氏家榮一
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うじいえ えいいち 氏家 榮一 | |
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生誕 |
1915年12月12日 日本 宮城県角田市 |
死没 | 2002年12月6日(86歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
職業 | 銀行家 |
配偶者 | あり |
子供 | 氏家照彦 |
親 | 氏家清吉 |
栄誉 | 紫綬褒章、勲二等瑞宝章 |
氏家 栄一[1](うじいえ えいいち[1]、1915年(大正4年)12月12日[2] - 2002年(平成14年)12月6日)は、日本の銀行家。七十七銀行会長、頭取。
来歴
[編集]四代目氏家清吉(七十七銀行頭取)の長男として、宮城県伊具郡角田町(現・角田市)に生まれる[3]。
1940年(昭和15年)、短期現役海軍主計科士官(4期)に志願。同年5月、海軍経理学校に入校して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。重巡「摩耶」庶務主任などを務めた。1945年(昭和20年)5月、海軍主計少佐に進級して終戦を迎えた[4]。
日銀勤務を経て、七十七銀行に入行。1970年(昭和45年)には、頭取に昇格する[5]。
トップ在任時においては、経営の近代化に努め、1972年(昭和47年)の東証2部上場(翌年1部に指定替え)、現本店ビルの竣工等を実現。同行の躍進の礎を築いた「中興の祖」とされる。
また数多くの役職を務め、1985年(昭和60年)からは、10年間にわたって仙台商工会議所会頭を務めたほか、東北経済連合会副会長、東北商工会議所連合会会長などを歴任[5]。仙台市の政令指定都市への昇格や、仙台空港の滑走路3000メートル化など、県勢の発展に尽力をした。
人物
[編集]家族・親族
[編集]- 氏家家
- 父・清吉(1892年 - 1956年、貴族院議員、七十七銀行頭取)[1]
- 母・愛子(1893年 - ?、宮城、岡昱太郎の長女、資生堂仙台販売社長)[1]
- 妻・茂子(1918年 - ?、吉田善吾の三女)[1]
- 長男・照彦[1][5](七十七銀行取締役会長、1946年 - )
- 長女(佐々木元の妻)[1]
- 二女[1]
- 親戚
略歴
[編集]- 宮城県仙台第二中学校卒業。
- 1939年(昭和14年) - 東京帝国大学法学部を卒業して日本銀行に入行。
- 1940年(昭和15年) - 短期現役海軍主計科士官(4期)に採用されて海軍主計中尉に任官。
- 終戦後に日本銀行に復職し、人事部人事課長、名古屋支店次長等を歴任する。
- 1957年(昭和32年) - 七十七銀行副頭取。
- 1970年(昭和45年) - 七十七銀行頭取。
- 1982年(昭和57年) - 七十七銀行会長。
- 1985年(昭和60年) - 仙台商工会議所会頭。
- 1991年(平成3年) - 七十七銀行取締役相談役。
- 1993年(平成5年) - 七十七銀行常任相談役。
- 1995年(平成7年) - 七十七銀行相談役。
- 1997年(平成9年) - 七十七銀行を退任。
- 2002年(平成14年) - 逝去[6]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房、 2001年。ISBN 4651700799
- 『現代物故者事典 総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。ISBN 4816923837