松浦親 (九郎)
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正2年(1574年) |
別名 | 通称:九郎 |
官位 | 丹後守(受領名) |
氏族 | 松浦氏 |
父母 | 父:松浦隆信、養父:松浦親 |
兄弟 |
鎮信、後藤惟明、親、信実、志佐純元室 養兄弟:鎮、盛 |
妻 | 後藤貴明次女 |
子 | 定、大野忠、志佐純高室 |
松浦 親(まつら ちかし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前国飯盛城主。
平戸松浦氏当主・松浦隆信の三男。永禄9年(1566年)、父・隆信と長年争ってきた相神浦松浦氏16代目・松浦親が隆信に敗れ、降伏。和睦の条件として隆信の三男・九郎を養子に迎えた[1]。九郎は義父と同名の親を名乗り17代を継ぐ。
元亀2年(1571年)、針尾島の針尾氏を攻める。同年、嫡男・定が誕生。同3年(1572年)1月20日、有田唐船城から攻め寄せてきた、親と同じく先代の養子であった松浦盛を、盛の家老山本右京の内応もあり柚木の相当原で打ち破る[2]。同年、佐世保城主・遠藤盛胤を龍造寺隆信に寝返ったとして討ち果たした。なお、この時の逸話として、盛胤の娘白縫姫の蛇島伝説がある。
天正2年(1574年)、対立していた重臣東時忠を誅殺せんとするも、時忠と刺し違えになり死去。
脚注
[編集]出典
[編集]- 外山幹夫『肥前松浦一族』(新人物往来社、2008年)
- 『松浦家世伝』
- 『印山記』
- 『大村家譜』