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権擥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
権擥
各種表記
ハングル 권람
漢字 權擥
発音 クォン・ラム
日本語読み: けん らん
ローマ字 Kwon Ram
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権 擥(クォン・ラム、けん らん、1416年(太宗16年) - 1465年(世祖11年)2月6日)は、李氏朝鮮前期の権臣。勲旧派として王朝政治に参画。策士とされる韓明澮とは友人。字は正卿(チョンギョン)、号は所閑堂(ソハンダン)、諡は翼平(イクピョン)。『東国史略』を著した権近の孫で、右賛成を歴任し、『高麗史』の編集に参加した権踶(クォン・ジェ)の次男。

年表

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  • 1450年、食年文科に首席合格し、その後、司憲府監察(サホンブ カムチャル 正六品相当)に任官。
  • 1451年現在、集賢殿校理(チッピョンジョン キョリ 正五品相当)に任官している。
  • 1453年11月1日現在、集賢殿直提学(チッピョンジョン ジクジェハク 正三品堂上相当)に異動している。
    • 11月8日、癸酉靖難(ケユジョンナン)の功により、靖難功臣(ジョンナンゴンシン)一等に遇せられ、承政院同副承旨(スンジョンウォン トンブスンジ 正三品堂上相当)に異動。
  • 1454年2月13日現在、承政院右副承旨(スンジョンウォン ウブスンジ 正三品堂上相当)に転任している。
    • 8月5日、承政院左副承旨(スンジョンウォン チャブスンジ 正三品堂上相当)に転任。
  • 1455年1月24日現在、通政大夫(トンジョンテブ 正三品堂上相当)に叙せられ、承政院左副承旨を本官として、経筵庁参賛官(キョンヨンチャン チャムチャムグァン 正三品堂上相当)、宝文閣直提学(ホムンガク ジキジェハク 正三品堂上相当)、知制誥(チジェギョ)、兼判贈工監事(キョムパンソンゴンガムサ)、知工曹事(チゴンジョサ)などを兼任している。
    • 閏6月10日、承政院右承旨(スンジョンウォン ウスンジ 正三品堂上相当)に転任。
    • 閏6月23日、吏曹参判(イジョチャンパン 従二品相当)に転任。
    • 9月20日、功により佐翼功臣(チャイクゴンシン)一等に遇せられ、明国への謝恩使(サウンサ)に任命。因みに、時に芸文館大提学(イェムングァン テジェハク 正二品相当)を兼任している。
  • 1456年2月4日、吏曹判書(イジョパンソ 正二品相当)に転任。
    • 7月5日、吉昌君(ギルチャングン)に封ぜられ、集賢殿大提学(チップヒョンジョン テジェハク 正二品相当)、知経筵春秋館事(チギョンヨン チュンチュガンサ 正二品相当)を兼ねる。
  • 1457年8月14日、判中枢院事(パンジュンジュウウォンサ 従一品相当)に転任。
  • 1458年12月7日、右賛成(ウチャムソン 従一品相当)に転任。
  • 1459年10月30日現在、左賛成(チャチャムソン 従一品相当)に転任している。
    • 11月6日、右議政(ウイジョン 正一品相当)に転任。
  • 1462年5月20日、左議政(チャイジョン 正一品相当)に転任。因みに、領議政(ヨンイジョン)には、申叔舟(シン・スクチュ)、右議政には、韓明澮(ハン・ミョンフェ)が就き、靖難功臣の功臣によって議政府の閣僚は占められた。
  • 1463年、病により、左議政を辞任し、吉昌府院君(ギルチャンブウォングン)に封ぜられる。
  • 1465年、死去。享年49。

※参考:朝鮮王朝実録

逸話

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  • 幼い時から広く学び、大志を抱いていたので本箱を馬にのせては、名称旧跡を訪ね、学問をつんだ。その時、韓明澮に会って生涯の友となった。
  • 韓明澮に「男として生まれて辺境で武功を立てられないのなら、万書の書を読んで、不朽の名を残そう」と約束するほど親交を結んだ。

※参考:朝鮮王朝実録

権擥が登場する作品

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  • 王女の男 2011年韓国KBSにて放送された15世紀の李氏朝鮮を舞台にしたテレビ時代劇。全24話。日本では2012年7月8日から同年12月30日までNHK BSプレミアムで放送されていた。 演 : イ・デヨン