横山和夫
表示
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
横山和夫 よこやま かずお | |
---|---|
生年月日 | 1914年10月2日 |
出生地 |
日本 広島県比婆郡東城町 (現・広島県庄原市) |
没年月日 | 1999年5月13日(84歳没) |
出身校 |
広島文理科大学卒業 (現・広島大学) |
前職 | 横須賀市助役 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 勲二等瑞宝章 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1973年7月10日 - 1993年7月9日 |
横山 和夫(よこやま かずお、1914年(大正3年)10月2日[1] - 1999年(平成11年)5月13日[1])は、日本の官僚、政治家。横須賀市長(1973年 - 1993年、5期20年)。
経歴
[編集]広島県比婆郡東城町(現・庄原市)出身。1942年広島文理科大学卒業。翌1943年高文行政科合格後、消防庁総務課長、自治庁官房調査官、滋賀県教育長を経て1961年横須賀市助役。長野正義市長下で3期務め1972年、米国側から出された空母ミッドウェイの母港化要望に対して、外務省その他関係機関との交渉を担当し、米軍提供水域の返還などを条件に、米軍母港化受け入れ決定の中心的役割を果たした。
1973年市長選で“長野市政の唯一の後継者”を打ち出し当選、以降1993年まで、歴代最長の5期20年に渡り横須賀市長を務めた。市長在任時の業績として横須賀市中心市街地・三笠公園拡張・横須賀リサーチパーク(YRP)整備などがある。また市制施行75周年を迎えた1982年の「文化元年」、1989年の「核兵器廃絶・平和都市」を宣言し、オーストラリア・フリマントル市姉妹都市(1979年)、英国・ジリンガム市(メッドウェイ市)姉妹都市(1982年)縁組にも尽力した。その他全国基地協議会会長なども務めた。1993年勲二等瑞宝章受章。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本の歴代市長 第一巻(歴代知事編纂会1983年11月)
外部リンク
[編集]- 横須賀中心市街地年表 - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)
- 衆議院会議録情報 第094回国会 地方行政委員会 第11号