 | 車両の節を参照 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線諸元 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 6.9 km (4.3 mi) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電化 | 直流1,500 V 架空電車線方式(1937年まで) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- 区間(営業キロ):安曇追分駅 - 北池田駅間(6.9 km)
- 軌間:1,067 mm
- 駅数:7駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1,500 V電化、1937年から電気運転廃止)
- 閉塞方式:不詳
運行形態
[編集]1933年(昭和8年)9月15日改正当時
- 旅客列車本数:一日約20往復(なお当時、すべての駅で列車交換は行われていなかった)
- 所要時間:全線14分
- 1933年9月15日改正当時の池田鉄道時刻表
歴史
[編集]- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)9月21日 安曇追分駅 - 北池田駅間開業[10](開業時は旅客運輸のみ[11])
- 1927年(昭和2年)
- 1931年(昭和6年)10月22日 ガソリン動力併用認可。実際の気動車導入は1936年(昭和11年)下期
- 1937年(昭和12年)8月1日 電気運転を廃止[14]
- 1938年(昭和13年)6月6日 全線廃止[15]
駅一覧
[編集]駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
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安曇追分駅 | - | 0.0 | 鉄道省:大糸南線 | 南安曇郡 穂高町 | |
十日市駅 | 1.5 | 1.5 | 北安曇郡 | 池田町 | |
会染駅 | 1.5 | 3.0 | 会染村 | ||
柏木駅 | 1.1 | 4.1 | |||
南池田駅 | 1,0 | 5.1 | 池田町 | ||
信濃池田駅 | 0.9 | 6.0 | |||
北池田駅 | 0.9 | 6.9 |
輸送・収支実績
[編集]年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
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1926 | 98,109 | 392 | 7,828 | 19,328 | ▲ 11,500 | 19,648 | |||
1927 | 138,116 | 6,310 | 16,529 | 35,281 | ▲ 18,752 | 雑損110自動車1,548 | 40,271 | 13,986 | |
1928 | 145,573 | 7,039 | 17,641 | 31,246 | ▲ 13,605 | 雑損503自動車4,596 | 35,207 | 28,005 | |
1929 | 158,646 | 7,244 | 19,339 | 29,064 | ▲ 9,725 | 自動車5,975 | 29,972 | 28,075 | |
1930 | 103,477 | 5,568 | 14,573 | 22,761 | ▲ 8,188 | 自動車6,318 | 26,831 | 28,095 | |
1931 | 85,681 | 2,208 | 9,867 | 20,244 | ▲ 10,377 | 雑損11自動車2,716 | 23,393 | 23,479 | |
1932 | 81,401 | 1,355 | 7,887 | 19,024 | ▲ 11,137 | 雑損804自動車3,012 | 21,896 | 28,099 | |
1933 | 80,397 | 1,213 | 8,357 | 19,467 | ▲ 11,110 | 雑損549自動車3,444 | 13,030 | 28,142 | |
1934 | 68,463 | 1,742 | 7,529 | 18,697 | ▲ 11,168 | 自動車2,427 | 14,811 | 28,149 | |
1935 | 78,121 | 1,478 | 7,507 | 18,972 | ▲ 11,465 | 雑損償却金4,057自動車12,657 | 28,187 | ||
1936 | 86,188 | 4,949 | 10,336 | 18,987 | ▲ 8,651 | 債務免除10,637 | 償却金15,021自動車253 | 13,305 | |
1937 | 77,979 | 3,506 | 9,934 | 18,431 | ▲ 8,497 | 雑損10,941自動車193 | 27 | 0 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
[編集]開業の際には電車2両(デハ1・2)を準備した。日本車輌製造で新製した木造ボギー電車(定員100名)である。信濃鉄道の主力電車であるデハ1形と同形の片側3扉の大形電車であり、直通運転をも考慮した措置であった。
しかし長引く経営不振から電気代の支払いにも事欠くようになり、1936年(昭和11年)には電車を2両とも信濃鉄道に譲渡し、負債の一部整理に充てた。そして内燃動力への切り替えで合理化を図り、電車売却代金の一部で日本車輌製の半鋼製ニ軸ガソリンカー(定員40名)2両(キハ1・2)と加藤製作所製のガソリン機関車1両 (1) を新製した。逼迫した実情の伺われる陣容である。
電車売却後もしばらくは電化設備を残し、多客時には信濃鉄道から電車を借り入れ運転することを目論んでいたが、実際にはそこまでの活用には至らず、ほどなく1937年(昭和12年)6月に電気動力廃止を申請、8月1日付で電気動力を廃止した。気動車2両は廃線後、金名鉄道(後の北陸鉄道金名線、1987年廃線)および相模鉄道(現・JR相模線)に1両ずつ売却された。
貨車は自社では保有せず、国鉄から直通させていた。
遺構
[編集]各駅の跡地付近には駅跡を示す標柱が池田町教育委員会により建てられている。なお、安曇追分駅は安曇野市内であるのに加え、JR東日本の敷地なので標柱が建てられていない。
終点の北池田駅の駅舎は近くに移設され、別目的で使用されている。
代替輸送
[編集]現在、かつての池田鉄道のルートに沿う形で池田町営バス (長野県)安曇野線が運行している。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ アーカイブ・池田鉄道 - 池田町
- ^ 「白馬自動車軌道敷設願却下ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・六、敷設請願却下・巻六・大正十四年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- ^ 第56回帝国議会に提出された私鉄買収案の14私鉄に信濃鉄道と池田鉄道が含まれていた。衆議院は通過したが貴族院では国鉄計画線でもない池田鉄道が俎上にあげられた。政府側は信濃鉄道を買収すると池田鉄道は経営が成り立たなくなり、営業廃止となると沿線住民が不便にになるから一緒に買収するという答弁であったが、貴族院では赤字鉄道を買収するのはまかりならんということで買収案から削除してしまった。なお8私鉄しか認められなかったため衆議院が反発し法案は成立しなかった。清水啓次郎『私鉄物語』春秋社、1930年(復刻アテネ書房)315-322頁また国立国会図書館帝国議会会議録検索システムで閲覧可能。第56回、貴族院、鉄道敷設法中改正法律案外四件特別委員会、9号、昭和4年3月20日
- ^ https://web.archive.org/web/20110618123025/http://www.genkigaderu.net/contents/play01/115/
- ^ a b No.2「延長線敷設願却下ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・池田鉄道・営業廃止・昭和二年~昭和十三年』
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1925年4月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年9月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ No.22「安曇追分北池田間旅客運輸営業開始ノ件」、No.32「貨物運輸営業開始ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・池田鉄道・営業廃止・大正十四年~昭和元年』
- ^ No.3「自動車兼営ノ件」 、No.4「同上開始届」 『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・池田鉄道・営業廃止・昭和二年~昭和十三年』
- ^ No.5「信濃鉄道ヘ営業管理委託ノ件」、No.6「同上管理委託実施届」、No.8「営業管理委託解除届」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・池田鉄道・営業廃止・昭和二年~昭和十三年』
- ^ No.46「電気動力廃止実施届」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・池田鉄道・営業廃止・昭和二年~昭和十三年』
- ^ 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1938年6月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献
[編集]- 宮沢元和・小林宇一郎「池田鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.142
- 『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・池田鉄道・営業廃止・大正十四年~昭和元年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・池田鉄道・営業廃止・昭和二年~昭和十三年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 池田鉄道の話
- 買収さるる各地方鉄道『国民新聞』 1928年1月19日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)