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橋本喜助 (1889年生の実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橋本 喜助[1](はしもと きすけ、前名・康之助[2]1889年明治22年)11月17日[2] - 没年不明)は、日本商人足袋[3][4]、橋本喜助商店主[5])、資産家[6]、埼玉県多額納税[3][4][7][8]実業家行田電灯社長[3][4]。忍商業銀行、忍貯蓄銀行各取締役[4][9]。族籍は埼玉県平民[2][10]

人物

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埼玉県平民・橋本喜助 (1859年生の実業家)の二男[2][4][10]、あるいは長男[5]。橋本家は古くより埼玉県忍町(現行田市)に住し、代々足袋商を営み、先代喜助に至る[4]1891年家督を相続し前名康之助を改め襲名する[4][11]

上京して早稲田実業学校に入り、1909年に卒業し、三井物産計算課員となる[1][5]。病気のため職を辞し家に帰り[1]、足袋製造業を営む[9][12]。傍ら忍商業銀行、忍貯蓄銀行各取締役である[4]。また行田電灯社長、岩山自動車興業、東京自動車興業各重役である[4][11]

貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[12]。趣味は機械研究[7]自動車[4][11]。宗教は真言宗[4][5][11]。東京宅は東京市下谷区谷中清水町[1][5][7]、住所は埼玉県北埼玉郡忍町[2][6][11]

家族・親族

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橋本家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e 『現代人名辞典』ハ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』は70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第8版』ハ22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第13版 下』ハ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『大衆人事録 第3版』ハ之部15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  6. ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  7. ^ a b c 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』埼玉34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月14日閲覧。
  8. ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 埼玉県19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第11版 下』ハ33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』は82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月5日閲覧。
  11. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ハ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
  12. ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』貴族院多額納税議員互選者住所氏名 埼玉県133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。

参考文献

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  • 古林亀治郎編『現代人名辞典』中央通信社、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。

関連項目

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