属啓成
さっか けいせい 属 啓成 | |
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生誕 |
1902年10月17日 大韓帝国 黄海道白川郡 |
死没 | 1994年10月12日(91歳没) |
住居 | 日本 東京都世田谷区 |
国籍 | 日本 |
別名 |
朴 啓成(朴 啓星) 朝鮮語:박계성(パク・ケソン) |
出身校 | 国立音楽学校器楽部ピアノ科 |
職業 |
音楽学者 音楽評論家 |
肩書き |
国立音楽大学教授 成城大学教授 日本モーツァルト協会第2代会長[1] |
配偶者 | 属澄江(ピアニスト) |
親 | 属最吉(養父) |
親戚 | 俵田寛夫(義兄) |
属 啓成(さっか けいせい、1902年(明治35年)10月17日 - 1994年(平成6年)10月12日)は朝鮮生まれの日本の音楽学者・音楽評論家。旧姓名、朴啓成(または朴啓星[2][3][4]、朝鮮語:박계성、パク・ケソン)。音楽之友社から出版されている「音楽形式の基礎」は簡単なアナリーゼの紹介書として知られる。妻はピアニストの属澄江。三井鉱山取締役の属最吉は義父、宇部興産副社長を務めた俵田寛夫(旧姓属)は義兄にあたる。
略歴
[編集]黄海道白川郡出身[5][6]。朝鮮人の家庭に生まれ、学生時代に日本人ピアニストの属澄江と結婚してその籍に入り、属啓成と改名する[7]。1932年(昭和7年)国立音楽学校器楽部ピアノ科を卒業後、1934年(昭和9年)より3年間、ウィーン国立音楽学院及びウィーン大に聴講。ウィーン留学中は、シュテール(Störl)の「音楽形式学」(Musikalische Formenlehre)に接しその日本への紹介を志す。
1943年(昭和18年)に母校、国立音楽大学の教授に就任。単に形式分析にとどまらず作曲家の生涯を綴る伝記なども手がけた。
1949年(昭和24年)より読売新聞に演奏会評を執筆。1955年(昭和30年)及び1960年(昭和35年)及び1964年(昭和39年)以来毎年渡欧した。
渡欧中、「音楽歴史図鑑」にて文部大臣奨励賞、1961年(昭和36年)オーストリア政府より有功一等勲章、1968年(昭和43年)チェコ政府より有功金章を受章。
カトリック成城教会の鐘楼の鐘は、属啓成が西ドイツの工房に特注して1965年(昭和40年)4月に寄贈したものである。現在も日曜日の朝、ミサの開始を告げる合図として使用されている[8]。
墓碑は多磨霊園(26-1-33)にある。
家族
[編集]- 属家[9]
- 義父・最吉(三井鉱山取締役)
- 妻・澄江(ピアニスト、国立音楽大学器楽部ピアノ科教授)
- 長男・英郎
- 1942年(昭和17年)1月31日生。慶應義塾大学経済学部卒。日本石油化学勤務。
- 長女・成子
- 略系図
林平四郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸幸一 | 俵田明 | 属最吉 | 朴家 | 松田忠治 | 林長五郎 | 広瀬貞治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木戸孝彦 | 初枝 | 俵田寛夫 | 澄江 | 属啓成 (朴啓成) | 中村隆一 | 林佳介 | トラ | 広瀬正雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
知子 | 木戸武 | 万里子 | 林義郎 | 尭子 | 広瀬勝貞 | 広瀬道貞 | 広瀬貞雄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長尾尚人 | 千恵子 | 玲子 | 林哲郎 | 林芳正 | 裕子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著書
[編集]リスト、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンといった著名作家の生涯を記載した書物や、子供向けの音楽譜など200冊以上を出版し、古典音楽を中心とした多数の論文を残している(国立図書館で多数閲覧可能)。
- 「ベートーベン全集」
- 「シューベルトの生涯と芸術」
- 「バッハの生涯と芸術」
- 「作曲技法」
- 「名曲の事典」他40種
脚注
[編集]- ^ “日本モーツァルト協会60年のあゆみ”. 日本モーツァルト協会. 2023年4月29日閲覧。
- ^ 『Nitchō kankeishi ronshū : Kan Tokusan Sensei koki taishoku kinen』Tŏk-sang Kang, 姜徳相, Kan Tokusan Sensei Koki Taishoku Kinen Ronbunshū Kankō Iinkai, 姜徳相先生古希・退職記念論文集刊行委員会.、Shinkansha、Tōkyō、2003年、342頁。ISBN 4-88400-028-5。OCLC 54349976 。
- ^ “中等教育諸学校職員録. 昭和9年5月現在(第31版) - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月5日閲覧。
- ^ “無題ドキュメント”. www.shiro1000.jp. 2022年6月5日閲覧。
- ^ Kankoku kayōshi. 1. Chanho Paku, 朴 燦鎬. Tōkyō: Ōrasha. (2018.7). ISBN 978-4-939139-23-9. OCLC 1052724419
- ^ “박계성” (朝鮮語). terms.naver.com. 2022年7月19日閲覧。
- ^ 遠藤喜美子『鳳仙花─評伝洪蘭坡(ホン・ナンパ)』p.127(文芸社、2002年)
- ^ *カトリック成城教会HPの記述より
- ^ “人事興信録. 第25版 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年7月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年
- 大日本音楽協会『音楽年鑑』共益出版、1940年