俵田寛夫
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俵田 寛夫(たわらだ ひろお、1908年(明治41年)2月18日 - 1990年(平成2年)[1][2])は、日本の実業家。
宇部興産元副社長・専務、宇部サイコン(現:UMG ABS)社長[3][4]。
来歴・人物
[編集]山口県出身。三井鉱山(現・日本コークス工業)取締役の属最吉の次男に生まれ、宇部興産創立者の俵田明の養子となる[4]。1932年(昭和7年)東京帝国大学商科卒業後、大阪高島屋本社を経て、1934年(昭和9年)4月に宇部興産沖ノ山炭鉱に転じる[1]。その後、1949年(昭和24年)8月取締役となり宇部鉱業所長を兼ね、1955年(昭和30年)12月常務、1960年(昭和35年)専務に就任[1]。
家族
[編集]俵田家
[編集]- 養母・シゲ(1889年(明治22年)11月生、山口、兼安洹乗の次女)
- 妻・初枝(1913年(大正2年)2月生、養父・俵田明の長女、東京実践女専卒)
- 長男・忠(1935年(昭和10年5月生、慶大卒、宇部興産勤務)
- 次男・尚(1939年(昭和14年)6月生、一橋大卒、富士電機監査役)
- 三男・武(1941年(昭和16年)3月生、弁護士・木戸孝彦の養子、内大臣・木戸幸一の養孫、東大卒、日本軽金属工業勤務)
- 四男・享(1943年(昭和18年)1月、東大卒、帝人勤務)
- 長女・万里子(1937年(昭和12年)4月、お茶の水女子大卒、元衆議院議員・林義郎の妻)
- 外孫・林芳正(1961年(昭和36年)1月、衆議院議員、外務大臣(第151代))
縁戚
[編集]略系図
[編集]林平四郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸幸一 | 俵田明 | 属最吉 | 朴家 | 松田忠治 | 林長五郎 | 広瀬貞治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸孝彦 | 初枝 | 俵田寛夫 | 澄江 | 属啓成 (朴啓成) | 中村隆一 | 林佳介 | トラ | 広瀬正雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
知子 | 木戸武 | 万里子 | 林義郎 | 尭子 | 広瀬勝貞 | 広瀬道貞 | 広瀬貞雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長尾尚人 | 千恵子 | 玲子 | 林哲郎 | 林芳正 | 裕子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著作
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “人事興信録. 第25版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “俵田 寛夫 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2022年7月14日閲覧。
- ^ 閨閥学 (2018年9月9日). “俵田家(宇部興産社長・俵田明の子孫・家系図)”. 閨閥学. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “人事興信録. 第15版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年7月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。