林茂政
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林 茂政(はやし もせい[1]、本名:しげまさ[1]、1870年1月26日(明治2年12月25日[1])- 1940年(昭和15年)1月15日[1])は、日本の政治家。最後の鶴岡町長、初代鶴岡市長、山形県会議員、羽前輸出織物同業組合組合長、勲六等。別名・半次郎[1]。
経歴
[編集]庄内藩士・林茂明の長男として鶴岡鷹匠町(現・山形県鶴岡市)に生れる[1]。西田川郡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業[1]。鶴岡英学会に入会し英語などを学び、角田俊次に文章及び漢学の指導を受ける[1]。
1887年(明治20年)福島県会津郡の小学校に勤務[1]。1892年(明治25年)朝暘学校訓導に転じた[1]。
1901年(明治34年)鶴岡町長に就任し、1924年(大正13年)10月、市制施行に伴い初代鶴岡市長に就任し、1927年(昭和2年)まで在任した[1]。 1931年(昭和6年)山形県会議員に選出され1935年(昭和10年)まで務めた[1]。
1919年(大正8年)羽前輸出織物同業組合組合長に就任し、1936年(昭和11年)まで在任した[1]。
1940年(昭和15年)死去する(享年71)。鶴岡の禅竜寺に墓がある[1]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考資料
[編集]- 大瀬欽哉監修『新編 庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。
公職 | ||
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先代 鶴岡町 |
鶴岡市長 初代:1924年-1927年 |
次代 金野岩治 |