佐々木直
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佐々木 直(ささき ただし、1907年(明治40年)5月19日[1] - 1988年(昭和63年)7月7日[1])は、日本の第22代日本銀行総裁。
略歴
[編集]父の任地、仙台市で誕生[1][2]。釜山中学校[1](現釜山高等学校)、東京府立四中、第一高等学校を経て[1][3]、東京帝国大学経済学部卒業(本位田祥男ゼミ)。日本銀行入行。戦前は総力戦研究所にも出向し,模擬内閣で日銀総裁役を務めた経験もある。
戦後、“日銀のプリンス”と称され、日銀総裁の座が近づいた時、池田勇人や、時の田中角栄蔵相らの意向で市中銀行(三菱)出身の宇佐美洵に総裁の座をさらわれ、日銀もすっかり大蔵省による金融行政の脇役に収まっていた。日銀副総裁時代には山一證券の破綻時、田中角栄の意向で日銀特別融資で乗り切り、さらに田中角栄内閣時代には日銀総裁を務めた。総裁在任中には、再三再四にわたり公定歩合引き下げ、積極財政路線を呑まされる形となり、狂乱物価の時代へと続いた。
経歴
[編集]- 1930年
- 3月 東京帝国大学経済学部経済学科卒業[1]
- 4月 日本銀行入行、書記、文書局[1]
- 5月 計算局[1]
- 1932年10月 調査局[1]
- 1935年11月 名古屋支店[1]
- 1938年4月 外国為替局[1]
- 1939年12月~1940年11月 ロンドン駐在[1]
- 1941年
- 1942年
- 1944年5月 人事部次長[1]
- 1945年4月 総務部企画課長[1](同年6月~9月まで兼総務課長[1])
- 1946年6月 参事・人事部長[1]
- 1947年7月 総務部長[1]
- 1951年4月 営業局長[1]
- 1954年6月 日銀理事[1]
- 1962年4月 日本銀行副総裁[1]
- 1969年12月17日 日本銀行総裁[1]
- 1974年12月16日 日本銀行総裁退任[1]
- 1975年4月 経済同友会代表幹事[1]
- 1984年 初代金融情報システムセンター理事長(~1986年)[1]
- 1988年7月7日 逝去、享年81。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 第22代総裁:佐々木直 - 日本銀行
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