榊原政房
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永18年8月3日(1641年9月7日) |
死没 | 寛文7年5月24日(1667年7月15日) |
改名 | 熊之助(幼名)→政房 |
墓所 | 兵庫県姫路市の圓教寺 |
官位 | 従五位下、刑部大輔、従四位下、式部大輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 播磨姫路藩主 |
氏族 | 榊原氏 |
父母 | 父:榊原忠次、母:寺沢広高の娘 |
妻 |
正室:富幾(池田光政の娘) 継室:池尻共孝の娘 |
子 | 政倫、松姫(蜂須賀綱通正室のち松平義行継室) |
榊原 政房(さかきばら まさふさ)は、江戸時代前期の大名。播磨姫路藩の第2代藩主。榊原家4代当主。
生涯
[編集]榊原忠次の子として生まれる。寛文5年(1665年)5月11日に父の死により家督を相続する。父・忠次は叔父の康勝の死によって榊原家を相続したが、実は康勝には庶子勝政があった。
勝政から榊原家当主の座を失わせた形になった政房は、義父の池田光政らと奔走し、勝政の子である勝直、政喬の兄弟を旗本に取り立てることに成功した。この分家成立は後に藩主の血筋を保つことになった。
寛文7年(1667年)死去、享年27。家督は嫡男の熊之助(政倫)が継いだ。
官歴
[編集]系譜
[編集]父母
正室、継室
子供