梅ヶ島温泉
梅ヶ島温泉 | |
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温泉情報 | |
所在地 | |
座標 | 北緯35度18分19秒 東経138度19分48秒 / 北緯35.3051477度 東経138.3299902度座標: 北緯35度18分19秒 東経138度19分48秒 / 北緯35.3051477度 東経138.3299902度 |
交通 | 鉄道:東海道新幹線静岡駅下車、しずてつジャストライン(路線バス)で1時間45分 |
泉質 | 硫黄泉 |
泉温(摂氏) | 39 °C |
宿泊施設数 | 10 |
梅ヶ島温泉(うめがしまおんせん)は、静岡県静岡市葵区(旧国駿河国)にある温泉。コンヤ温泉や梅ヶ島新田温泉とともに梅ヶ島温泉郷を構成する[1]。
泉質
[編集]温泉街
[編集]深山幽谷という表現が適切な環境にあり、安倍川源流の河畔に、一直線上に旅館が並ぶ。木造の素朴な旅館が多く、家庭的な雰囲気を持っている。安倍の大滝へも近い[1]。
源泉数は12で、旅館が6施設、民泊施設、公衆浴場2施設がある(2023年現在)[1]。日帰り入浴施設は、各旅館・民宿でも可能であるが、日帰り入浴専門としては「湯元屋」がある。食事・売店もこの「湯元屋」一軒のみ。
歴史
[編集]1913年(大正2年)、当時の靜岡縣安倍郡梅ヶ島村役場により編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』によれば、当時までに伝承されてきたこととして「口碑 徃古仙人の林間分け入りしにより発見せられたりといいその後応神天皇の御待黄金湯の名称を賜りしという」とあるため、この伝承によれば約1700年前の応神天皇の4世紀にはすでに知られていたことになり、梅ヶ島温泉の発見はさらにそこから遡ることになる。
戦国時代には「武田信玄の隠し湯」だったという伝承がある[1]。その後も徳川家康、徳川秀忠、勝海舟、清水次郎長、山岡鉄舟、乃木希典などが訪れたとの記録がある[1]。
江戸時代初期には良純入道親王が湯治し、その霊験ぶりに感激し、神社を開いている。(俗にいう三蛇権現、三匹の蛇に導かれて梅ヶ島温泉に到達したという言い伝え)三種の神器も、老舗旅館、梅薫楼のほか地元の民家に保存されている。現在は、源泉跡地に湯之神社として現存している。
第二次世界大戦時には帝国陸軍病院の分院が設置され接収された[1]。
昭和の世になってからは、歌人の吉井勇が長逗留の時に「梅ヶ島遊草」を詠ったり、茂木草介が「太閤記 (NHK大河ドラマ)」を書き上げたり、といった、文人達に好まれる湯治温泉地となった[1]。
1955年(昭和30年)に、梅薫楼から静岡市に源泉の権利が返された。
1966年(昭和41年)9月25日、台風第24・26号災害により壊滅的な被害を受けるが、その後、復興した。
2017年(平成29年)5月15日、近隣のコンヤ温泉・新田温泉・金山温泉とともに梅ヶ島温泉郷として環境省による国民保養温泉地に指定された[2][注釈 1]。
アクセス
[編集]- 鉄道・バス: 東海道本線(東海道新幹線)静岡駅下車、しずてつジャストライン(路線バス)で約1時間45分、梅ヶ島温泉停留所下車[4]。
- 自動車
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “梅ケ島温泉郷 国民保養温泉地計画書”. 環境省. 2024年3月24日閲覧。
- ^ “静岡・梅ケ島温泉郷を「国民保養温泉地」に指定”. 産経ニュース (2017年5月14日). 2023年1月6日閲覧。
- ^ “梅ケ島温泉郷 国民保養温泉地計画書”. 環境省. 2024年3月24日閲覧。
- ^ a b “交通案内”. 梅ヶ島温泉 (2020年3月24日). 2023年1月6日閲覧。
- ^ “【保存版】林道豊岡梅ヶ島線の情報”. 梅ヶ島温泉 (2019年10月14日). 2023年1月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- 梅ヶ島温泉観光組合 公式サイト
- 梅ヶ島温泉観光組合 - Do 湯 農 梅ヶ島プロジェクト