松平親乗
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永正12年(1515年) |
死没 | 天正5年8月21日(1577年10月2日) |
別名 | 通称:源次郎 |
戒名 | 空源院殿久浄昌大居士 |
官位 | 和泉守 |
氏族 | 大給松平家 |
父母 |
父:松平乗勝 母:松平清康養女[1]・随念院 |
妻 | 松平信定娘 |
子 | 真乗 |
松平 親乗(まつだいら ちかのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は源次郎。官位は和泉守。大給松平家4代当主。
生涯
[編集]3代当主・松平乗勝の長男として誕生。
享禄3年(1530年)、清康に従って熊谷氏の居城・宇利城を攻め、軍功を挙げた。天文21年(1552年)、東条松平家の松平忠茂に居城の大給城を攻められ、忠茂と戦う。弘治元年(1555年)8月、今川義元に命じられて織田氏の居城・蟹江城を攻める。弘治2年(1556年)に滝脇松平家の滝脇城を攻め、松平乗清・乗遠親子を戦死させた。
この頃、今川家の人質であった徳川家康に随身し駿府に居住しており、弘治3年1月8日(1557年2月17日)には駿府滞在中の山科言継を訪ね酒宴に及んだことが『言継卿記』に記録されている。これ以降、言継とは永禄11年10月10日(1568年11月9日)など会合を重ね親交を深めている[2]。
天正3年(1575年)、乗遠の次男・乗高により大給城を夜襲され、尾張国へ逃れている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 今谷明『戦国時代の貴族―『言継卿記』が描く京都』 講談社、2002年、ISBN 4061595350