松岡英孝
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松岡 英孝(まつおか ひでたか、1937年10月14日 - )は、大阪・北陽高等学校野球部元監督で、社会科教諭。元朝日放送高校野球解説者。高知県出身。
来歴
[編集]城東高等学校(現・高知高等学校)で1955年の夏の甲子園大会に出場しベスト8。卒業後は近畿大学を経て1960年に北陽高等学校に社会科教諭として着任、同時に野球部監督に就任。「高校野球は技術より精神力。闘志と忍耐無き者は去れ。」をモットーに、1990年8月に勇退するまで夏4回、春6回、計10回甲子園出場を果たし、1970年の春の甲子園大会ではチームを準優勝へ導く。
また「来る者は拒まず。」の方針で監督在任中は例年部員を200人以上抱えていたが、新1年生の顔写真をポケットアルバムに入れて顔と名前を覚えたり、選手一人一人と交換日記を行なうなどの細かい配慮のおかげか、不祥事らしい不祥事は起こさなかったそうである。 1992年3月末をもって北陽高等学校を退職。
1992年の夏の甲子園で松井秀喜5打席連続敬遠が起きた試合のテレビ解説を務めており、解説席で「ここは勝負して欲しいですね~」「いや~こんなのは初めてですね」「高知の野球とはちょっと違いますね」「私、非常に残念です」(スタンドからメガホンが投げ込まれた際に)「高校野球でこんなのは初めてですよ!」「涙出てきますね~」と悔しがっていた。
甲子園での成績
[編集]主な教え子
[編集]関連項目
[編集]- 高知県出身の人物一覧
- 尾藤公(元箕島高校監督。1979年の甲子園春夏連覇の影響で翌春、部員が急増したため、大所帯での指導法を松岡に教わった)
- 江夏豊(大阪学院高在学中、監督同士の仲がよかった北陽高との合同練習で松岡の指導を受けた)