松平豊子
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松平 豊子(まつだいら とよこ、1913年〈大正2年〉12月22日[1] - 1999年〈平成11年〉12月26日)は、松平一郎の夫人。 徳川宗家第18代当主の徳川恒孝の母。
経歴
[編集]徳川宗家の屋敷があった千駄ヶ谷徳川宗家17代・家正の長女として生まれる。1935年(昭和10年)12月に、近衛歩兵第1連隊除隊直後の松平一郎と結婚した。戦中は、御殿場で食べ物にも苦労する疎開生活を送る[2](その間、夫の一郎は当時銀行員として駐在していたカリフォルニアで抑留を受け、各地の収容所を転々としていた)。
子女
[編集]- 父:徳川家正 - 徳川宗家第17代当主、貴族院議長、外交官。嫡男の家英早世後に外孫の恒孝と養子縁組を結び養父となる。
- 母:徳川正子 - 島津忠義の十女
- 夫:松平一郎(松平容保の六男松平恆雄、鍋島直大の四女信子の長男)
著書
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.153
- ^ 松平 豊子の電子書籍一覧 - honto
- ^ 『読売新聞』1936年9月29日付夕刊。
- ^ 著書に『花葵 徳川邸おもいで話』(保科順子、毎日新聞社、1998年)がある。
- ^ “役員 上野学園大学”. 学校法人 上野学園大学. 2014年3月7日閲覧。
- ^ “日本フィンランド文化友好協会会長の松平恒忠氏が叙勲”. フィンランド大使館. 2014年1月13日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2018年3月28日朝刊(東京本社)、第19面「リレーおぴにおん 維新150年 3 泰平260年思い、2女性が尽力」