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林幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はやし かん
林 幹
林 幹
1919年の写真、満25歳。
本名 海上 晴帆 (うながみ せいはん)
生年月日 (1894-04-03) 1894年4月3日
没年月日 (1965-04-23) 1965年4月23日(71歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草
死没地 日本の旗 日本 埼玉県大宮市(現在のさいたま市
職業 俳優宗教家
ジャンル 新劇劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1914年 - 1965年
配偶者 海上美乃
著名な家族 山口瑞雨(義父)
主な作品
朝日さす前
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林 幹(はやし かん、1894年4月3日 - 1965年4月23日[1][2])は、日本の俳優宗教家である[1][2][3][4]。宗教法人天崇教初代教主[1][2][3][4]。本名海上 晴帆(うながみ せいはん)[1][2][3][4]

人物・来歴

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1894年(明治27年)4月3日東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれる[1][2][3][4]

京華商業学校(現在の京華中学高等学校)を経て、旧制早稲田実業学校(現在の早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)を中退し、独学で坪内逍遥について文学を学ぶ[3][4]。その後、実際に早稲田大学の坪内逍遥の助手として働いていたが、坪内士行島村抱月澤田正二郎ら演劇人と親交を結び、やがて新劇の世界に入る[1][3][4]。1914年(大正3年)、土肥春曙東儀鉄笛らによって組織された新劇団無名会に加わり、「林 幹」を名乗って初舞台を踏む[5]。1917年(大正6年)5月没落後は、芸術座に加入して宮島啓夫らと共演した後、加藤精一横川唯治森英治郎ら率いる舞台協会に加入する[5][6][7]。1919年(大正8年)8月、独立して飯塚友一郎村田実音羽かね子らと創作劇場を組織し、倉田百三が演出した有楽座公演『出家とその弟子』に親鸞上人役で出演したが、翌1920年(大正9年)6月に解散[1][3][4][6][8][9]。再び舞台協会に戻ったが、その傍らで坪内逍遥、東儀鉄笛らによって提携された新文芸協会にも加わり、南座などに出演している[6]。同年10月、日活向島撮影所第三部の革新運動に新井淳中山歌子酒井米子らと共に参加、特に同年12月31日に公開された田中栄三監督映画『朝日さす前』では主演を務めた[6][10]

1922年(大正11年)8月、第三部消滅後は再び舞台に戻り、同時期に松竹キネマ研究所を退所した村田実と新興劇団丹青座(のち国民劇と改称)を組織、牛込会館国民講堂などに出演したが、不評のうち関東大震災直後の1924年(大正13年)6月に解散[6][9][11]。その後、再び舞台協会、同志座を経て、同年11月に森英治郎、初代村田正雄川村花菱らと人間座を組織、牛込会館などに出演[7][11][12]。1925年(大正14年)、同志座に戻り、兵庫県西宮市にあった東亜キネマ甲陽撮影所に森英治郎、宮島啓夫、夏川静江出雲美樹子らと共に入社、同年9月29日に公開された賀古残夢監督映画『』など、数本の作品に脇役出演した[6][7][10]。1926年(大正15年)9月、自ら創生劇(創生劇ペーゼント)を組織し、日比谷野外音楽堂三越劇場などに出演するが、間も無く解散[6][9][13]。1928年(昭和3年)6月には、加藤精一、佐々木積と共に帝国劇場専属俳優となる[12][14][15][16]。以後、明治座日本劇場など地方各座に出演したほか、戦後にかけて築地小劇場俳優座の舞台にも特別出演した[12][14][15]

この間、フリーランサーとして主に東京発声映画製作所の作品にも脇役出演しており、第二次世界大戦終結後は1950年(昭和25年)に設立された日本総合芸術社と契約を結び、1952年(昭和27年)10月9日に公開された黒澤明監督映画『生きる』をはじめ、東宝新東宝日活松竹の各作品に出演[10][17]。後年は1959年(昭和34年)1月15日に公開された映画『暗黒街の顔役』など、初期の岡本喜八監督作品の常連として活躍、体格がよく貫禄のある役を得意とした。

また、本名の「海上 晴帆」名義で戦前から宗教家としても活動しており、はじめ仏教に関心を持ち、宗教家田中智學らに教えを受ける[2][3][4]。1936年(昭和11年)、天夷鳥命からのお告げを受け、神道の再興を志し、日本大学皇道学院皇典講究所で神道を研究する傍ら、神理教清水英範について教えを受ける[2][3][4][18][19]。1941年(昭和16年)4月、神理教宣教師となり、東京府東京市四谷区四谷伝馬町(現在の東京都新宿区四谷あたり)に宗教結社光徳教会を設立したが、1945年(昭和20年)に戦災で本部が焼失[2][3][4][18][19]。翌1946年(昭和21年)、神理教の内部分裂に伴い扶桑教に転属するも馴染めず、間も無く脱退[3][4][18][19]。1948年(昭和23年)10月、妻であり、明治・大正期に活躍した日本画家山口瑞雨(米庵)の次女にあたる元新劇女優の海上美乃(旧芸名山口真瑳子、1896年 - 没年不詳)と共に宗教法人天崇教を立ち上げ、同教の管長(のち教主)となる[1][2][3][4][18][19]。1953年(昭和28年)10月には、文部大臣の認証を受け、東京都新宿区西大久保(現在の同区大久保あたり)に本部を設置[2][3][4][18][19]。その後、1961年(昭和36年)9月に埼玉県大宮市大字内野本郷(現在のさいたま市西区)へ本部を移設し、活動を続けた[1][2]

1965年(昭和40年)4月23日、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)の自宅で病没した[1][2]。満71歳没。

フィルモグラフィ

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日活向島撮影所

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全て製作は「日活向島撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画である。

  • 朝日さす前』:監督田中栄三、1920年12月31日公開 - 株式仲買店主岡田徳太郎、同番頭志村浅吉(二役)[20]
  • 白百合のかほり』(『白ゆりのかほり』):監督田中栄三、1921年1月14日公開 - その息子・篤也
  • 流れ行く女』(『流れゆく女』):監督田中栄三、1921年3月4日公開
  • 浮き沈み』:監督田中栄三、1921年8月29日公開
  • 闇のかほり』(『闇の香り』):監督不明、1922年6月11日公開
  • 』:監督不明、1922年10月5日公開 - 穂積克澄

東亜キネマ甲陽撮影所

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全て製作は「東亜キネマ甲陽撮影所」、配給は「東亜キネマ」、全てサイレント映画である。

フリーランス(戦前)

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特筆以外、全て製作は「東京発声映画製作所」、配給は「東宝映画」、以降全てトーキーである。

フリーランス(戦後)

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特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。

日活

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特筆以外、全て製作・配給は「日活」である。

東宝

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特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『宗務時報 No.7』文化庁、1965年、53頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『愛知学院大学宗教法制研究所紀要』愛知学院大学宗教法制研究所、1991年、261頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『宗教年報 昭和25年版』文教協会、1951年、115頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 『宗教便覧』法政大学出版局、1954年、5・6・156-157頁。 
  5. ^ a b 『帝國劇場專屬俳優列傳』杉浦善三、1919年、24頁。 
  6. ^ a b c d e f g 『新劇その昔』文芸春秋新社、1957年、240-245頁。 
  7. ^ a b c 『ちゃんばら芸術史』実業之日本社、1959年、97-98頁。 
  8. ^ 『早稲田文学 十月號』早稲田文学社、1919年、161頁。 
  9. ^ a b c 『明治大正新劇史資料』演劇出版社、1964年、202-203頁。 
  10. ^ a b c 林幹、日本映画データベース、2023年8月11日閲覧。
  11. ^ a b 『演劇年鑑 1925年版』岩波書店、1925年、11・16頁。 
  12. ^ a b c 『日本新劇史 下巻』理想社、1956年、292-293頁。 
  13. ^ 『名古屋新劇史』門書店、1960年、21頁。 
  14. ^ a b 『帝劇 七月號』帝国劇場文芸部、1928年、39頁。 
  15. ^ a b 『帝劇 八月號』帝国劇場文芸部、1928年、66-67頁。 
  16. ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇』八木書店、2002年、689頁。 
  17. ^ 『映画年鑑 1953年版』時事通信社、1953年、113頁。 
  18. ^ a b c d e 『宗教年報 昭和30年版』文部省、1955年、68-69頁。 
  19. ^ a b c d e 『宗教年報 昭和34年版』文部省、1960年、62-63頁。 
  20. ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–536, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

関連項目

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外部リンク

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