林佳介
林 佳介(はやし よしすけ[1]、1900年(明治33年)7月18日[2] - 1987年(昭和62年)11月9日[3])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(日本進歩党)[1][3][4]。下関倉庫社長[4][5]。山口合同ガス社長[4]。サンデン交通会長[3][4]。下関商工会議所会頭[4]。
林 佳介 はやし よしすけ | |
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生年月日 | 1900年7月18日 |
出生地 | 山口県 |
没年月日 | 1987年11月9日(87歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
所属政党 |
(翼賛政治会→) (大日本政治会→) 日本進歩党 |
子女 | 長男・林義郎(元大蔵大臣) |
親族 |
義祖父・林平四郎(元貴族院議員) 孫・林芳正(衆議院議員) |
選挙区 | 山口県第1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 |
1942年4月30日 - 1944年8月3日 1945年5月18日 - 1945年12月18日 |
経歴
[編集]山口県出身[3]。松田忠治の七男として生まれる[6]。兄は日立金属元社長の中村隆一。松田正三の弟[7]。林長五郎の養子となる[2]。東京帝国大学法学部卒業[3][8]。「大津屋」と称し、醤油醸造業を営んだ[9]。陸軍歩兵中尉に任ぜられた[8]。1937年、支那事変に出征した[8]。大政翼賛会山口県支部常務委員を委嘱された[8]。
山口県翼賛壮年団理事、同下関団長、下関倉庫、山陽電気、下関瓦斯、下関精密工業、百十銀行など各種会社の重役をつとめた[8]。
1942年、衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け、山口1区(当時)から立候補し、当選[4]。臨時召集を受け1944年8月3日に議員を退職し[10]、1945年5月18日に召集が解除され議員に復職した[11]。同年に下関瓦斯社長に就任。翌年、推薦議員のため公職追放となる[12]。
1951年に追放解除となる[13]。1973年に下関商業開発、1977年に山口合同ガスの各社長を歴任した[4]。この間、1947年から1981年までサンデン交通社長、1970年から1984年まで下関商工会議所会頭をつとめた[4]。
人物
[編集]『商工資産信用録 第39回 九州防長版』によると「調査年月・1938年5月、正身身代・G、年扱高又は年収・M、信用程度・Aa、職業・醤油種油製造」である[14]。
『商工資産信用録 第43回』によると「調査年月・1942年3月、正身身代・G、年扱高又は年収・M、信用程度・Ca、職業・醤油種油製造」である[15]。
家主である[16]。宗教は真宗[2][5]。趣味は読書[5]。住所は山口県下関市貴船町[5][16]。
家族・親族
[編集]- 林家
- 養祖父・平四郎[17](1857年 - 1941年、山口県多額納税者、大津屋本店、春帆楼、生蝋醤油醸造業並料理旅館業、山陽電気軌道、下関瓦斯各社長、貴族院議員) - 住所は下関市大字関後地村[7]、同市貴船町[9]、同市本町[17]。
- 養父・長五郎[2]
- 妻・トラ(1909年 - ?、山口、林長五郎の長女、林平四郎の孫[7]、家主[9][16])
- 長男・義郎(1927年 - 2017年、通産官僚、政治家)[4][5][7]
- 二男[5]
- 三男・孝介(サンデン交通社長)[3][4]
- 四男[5]
- 長女・尭子(元大分県知事広瀬勝貞の妻)[5]
- 孫・芳正(政治家、1961年 - )
- 孫・広瀬建(政治家)
略系図
[編集]林平四郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸幸一 | 俵田明 | 属最吉 | 朴家 | 松田忠治 | 林長五郎 | 広瀬貞治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸孝彦 | 初枝 | 俵田寛夫 | 澄江 | 属啓成 (朴啓成) | 中村隆一 | 林佳介 | トラ | 広瀬正雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
知子 | 木戸武 | 万里子 | 林義郎 | 尭子 | 広瀬勝貞 | 広瀬道貞 | 広瀬貞雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長尾尚人 | 千恵子 | 玲子 | 林哲郎 | 林芳正 | 裕子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b 『議会制度七十年史 第11』はの部403頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月29日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』山口18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月17日閲覧。
- ^ a b c d e f 林 佳介とはコトバンク。2020年1月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『政治家人名事典』428 - 429頁。
- ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』は704頁。
- ^ 『人事興信録 第34版 下』人事興信所、1987年、は-154頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 下』ハ115頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月26日閲覧。
- ^ a b c d e 『翼賛議員銘鑑』328頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月26日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第41版』山口ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ、ハの部9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月27日閲覧。
- ^ 『官報』第5273号、昭和19年8月11日。
- ^ 『官報』第5517号、昭和20年6月6日。
- ^ 『朝日新聞』1946年2月10日1面。
- ^ 『朝日新聞』1951年8月7日朝刊2面
- ^ 『商工資産信用録 第39回 九州防長版』山口県ハヒ之部23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月9日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』山口県10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月14日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第35版』下関ニ、ヌ、ネ、ノ、ハ、ヒの部9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月12日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』は47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 『商工資産信用録 第39回 九州防長版』商業興信所、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941-1943年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。
- 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。