榊原政邦
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝3年9月21日(1675年11月8日) |
死没 | 享保11年11月14日(1726年12月7日) |
別名 | 虎之助、勝乗、政辰 |
墓所 | 兵庫県姫路市の増位山随願寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 越後村上藩主→播磨姫路藩主 |
氏族 | 榊原氏 |
父母 |
父:榊原勝直、母:不詳 養父:榊原政倫 |
兄弟 | 政邦、勝治(旗本家相続) |
妻 |
正室:鍋島綱茂の娘 側室:実相院 |
子 | 長男、政祐、国姫(南部利視正室)、孝子(酒井忠恭正室)、娘(青山忠朝正室)、娘(水野勝庸正室) |
榊原 政邦(さかきばら まさくに)は、江戸時代前期から中期の大名。越後村上藩第2代藩主、播磨姫路藩主。榊原家6代当主。
略歴
[編集]分家の旗本榊原家の榊原勝政(榊原康勝の庶子。1,000石)の子の榊原勝直(1,000石)の長男として誕生する。若くして嗣子なく没した榊原本家の政倫の養嗣子となり、越後村上藩を相続、その後に姫路藩に転封となる。
経歴
[編集]- 1675年(延宝3年) - 生まれる
- 1683年(天和3年) - 榊原家相続
- 1704年(宝永元年) - 播磨姫路に国替(5月28日)
- 1716年(正徳6年) - 男山八幡宮社殿を建て替え新築。
- 1726年(享保11年) - 死去、享年52
官位位階
[編集]榊原政邦の墓所
[編集]榊原政邦およびその正室と側室実相院の墓は、兵庫県姫路市の増位山随願寺にある。政邦と正室の希望によりここに葬られ、また実相院の墓もあり、実相院の墓は夫人病治癒祈願の墓としても祀られている[1]。
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政邦夫妻の墓。
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政邦の墓。
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手前が夫人の墓、奥が政邦の墓。
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夫妻の墓の前の石扉。
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側室、実相院の墓。
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実相院の墓に刻まれた戒名。
系譜
[編集]父母
正室
側室
- 実相院
子女
脚注
[編集]- ^ 随願寺にある政邦の墓所についての案内板より。
外部リンク
[編集]- 榊原政邦墓所-姫路市のウェブサイト