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奥宮衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥宮 衛(おくみや まもる、1860年11月29日万延元年10月17日[1])- 1933年昭和8年)1月7日[2][3])は、日本海軍軍人政治家。最終階級は海軍少将横須賀市長

経歴

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土佐国土佐郡潮江村(現・高知県高知市)で、土佐藩士奥宮暁峰(正路)、亀江の二男として生まれる[2][4][5]1883年10月、海軍兵学校10期)を卒業し、1886年4月、海軍少尉任官[2]

以後、「武蔵分隊長、「海門」分隊長、海兵砲術教官兼生徒分隊長、「龍驤」分隊長兼教官、横須賀鎮守府海兵団分隊長などを歴任[2]日清戦争には「厳島」分隊長、「高雄」分隊長として参戦[3]1898年3月、「笠置」回航委員として米国へ出張し、1899年5月に帰国した[2]

日露戦争に「扶桑」艦長心得として出征[3]1905年1月、海軍大佐に昇進し「松島」艦長に発令され、日本海海戦に参加した[2][3]。その後、「出雲」艦長、「壱岐」艦長、海軍砲術学校長、「三笠」艦長、横須賀海兵団長などを務め、1911年4月12日、海軍少将に進級し横須賀水雷団長となる[2]。同年12月1日、待命、1912年12月1日、予備役1916年10月7日、後備役となり、1921年10月7日に退役した[2]

1917年10月6日から1924年8月16日まで、途中神奈川県理事官の市長職務管掌の期間があるが、約7年間横須賀市長を務めた[6]。在任中、上下水道の整備、海軍助成金制度の実現、市立女子技芸学校の開校、関東大震災復興に尽力した[6]

栄典

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位階
勲章等

著作

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  • 大久保朝子編『祖父奥宮衛』大久保朝子、2005年。

親族

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伝記

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  • 田川五郎『横須賀軍人市長奥宮衛とその時代』中央公論事業出版、2012年。

脚注

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  1. ^ 「奥宮衛神奈川県横須賀市長就任ノ件」。『日本海軍史』第9巻、770頁では「万延元(1860)10.7」。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第9巻、770-771頁。
  3. ^ a b c d 『日本海軍将官辞典』236頁。
  4. ^ a b c 杉山『奥宮慥斎の研究』21-24頁。
  5. ^ a b 『人事興信録』第6版、を171頁。
  6. ^ a b 『日本の歴代市長』第1巻、1054頁。
  7. ^ 『官報』第931号「叙任」1886年8月7日。
  8. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  9. ^ 『官報』第4603号「敍任及辞令」1898年11月1日。
  10. ^ 『官報』第7701号「叙任及辞令」1909年3月2日。
  11. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」明治28年11月29日。
  12. ^ 『官報』第3866号・付録「辞令」1896年5月21日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第一法規出版、1995年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
  • 内閣「奥宮衛神奈川県横須賀市長就任ノ件」大正10年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-019-00・任B01020100
  • 杉山剛『奥宮慥斎の研究 ―明治時代を中心にして―早稲田大学学位審査論文(博士)、2013年。