歩兵第4連隊
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歩兵第4連隊 | |
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歩兵第4連隊旧兵舎。現在は仙台市歴史民俗資料館となっている。 | |
創設 | 1875年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 仙台 |
編成地 | 仙台 |
通称号/略称 | 勇1301 |
補充担任 | 仙台連隊区 |
上級単位 | 仙台鎮台 - 第2師団 |
最終位置 | 仏印 サイゴン |
戦歴 | 西南戦争 - 日清戦争 - 日露戦争 - 満洲事変 - 日中戦争 - 第二次世界大戦 |
歩兵第4連隊(ほへいだい4れんたい、旧字体:步兵第四聯隊󠄁)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつで、1875年から1945年まであった。宮城県仙台市の榴岡に営所を置いた。現在の宮城野区、榴岡公園である。
歴史
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連隊の発足
[編集]仙台城には1871年(明治4年)から東北鎮台が置かれていた。これが1873年(明治6年)に全国6鎮台の一つとしての仙台鎮台に改組したとき、従来の2番大隊(8個小隊)にかえて、歩兵連隊を置くことになった。1874年(明治7年)に榴ヶ岡に歩兵営が建てられ、仙台城から2番大隊が移転した。続いて1875年(明治8年)に歩兵第4連隊が発足した[1]。鎮台司令部が仙台城、連隊が榴ヶ岡、と場所を分けたのは、仙台城の地形に理由がある。仙台城は前を広瀬川、背後を山に拠る要害だが、川の氾濫時に交通途絶し、部隊が出動できなくなるおそれがあった。そのため、川を隔てて街道に近い榴ヶ岡に連隊を置いたのである[2]。
復員とその後
[編集]第2次世界大戦の後、陸軍の解体にともなって復員(解散)した。兵舎は終戦後に進駐軍が利用し、その後東北管区警察学校となっていたが、榴岡公園の整備計画に合わせ1棟を外観を復元して現在の場所に移築した。建物は仙台市歴史民俗資料館として公開されている。また宮城県内に現存する最古の擬洋風建築であり、仙台市の指定文化財となっている。
年表
[編集]- 1875年(明治8年)9月9日 - 二番大隊から改組。軍旗拝受
- 1877年(明治10年) - 西南戦争に従軍
- 1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1922年(大正11年)6月 - 南樺太守備
- 1931年(昭和6年)4月 - 満洲駐剳、満洲事変にともない長春、寛城子、南嶺、吉林、チチハル、ハルビン、敦化などに転戦
- 1933年(昭和8年)1月 - 帰還
- 1937年(昭和12年)4月 - 満洲駐剳
- 1938年(昭和13年) - 徐州会戦
- 1939年(昭和14年) - ノモンハン事件
- 1940年(昭和15年) - 帰還
- 1941年(昭和16年)3月1日 - ジャワ島メラク湾から上陸、同月13日バンドン入城
- 1942年(昭和17年) - ガダルカナル島の戦い
- 1944年(昭和18年)5月7日 - マニラ到着
- 9月 - ジャワ島東部およびバリ島の守備
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 永井勝正 | 1875.5.5 - | 少佐 |
2 | 山地元治 | 1875.12.8 - 1877.3.14 | 中佐 |
3 | 竹下弥三郎 | 1878.1.21 - | 中佐 |
4 | 大沼渉 | 1878.11.21 - | 中佐、1882.2.大佐 |
5 | 川村景明 | 1882.2.25 - | 中佐 |
6 | 井関正方 | 1885.5.26 - | 中佐 |
7 | 仲木之植 | 1886.5.27 - 1896.3.11 | 中佐、1887.4.大佐 |
8 | 内藤之厚 | 1896.3.27 - 1897.4.24 | |
9 | 馬場命英 | 1897.5.11 - 1902.11.7 | 中佐、1900.10.大佐 |
10 | 古谷安民 | 1902.11.7 - 1903.3.21 | 中佐、1902.11.15大佐 |
11 | 山本信行 | 1903.3.21 - | |
12 | 吉田貞 | 1904.7.10 - 8.26 | 中佐、戦死後大佐 |
13 | 河内礼蔵 | 1904.8.28 - 1905.3.1 | 中佐、戦傷 |
14 | 大島新 | 1905.3.9 - 1906.2.19 | 少佐、中佐昇進 |
15 | 河内礼蔵 | 1906.2.19 - 1911.9.6 | 中佐、1907.11.大佐 |
16 | 緒方多賀雄 | 1911.9.6 - 1914.8.10 | |
17 | 菱刈隆 | 1914.8.10 - 1916.4.1 | |
18 | 富田鶴之助 | 1916.4.1 - 11.15 | |
19 | 柴山重一 | 1916.11.15 - 1917.8.6 | |
20 | 奥村拓治 | 1917.8.6 - 1918.7.24[3] | |
21 | 三輪秀一 | 1918.7.24 - 1920.2.21[4] | |
22 | 伊藤久太郎 | 1920.2.21 - | |
23 | 三木宗太郎 | 1923.8.6 - | |
24 | 高城荘吉 | 1926.3.2 - | |
25 | 大島陸太郎 | 1929.8.1 - | |
26 | 森尻伊祐 | 1932.4.11 - | |
27 | 石原莞爾 | 1933.8.1 - 1935.8.1[5] | |
28 | 鈴木宗作 | 1935.8.1[5] - | |
29 | 酒井直次 | 1937.3.1 - | |
30 | 三浦忠次郎 | 1938.7.15 - | |
31 | 杉野巌 | 1939.8.1 - | |
32 | 福島久作 | 1941.3.1 - | |
33 | 中熊直正 | 1942.4.1 - 11.3 | 戦死 |
34 | 鈴木章夫 | 1942.11.16 - | |
末 | 一刈勇策 | 1943.6.14 - |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『官報』
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)
- 加藤宏「第二師団と仙台」、山本和重編『地域のなかの軍隊』1(北海道・東北)、吉川弘文館、2015年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』(錦正社、2002年)
- 松下孝昭『軍隊を誘致せよ 陸海軍と都市形成』、吉川弘文館、2013年。