松下専次郎
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松下 専次郎[1](松下 専治郎[2][3]、まつした せんじろう、1872年(明治5年)10月[4] - 没年不明)は、日本の実業家、地主[5]。族籍は鳥取県平民[4]。
経歴
[編集]鳥取県平民・松下角作の二男[4]。廃家・松下氏を再興する[4]。質屋[1]、金銭貸付業を営む[3]。岡田汽船取締役[4]、同監査役などをつとめる[2]。
人物
[編集]松下専次郎について、『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』には「職業・質、調査年月・1933年1月、正身身代・R、信用程度・B」とある[6]。
『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』には「職業・質、調査年月・1936年11月、正身身代・T◎、信用程度・C」とある[7]。
『商工資産信用録 第43回』には「職業・質、調査年月・1941年10月、正身身代・S◎、年扱高又は年収・V、信用程度・Cc」とある[1]。
『西伯之資力 大正11年10月調』によると「所有地価金は1311円46銭[8]、所得税は116円35銭[8]、営業税は86円3銭[8]」である。
家族・親族
[編集]- 松下家
- 妻・イエ(1885年 - ?、植村虎次郎の二女)[4]
- 男・整吉[4][9](1904年 - 1986年、松下酒店社長、境港ライオンズクラブ会長、境港商工会議所副会頭)
- 同妻・さい(面谷友太郎の二女)[9]
- 長女(1907年 - ?、島根県人・植村善之助の養子となる)[4]
- 二女[4]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c 『商工資産信用録 第43回』鳥取県ホマ之部19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録 第43回』鳥取県 下編390頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
- ^ a b 『境港案内』商工人名録 31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第6版』ま59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
- ^ 『陰陽八郡郡勢一斑』地価千円以上所有者地主名55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月29日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』鳥取県ま之部17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月10日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』鳥取県マ之部25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
- ^ a b c 『西伯之資力 大正11年10月調』7、9、13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』鳥取4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 『境港案内』境商工会、1906年。
- 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』商業興信所、1933年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第38回 昭和12年10月刊行』商業興信所、1937年。
- 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1940年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。