橋本喜助 (1859年生の実業家)
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橋本喜助 はしもと きすけ | |
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生年月日 | 1859年7月12日 |
出生地 |
日本 武蔵国埼玉郡忍町 (現・埼玉県行田市) |
没年月日 | 1891年2月25日(31歳没) |
前職 | 実業家 |
現職 | 実業家 |
配偶者 | 橋本ます |
子女 | 次男・橋本喜助 |
埼玉県会議員 | |
選挙区 | 北埼玉郡選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1887年 - 1889年4月13日 |
橋本 喜助(はしもと きすけ、1859年7月12日(安政6年6月13日[1]) - 1891年(明治24年)2月25日[1][2])は、日本の商人(足袋商)、政治家・埼玉県会議員、実業家。「行田足袋の開祖」として著名である[3][4]。族籍は埼玉県平民[5]。
人物
[編集]武蔵国埼玉郡忍町(現・行田市)生まれ[1]。足袋製造工場を設立する[4]。1887年12月、埼玉県会議員となる[1][2][注釈 1]。しかし、1889年4月13日に辞職して、家業に専念した[1][7]。妹のトクは広部銀行頭取広部清兵衛の妻[8]。橋本喜助商店主で、行田電灯社長の橋本喜助は息子である[3]。住所は埼玉県北埼玉郡忍町[5](現行田市)。
家族
[編集]- 妻・ます(1864年生)埼玉、群馬鉄道馬車・高崎水力電気社長の須藤清七の姪
- 二男・橋本喜助 (1889年生の実業家)。岳父は海軍軍医中将・本多忠夫
- 娘・まさ(1888年生)夫は華南銀行副頭取・台湾電力理事の山中義信
- 娘・あさ(1891年生)夫は田村利七の三男・田村謹壽
- 妹・トク(1869年生)夫は広部清兵衛
出典
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 『埼玉県議会史 6巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 橋本 喜助とはコトバンク。2020年2月24日閲覧。
- ^ a b 『大衆人事録 第3版』ハ之部15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月3日閲覧。
- ^ a b 『現代人名辞典』ハ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月3日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』は70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
- ^ 『埼玉県議会史 1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『埼玉県議会史 1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『人事興信録 第9版』ヒ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 古林亀治郎編『現代人名辞典』中央通信社、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。